平手打ち
クレールは爆ぜるように飛び上がり、立った。
彼女は手の腹に棘が刺さったような小さな痛みを感じている。
ただの旗竿である。武器とするには心もとない細さの棒きれだ。だがクレールはそれを握りしめ、槍のように構えた。
眉間に剣が突き刺さったままのその顔で、【月】はクレールをじっと見た。
「ねえ、勇ましくて可愛らしいもう一人の『アタシ』ちゃん」
クレールは唇を真一文字に引き結び、【月】をにらみ返す。
【月】の蝕肢が、自身の真っ黒な、クレールのそれを写しとった顔に、深々と突き刺さっている剣の柄に巻き付いた。
「あなたのお付きの、あの逞しい方、それからあなた自身も……あなたたち二人とも、賢いのかそうでないのか、アタシにはさっぱりわからなくなったわ」
蝕肢が前後左右に動いた。剣は簡単には抜けそうにない。
石くれの顔の表面がひび割れた。
剣は僅かに動いたが、抜けぬ。
「だってそうでしょう? こんな剣やそんな旗竿で、アタシを倒そうなんて……」
蝕肢がさらに大きく動いた。
骨にこびり付いた肉を大包丁でこそげ落としたような、薄気味の悪いゴリゴリという音がする。
件の付け根からドロドロとした茶色い粘液があふれ出た。
一際大きく深いひびが頭蓋を取り巻くように走ったかと思うと、頭が上下に割れた。
半球型の石の塊が、ごとりと床に落ちた。
「……あなたたち、まさか本気で思っているの?」
眉から上の頭蓋がなくなった石像から、長い剣が引き抜かれた。
腐汁に塗れた剣を、【月】はクレールに向かって投げ付けた。
クレールは旗竿を打ち振るった。細い旗竿がしなる。
木の棒が、鋼鉄の剣の横腹を叩いた。
鋼の塊を払い落としたその瞬間、棒は折れた。
粉砕されたその先端部分は文字通りに木っ端微塵となり、細かい破片があたりに飛び散る。
降り注ぐ木切れの中から、蝕肢と赤黒い剣の形をしたものとが飛び出してきた。
クレールは残った半分の旗竿を両の手で握り、防ぐ。
折れた棒きれごときで防ぎきれる攻撃ではなかった。竿は更に短く折れ砕けた。
ナイフ程の長さになった旗竿から、クレールは左手を話した。右手一本で握り直す。
【月】の左手が突き出された。
クレールは旗竿の残骸でそれを打ち払う。
棒を握った形の手首が、普通の肉体ならば決して曲がるはずのない方向に曲がり折れた。
【月】が淫猥な歓喜の悲鳴を挙げた。クレールを模倣する化け物は、クレールの肉体が折ったダメージも模倣し、自身の身体に反映するようだ。
なき喜びながら、【月】は蝕肢を伸ばした。先端の爪が大きく開く。クレールの頭をまるごと掴み、引きちぎろうとしている。
クレールは咄嗟に折れた右手を庇い、左の腕を振った。硬い外骨格を平手で打つ形になった。
金属と金属が当たる音がした。
【月】の蝕肢が、それが旗竿を砕いた時と同じように、ひび割れ、粉砕され、吹き飛ばされた。
そればかりか、【月】の本体も弾き飛ばされていた。
「なにごと!?」
仰向けに倒れながら、【月】はクレールの姿を探した。
彼女の体は【月】が倒れる反対に向かって、やはり吹き飛ばされていた。