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赤いアクセサリ

 ブライトは掴んだ旗竿を乱暴に振り回した。

 剣先形の飾りが付いた竿頭で床を突く。竿頭に取り付けられていた「錦の御旗」が、床にだらしなく広がる。


「俺ぁ今のこの世で『皇帝』を名乗っている野郎のことが、心底嫌いでね」


 ブライトの履く草臥(くたび)れた足首までの革靴が、ギュネイ皇帝の紋章を踏みつけにした。

 この、まさに瞬きするほどの間、彼の黄味の強い茶の瞳は、視線を送る方向を変えていた。

(ザ・ムーン)】に目を転じたのではない。

 彼はずっとクレールから視線を外さずにいる。だから、見つめていた対象が動けば、その走る軌跡を忠実に追うのだ。


 伸縮自在な【(ザ・ムーン)】の蝕肢をかわしたクレールは、軽業師さながらに蜻蛉(トンボ)を切って、身を立て直していた。彼女は彼女の武器(アーム)正義(ラ・ジュスティス)】をひっさげたまま、つむじ風のごとき勢いで舞台から飛び降りた。

 まるで考え抜かれた殺陣(たて)を演じているかのような、(なめ)らかな動作だった。


 客席の椅子を飛び越えたクレールが向かった先には、二人ばかりの男が震えて立ちつくしている。

 勅使グラーヴ卿のまだ生きている家臣達だ。

 彼らの目の前で主人が得体の知れぬ化け物に変じた。その化け物によって同僚が無惨な亡骸となった。

 彼らが恐怖に打ち震えるのは当然だ。大の男達が互いに寄り添い、抱き合うようにしてようやく立っている。


 一人の男はなめし革の儀礼鎧の上にギュネイ皇帝の旗印を縫いつけた上着を羽織り、長い剣を下げている。剣術か体術の稽古で潰れたらしい耳朶(みみたぶ)に、赤い石の()まった耳輪(イヤカフ)を付けている。衛兵のような役目を負っていたらしい。

 もう一人は体の幅の厚い男で、緑色のベストを着ている。()(ちょう)の白い羽根が付いた赤いフェルト帽を被っていたのだが、今はその帽子を片手に握りしめている。短く切りそろえたあごひげの下から、首に巻き付けられた短い首輪(チョーカー)の赤い石の装飾が見える。これは勅書(ちょくしょ)(ふれ)(がき)を読み上げる伝令官(でんれいかん)であろう。


 クレールの緑色の目が衛兵らしい男を()め付けた。

 男は身を縮めた。目を固く閉じる。

 クレールは駆けながら剣の形をした一条の光を振った。下からすくい上げられた切っ先が、衛兵の男の耳を()ね飛ばした。

 べたりと湿った音を立てて地面に落ちたものは、初めは(みみ)(たぶ)の形をしていたが、見る間に溶解し、やがて腐汁となって流れた。

 悲鳴が上がった。

 衛兵の喉からではなない。化け物と化した彼の主の口からだ。【(ザ・ムーン)】は狂喜と歓喜にうちふるえ、泣き叫んでいる。


 ほとんど同時に、他の叫び声が上がった。

 伝令官だ。

 同僚が斬りつけられたことに驚いて声を出したのではない。

 急に喉が焼けるように熱くなった。

 思わず掻きむしった指先に妙に柔らかい触感があった。

 己の手をまじまじと見た読み上げ係の伝令官は、腐った蕃茄トマトを握りつぶしたような赤と、融けた乾酪チーズのような薄黄色が、指と言わず掌と言わず、べっとりまとわりついているのを見た。

 それらが元は己の筋肉であり脂肪であり皮膚であったことを、彼は理解できなかった。物事を考える余裕などなかった。

 首輪が彼の首を締めつけている。

 主人から直々に(たまわ)った装飾品だった。

 赤い飾りの石が脈打つように(うごめ)いているのは、彼には見えなかった。外そうと()()いたその時には、もう呼吸ができなくなっていた。

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