嫉妬心
その頭頂部に、声が降り注いだ。
「まだ準備は終わっていないのじゃなくて?」
甘ったるく、ねっとりとした、うすら寒い声だ。
「しかし閣下はたいそうお急ぎなのでございましょう?」
マイヨールは頭だけを持ち上げ、ヨハネス・グラーヴの顔色を窺った。
帽子の鍔に鼻から上を隠したまま、グラーヴ卿は笑っていた。
これがなにを意味する微笑なのか、白塗りの厚化粧の上からは読み取れない。
赤い唇が僅かに動く。
「ねえ、マイヨール。アタシは来る途中に、あのお店に寄ったのよ。
ガップから来たという、あの美しい坊やを探しにね」
マイヨール・マイヨールは、腰を折り曲げて頭だけを持ち上げた不自然な体勢のまま、硬直した。
背筋に冷たい物が走り、目の前に薄霞がかかった気がする。
「左様、で」
ようやっとの思いで短い相槌を返した。
「我ながら、愚かしいこと。坊や達がまだあそこにいるだろうと思いこんでいたの……。
よく考えれば判ることよね。彼らは旅人だもの。一つ所に長居するはずがない」
「左様、で」
マイヨールは口元に愛想笑いを浮かべた。姿勢は不自然なまま変わらない。
「坊や達はいなかったけれど、他の者たちがたくさんいたわ。
なんでもあの可愛らしい坊やが、みなにお酒を振る舞ったのだって。騒ぎを起こした詫びだと言って。
ウフフッ。
まだ年若いのに、良く気が回る坊やよね」
「左様、で」
相槌を返した心の底で、
『若様みたいな浮世離れした方が、ああいう飲み屋に集まる鄙俗でいじらしい連中の腹の内なんかを、判っていらっしゃる筈もない。
人心をなごませるのに酒を使おうなんて姑息なことは……』
若様に歪んだ愛を抱いていて、若様のためなら……若様に愛してもらうためであれば……どのようなことでもしてのけるに違いない、俗で、頭が回って、手の速い、大男の下男の発案に違いないと思い至り、マイヨールの頬はゆるんだ。
直後、グラーヴ卿が小さく嗤った。
「そうよね。あの坊やは良い家臣を持って、羨ましいこと」
本音を見透かされた。マイヨールは背を鞭でしたたかに打たれたかのような衝撃を感じた。
「アタシにはそういう賢い家来がいないのだもの。
アタシをよく助けてくれる、アタシよりも気の回る家来がね。
だから、あの可愛い坊やごと、彼らをアタシの物にしてしまいたい……できれば直臣に」
「左様、で」
平静を装って相づちを打ちつつも、マイヨールの腹の中は煮えくりかえっていた。
『冗談じゃない! 若様や旦那をこの白塗りオバケなんかに盗られてなるものか。
あのお二方は、このマイヨール・マイヨールのものだ!』
それは嫉妬であり、独占欲だった。
当人達の考えの及ばない場所で、当人達の気持ちを顧みることをせず、全くの他人に対して焼き餅を焼いている。
マイヨールが抱いたのは、はた迷惑な岡妬だ。