現世の【月】
「哀れな人」
クレールがぽつりとこぼした。
自分が体験したのではない「昔の思い出」から醒めた彼女の、潤んだ緑色の瞳から雫があふれ、白い頬をつたって流れ落ちる。
怪我と埃にまみれたこの乙女の顔を見た【月】は、
「そう……哀れな男の、つまらない昔話よ」
薄い唇で大きな弧を描き、続ける。
「ねぇ、アタシと同じように、男の服を着せられて育った、可哀相なエル坊や。アナタもそうだったのでしょう?
男の子が欲しかった、男であれば良かった、女など要らない……そう親に言われて育った不憫な鬼子。
そんなお前だもの、そんな女の子のような綺麗な顔は要らないでしょう?」
落ちくぼんだ眼窩の中で【月】は目玉を見開いた。
「要らない姿なら、アタシに映し盗られたって、ちっとも構わないじゃないの?
ああ、かわいそうな坊や。
アタシと同じなのにアタシよりも綺麗な坊や。
お願いだから、もっとしっかり見せて頂戴。その目も、髪も、体も声も、全部よ」
姿を写して、写し盗る――得物の顔貌姿形を、己に映し、己の姿とするために、【月】はエル=クレールを睨め付けた。
彼女の涙に潤んだ緑色の瞳の中に、痩せた中年男のような顔をした老嬢の、落ちくぼんだ灰色の目玉が映った。
【月】にとって、それはこの世で一番見たくないものだった。
だが、見えてしまった。
広い額に尖った鼻と、眼差し鋭い三白眼と、中年男のような痩せた体つき。
黒く曇った赤鉄鉱の古鏡のような【月】の体が――中年の旗持ちの肉体から突き出た上半身と、そこから離れたところにぽつりと立ち尽くしている下半身が、変形した。
「何故!」
【月】は叫び、顔をそらした。
頬のこけた横顔が驚愕と恐怖に震えている。クレールはささやくように言った。
「お前は私を
『親が男でないことを憾み、男の服を着ることを強いられ、無理矢理男のように育てられた、不幸な女』
だと思いこんでいる。
いいえ、おまえは私がそういう哀れな子供であることを願っている。
でもそれは違う。
お前が見ているのは、自分に都合良く、勝手に解釈した私の上辺。
お前が自分の勝手に思い込み、哀れな子供と貶んでいるのは、お前自身の姿ではありませんか」
クレールの首に巻き付いた『腕』の力が強くなった。
金属をこすったような音、文字通りの金切り声を、【月】が発する。
「憎たらしい子! 形を映し盗ったあとも、おまえを生かしておいてあげようと思っていたのに! アタシの欠片を植え付けた、綺麗なお人形にしてあげるつもりでいたものを!」