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時間稼ぎ

 次いでマイヨールは舞台袖から様子を(うかが)っていた裏方衆と踊り子達に鋭い視線を投げる。


「位置について。稽古の通りにやっとくれ」


 団員達は一瞬、ざわめいた。

 マイヨールの顔が見えない場所にいる連中が、前方の仲間の背に声をかけている。

 振り向いた踊り子達の安堵(あんど)した顔を見ると、後方の者たちの不安も消えた。


 団員達が舞台裏に消えたのを確認したマイヨールの視線は、フレイドマル座長の顔の上に戻ってきた。

 途端、それまで座長の顔面に広がっていた、(ゆる)んだ笑顔がかき消えた。

 マイヨールは微笑している。清々しく笑っている。

 吹っ切れた彼の、いっそ麗らですらある眼差しが、フレイドマルにはむしろ恐ろしいものに見えた。

 劇作家の瞳が、澄んだ鏡の面に思えた。

 それも、覗き込む者の真の姿を写す魔鏡に。

 フレイドマル座長は己の薄汚い保身を見透かされた気分になった。


「座長」


 マイヨールが穏やかな声で呼びかけた。

 小太りの体が小さく震えた。


「申し訳ありませんがね、どうにも人手が足りませんで。

 ()(らく)の、回り舞台の柱押しの員数が不足していると、以前にも言ったと思いますが。ええ、補充を(やと)う余裕などないって事情(コト)はわかってますよ。

 だから座長にそれを手伝っていただきたいんですがね」


 言葉は要請のそれだったが、フレイドマルには逆らうことの許されない命令に聞こえた。


「あ、それか。分かっている、分かっている」


 座長は小刻みに頷きつつ、ちらりとグラーヴ卿の顔色を窺う。

 勅使様がこの場に残れとお命じにならないかと期待していた。傍らに座す光栄を与えてくださることを願った。


『そうなれば、辛い奈落の肉体労働をせずに済む』


 だがグラーヴ卿は、尖った(あご)で通用口の方を指し、


「お行き」


 彼の奈落行きを促した。

 座長は力なく頭を垂れ、とぼとぼと楽屋裏へ向かった。


 こうして幾分かの時間稼ぎをしている間にも、舞台の裏側では粛々と準備が進んでいる。マイヨールは全身の神経でそれを感じ取っていた。


『万全の体勢で芝居をするとなれば、シルヴィーを若様の所に置いてきたのは、我ながら失策も良いところだが』


 代役は立ててある。

 その踊り子も頑張ってはくれるだろうが、果たして劇団随一の演技者(エトワール)ほどの図抜けた表現力は見込めない――。

 一瞬、弱気が頭を持ち上げた。

 マイヨールはそいつを臓腑(はら)の奥底へ押し込めた。


「小汚い椅子で申し訳のないことでございますが、どうぞそちらへ掛けてお待ちくださいませ。すぐに幕を開けましてございます」


 殊更(ことさら)丁寧(ていねい)に言い、マイヨールは深々と頭を下げた。海老のように、腰を曲げたまま後ずさりする。


『若様、旦那、お願いだ。上手いことシルヴィーを連れて逃げておくれよ。

 この一座に万一のことがあったとして、あの娘なら別の劇団でも十分にやっていける筈だから』


 下げた頭をちらりと横に振り、マイヨールは楽屋の方角を見た。


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