蛇に睨まれた蛙
妄想の中でであっても幾分か自分への自信を取り戻したフレイドマル座長は、そのおかげで極度の緊張から解き放たれた。
高貴なお方の前で殊勝に縮こめていた肥体を揺すり、青黒く硬直していた面の皮をだらしなくゆるませて、開放感を素直に表現してみせた。
口角を釣り上げて作った顔かたちの歪みは、マイヨールに投げ返す笑みのつもりらしい。
そのマイヨールは、本音を覆い隠す仮面の笑いを保持したまま、ふわりと舞台から飛び降りた。足取りは左右に大きくぶれているが、確実にフレイドマルに近付いている。
彼にフレイドマルが広げた両手の中に飛び込むつもりは毛頭ない。皮の弛んだ油っぽい頬にキスをする気も更々ない。
座付き劇作家を絞め殺しかねない勢いで抱きしめようとするフレイドマルの、太くて短い腕がぎりぎり届かない所で、マイヨールはぴたりと立ち止まった。
座長が己の腕の勢いに振り回されてバランスを崩し、自分を抱いた奇妙な格好で前のめりに倒れそうになる滑稽な様子が、目玉の端に映らぬではなかったが、彼はそちらを全く無視した。
こんな疫病神の相手をしている暇はない。
マイヨールはへたり込むようにしてグラーヴ卿の前に跪いた。
「閣下、お待ちしておりました。準備は万端とは申せませぬが、お望みとあればいつでも幕を開けさせていただきます」
疲労の色の濃い声音を絞り出す。
恐る恐るの仕草をしつつ視線を持ち上げ、マイヨールは勅使の顔色を窺った。
白塗りの顔に冷たい微笑が貼り付いている。
「ごまかしの帳尻合わせをするのは相当大変そうね」
グラーヴ卿の言葉が、脚本家兼振付師兼役者の疲労困憊振りを信じた上でのものであるのか、はたまた、演技と見破った上での厭味であるのか。
厚化粧の下の本心はマイヨールであっても見抜き難かった。
「何分にも田舎者でございますゆえ、都の方々に見ていただくのに、不調法があってはならないと、手前共なりに考えましてございます」
「マイヨール、アタシは耳が良いのよ」
グラーヴ卿の声は耳元で聞こえた。
マイヨールはそっと顔を上げた。真っ赤な唇が目の前にあった。
背筋が凍る。
冷笑の大きな弧を描く唇が、大きく開いた。
頭から一呑みに飲み込まれそうな気がした。思わずマイヨールは身構えたが、グラーヴ卿は口の大きさと比例しない小さな声を出しただけだった。
「お前達が丁寧に通し稽古をしているのがとってもよく聞こえたわ。まあ、音楽だけではあったけれども」
「拙い演奏で閣下のお耳を汚しまして、会い済みませんことでございました」
マイヨールは再度頭を下げた。恐縮と慇懃の最敬礼を、本心ではないものと見抜かれかねないわざとらしさで演じてでも、グラーヴ卿の白い顔から目を背けたかった。