作者にして演者
さて、楽屋にクレールとブライト、そしてシルヴィーを残して舞台の方へ向かったマイヤー・マイヨールであるが――。
いつまでも見つめていたく、どうにも手放したくない「二つの宝」に、泣く泣く背中を向けたマイヨールは、楽屋を出た途端に一つ深い息を吐いた。
肩を回して身体をほぐし、両の手で己の顔を覆った。
己の顔を指と掌で触れて、そこに「いつもどおりの外向きな笑顔」があることを確かめてから、彼は狭苦しい通路を歩み出した。
埃っぽい空気をゆらして伝わってくるざわめきの元は、どうやら舞台の上にあるようだ。
『阿婆擦れ共め、踊っていない間は喰っ喋っていないと気が済まないと来ていやがる』
心中で口汚くののしる。罵詈も雑言も間違いなくマイヨールの本音だが、だからといって彼が踊り子達や裏方達を蔑視しているわけではない。
劇作家・演出家としてのマイヨールは、劇団員達に深い信頼を寄せている。
彼がややこしい台本を書き、相当に厄介な振り付けをしても、彼女らは……小さく貧しい劇団故の技術不足は否めないながらも……彼が満足できる演技をしてみせる。
踊り手・出演者としての彼も同僚達を大いに尊敬している。
我が侭な演出家の、突拍子もない振り付けを、文句を言いつつやりこなす彼女らの職人気質は、彼には真似のできないことだった。
なにしろ、演技者としてのマイヨールときたら、自分ができぬと思いこむと、演出家(つまりマイヨール自身のことだが)の指示を無視して、ジャンプの高さやターンの回数を勝手に減らしたり、何食わぬ顔をして大切な振り付けを端折ってしまうような、困った怠け者だ。
文句を言いつつも三十六回の連続回転を、何とか見られる形に踊って見せる踊り子達の芸と術に対する真摯さには、畏敬の念さえ抱く。
確かにこの劇団に所属する者の多くは、文字さえ読めず、従って学もなない。
博奕癖、酒癖、女癖、男癖が、どうしようもなく悪い者もいる。
世間様に向かっておおっぴらにはできないような「副業」をしている者だって、いくらか混じっている。そういう連中が持つ人脈が、劇団を助けてくれることもないとは言えないが、むしろ大きな厄災を招き込むことの方が多い。
そんなことはしかし、マイヨールにはどうでも良いことだった。
重要なのは、少なくとも、いまここにいる連中は、マイヨールにとって誰一人欠けてもらっては困る、大切な存在であるということだ。尊敬する仲間、心許せる友、同じ釜の飯を食う家族といっても良い。
「いや、一人だけ、どうにも要らない余計者がいるか」
舞台袖からこっそりと観客席を覗き見た彼は、その「余計者」の禿頭を見つけて首を振った。
小男だがでっぷりと太ったフレイドマル座長は、落ち着き無く体を揺すっている。
三歩離れた隣に、黒ずくめの細い影が立っていた。
黒い鍔広の帽子と、未亡人がするようなヴェールで顔を覆い隠してはいるが、そこからちらりと覗く妙に赤い唇を、マイヨールが見まごうはずがない。
『男女のグラーヴめ』