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古の【月】

(けい)が先の城伯を(しい)したことについてだが……」


 ヨハネス・グラーヴの声は、暗く、低い。

 花婿は頬を引きつらせた。傷の痛みよりも恐怖が勝っている。

 先の城伯とは、老ヨハネス・グラーヴであった。

 すなわち、いま彼の眼前で抜き身をぶら下げている「若いヨハネス」の、明日が花嫁となる予定だった「気の毒なヨハンナ」の父親である。


 花婿は自分の計画を秘密裏に立て、秘密裏に実行したつもりだった。城伯暗殺の犯人は誰にも知られていないと信じていた。

 震え上がった。同時に疑念が生じた。


「我が妻よ、君はそれを知った上で僕との婚礼を?」


 掠れた声で反問した。


「親を謀殺した(かたき)を探さない者がいるかえ?」


 当然のこという口ぶりの答えと、血濡れた剣の切っ先が花婿の胸を指し示す。

 剣先は空中で停まり、動かない。花婿は固唾を呑んだ。

 花嫁は、笑った。


「それで――そのことだが、私は卿に謝辞を述べようと思っていたのだよ、婿殿。

 実は私も、廃された皇帝に対する感傷を忠誠と履き違えるような人物は、新しい皇帝が治める国から取り除くべきだと、常々思っていた」


 ヨハネスと呼ばれていたヨハンナの言葉は花婿を驚愕させた。彼の知る「若いヨハネス」は父親に対して忠実であり、不平不満を述べることなど微塵も無かったからだ。


「では、僕は、つまり、君の望みを叶えたということになる」


 花婿は硬い笑顔を作った。だがヨハンナは彼の言葉に対して返答しなかった。


「しかし、私は卿のとった手段については非難している。()(いん)に乗じた暗殺は、騎士道に反する」


 剣の先が花婿の左胸の皮膚に触れた。花婿は引きつった声で弁明した。


「老伯の側にはいつも君がいる。君はこの城下で並ぶ者のない剣士だ……僕などが正面から斬り掛かって、君に勝てるはずがないじゃないか」

 

「だから卿は、あの年寄りが愛妾の所へ忍んでゆく夜道に襲った。

『悪所』通いの父親を軽蔑した『(せがれ)』が、その時ばかりは護衛をしないと知って……。

 良い作戦だと思う。私が卿であったとしたら、やはりその策をとる」


「そうしなければ……老伯を殺さねば、君と結婚できなかったからだ。

 あの老人は、あくまで君を男として扱っていた。あの方が生きている限り、君は婿を取ることができなかった」


 まくし立てる花婿の胸元から、剣先が僅かに引かれた。花婿は息を吐き出し、


「つ……妻よ」


 小さく呼びかけた。ヨハンナは灰色の目を細めて彼を見つめ返した。


「そのことを……君は誰かに調べさせたのか?」


(ノン)。我が身一つで」


「では、知っているのは、僕と君だけか?」


「他の誰にも漏らしていない。今後漏らすつもりもない」


「では、夫婦の秘密だ」


 花婿の言葉にヨハンナは頷いた。彼女の唇に浮かぶ微笑は、しかし嘲笑だった。


「犯人を捜すうちに、どうしても卿の身辺も調べることになった。卿が犯人であるのだから当然そういうことになる……。

 だから卿に美しい愛人がいることも解ってしまった」


 花婿は息を呑んだ。その場から逃げようにも、腰が立たない。

 ヨハンナ・グラーヴは血に濡れた指先で薄い唇をなぞった。

 荒れた土気色が、生き生きとした赤に色づいた。

 指先は頬骨の上を滑る。

 青白い頬が赤く輝いた。


「さようなら、愛しい人。私ではなく、城伯の爵位に恋をした人」


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