表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/160

蛇に睨まれた蛙

 妄想の中でであっても幾分か自分への自信を取り戻したフレイドマル座長は、そのおかげで極度の緊張から解き放たれた。

 高貴なお方の前で(しゅ)(しょう)に縮こめていた肥体を揺すり、青黒く硬直していた面の皮をだらしなくゆるませて、開放感を素直に表現してみせた。

 口角を釣り上げて作った顔かたちの歪みは、マイヨールに投げ返す笑みのつもりらしい。


 そのマイヨールは、本音を覆い隠す仮面の笑いを保持したまま、ふわりと舞台から飛び降りた。足取りは左右に大きくぶれているが、確実にフレイドマルに近付いている。

 彼にフレイドマルが広げた両手の中に飛び込むつもりは毛頭ない。皮の弛んだ油っぽい頬にキスをする気も更々ない。

 座付き劇作家を絞め殺しかねない勢いで抱きしめようとするフレイドマルの、太くて短い腕がぎりぎり届かない所で、マイヨールはぴたりと立ち止まった。


 座長が己の腕の勢いに振り回されてバランスを崩し、自分を抱いた奇妙な格好で前のめりに倒れそうになる滑稽(こっけい)な様子が、目玉の端に映らぬではなかったが、彼はそちらを全く無視した。

 こんな疫病神(やくびょうがみ)の相手をしている暇はない。

 マイヨールはへたり込むようにしてグラーヴ卿の前に(ひざまず)いた。


「閣下、お待ちしておりました。準備は万端とは申せませぬが、お望みとあればいつでも幕を開けさせていただきます」


 疲労の色の濃い声音を絞り出す。

 恐る恐るの仕草をしつつ視線を持ち上げ、マイヨールは勅使の顔色を(うかが)った。

 白塗りの顔に冷たい微笑が貼り付いている。


「ごまかしの帳尻合わせをするのは相当大変そうね」


 グラーヴ卿の言葉が、脚本家兼振付師兼役者の()(ろう)(こん)(ぱい)振りを信じた上でのものであるのか、はたまた、演技と見破った上での(いや)()であるのか。

 厚化粧の下の本心はマイヨールであっても見抜き難かった。


「何分にも田舎者でございますゆえ、都の方々に見ていただくのに、不調法があってはならないと、手前共なりに考えましてございます」


「マイヨール、アタシは耳が良いのよ」


 グラーヴ卿の声は耳元で聞こえた。

 マイヨールはそっと顔を上げた。真っ赤な唇が目の前にあった。

 背筋が(こお)る。

 冷笑の大きな弧を描く唇が、大きく開いた。

 頭から一呑みに飲み込まれそうな気がした。思わずマイヨールは身構えたが、グラーヴ卿は口の大きさと比例しない小さな声を出しただけだった。


「お前達が丁寧に通し稽古をしているのがとってもよく聞こえたわ。まあ、音楽だけではあったけれども」


(つたな)い演奏で閣下のお耳を汚しまして、会い済みませんことでございました」


 マイヨールは再度頭を下げた。(きょう)(しゅく)(いん)(ぎん)の最敬礼を、本心ではないものと見抜かれかねないわざとらしさで演じてでも、グラーヴ卿の白い顔から目を背けたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ