癒し手の魔法
タントリノを見下ろすツェトリ。
アーニャ・クローラウスは長閑な村でガンロ司祭から神官としての癒し手の魔法を伝授してもらう・・。
「さぁ、お行き!」
朝日の昇る金色の草原を羊達の鈴の音が響いた。
アーニャとコルツ・カイルは羊の柵を開くと、草原に放牧した。
コルツはカイル一家の5人兄弟の長男で、赤毛にソバカスだらけの活発的な男の子だ。
今日は休作中の麦畑に生えたクローバーを羊に食べてもらう日だ。
クローバーは土中のリンを集める作用があり、それを羊達が食べて糞をする。
やがてそれが発酵し、堆肥を伴った肥沃な畑ができるのである。
「アーニャは羊さばきが上手いなぁ!」
「そうかなぁ?」
「そうだよ!ガキの頃から一緒にやってるけど、アーニャには負ける!」
「今でも十分ガキだよ!」
「ははは!ちげえねえ!」
「ただ、コルツ。スライムが出たらお願いね!」
「おう!まかせとけ!」
アーニャはブナの木の『見習いの杖』を上に向けると食べて欲しい草原の場所まで羊を誘導する。
コルツは研ぎ澄ましたケアキの木で作られた『村の剣』で草を薙いだ。
村の男の子達は村の剣を持ち出すとみんなこうだ。
「さぁ、たーんとお食べガスパー。」
アーニャが羊を触りながら言う。
「ガスパー!?」
「羊の名前!よく食べるからガスパー!」
ガスパーはアーニャのお腹まで来ると幸せそうにメェエと鳴いた。
「おいおい、メシになる羊に名前つけてどうするんだよ!?」
「その時はその時だもん!ていうか、ミルクからチーズを作るから、ガスパーは食べないよ!」
「ガスパーは雄だろ?」
「そうだけど、食べないのー!」
少し冷たい風が吹き抜け、血のにおいがする。
ジャイアントモアと言う巨大な鳥がドードーの首に喰らいついて捕食している。
何かを食べているなら、羊を襲う事もないだろう。
「長閑だなぁーー。」
「長閑だねぇーー。」
アーニャが草原に横になり、コルツも倒れた古木に座って乾燥肉を食べ出した。
「私にもちょうだいー。」
「ほらよ。」
「その自慢の剣で斬ってみせてよ騎士様。そんなにいらない。」
「はいよ」
羊の鈴が涼しげにカラカラと鳴った。
遠くで馬車に乗った男達が運ばれてゆく。
水を汲み出す風車の為に水路を建設する為の一団だろう。
ヒバリが鳴き。
近くの畦道を、旗を背中に付けた赤い鎧の騎士が通り過ぎた。
タントリノ周辺で兵士の募集活動をしている騎士だろう。
アーニャは大の字に寝そべって乾燥肉を食べると、大きな耳を動かして様々な音を聞いていた。
「はむはむ。もぐもぐ。・・・ねぇ、コルツ?」
「ん?」
「コルツも騎士になるのー?」
コルツは切り株の上で胡座をかくと息を吸った。
まるで心から決心したような、そんな真面目な顔だ。
「うん。ツェトリを護る騎士になりたいんだ。その為には勇者を警護して『渇きの王』の軍勢を蹴散らしてやりたいんだ。」
「渇きの王・・」
「本当にそんな奴がいるのが疑問だけどな。でも、国の脅威になる奴をバッタバッタ倒して、カイル一家此処にあり!って天下に知らしめたいんだ!」
「ふーん。頑張ってねコルツ!マザー・アカナの加護があるように祈るわ!」
「おう!ありがとう!」
アーニャは上半身を起こすと天空を飛ぶヒバリを見ていた。
本当だったら昨日の『告知の夢』を相談したい所だけど、辞めておく事にした。
きっとコルツだったら何も考えずに手放しで喜び、アーニャがガンロ司祭を救いたい気持ちをそっちのけでリクとアーニャを応援するに違いないからだ。
「なぁアーニャ?明日行く馬車に俺が乗るスペースはあるか?」
「あるよ!メメルと女の子達しか乗らないし、道具を持って帰りたいからワゴンで行くしね!」
「そうか!俺も乗せてってくれよ!もちろん、冒険者として!」
「いいよ!じゃあ、私達を警護してくれるクエストにギルドで応募して?募集かけてるから!」
「おう!」
「でも、何買うの?」
「とりあえず武器だな!あと『勇者召喚の儀』の会場も見てみたい!なんでも、神代の時代に作られた転送装置がお目見えするらしいぜ?」
「へぇ!まさか、アカナ教の聖典に記述にあった移動装置なのかな?」
「そうかもしれないな。どんな奴が転送されるのか。どんな世界から来るのかさえも分からないけどな・・」
アーニャは放牧を終えると、風車の為の水路の建設に従事した。
メメルをはじめとしたリトルウィッチ族がツェトリの森林地帯で水脈を発見し、そこから村まで引いて飲み水にしていたのだが、今回は麦を育てるにあたり更に深層を掘削して水車を使って水を汲み出す大規模公共事業を展開していた。
これはガンロ司祭をはじめとする建村時代からの悲願であり、封建社会においてタントリノを初めとするギアーテ王国の領地になれる期待も込められていた。
ツェトリ村は領主が支配するには規模が小さく、無闇に税を取り立ててしまうとツェトリから餓死者が出てしまう。
しかしツェトリが滅んで難民を受け入れる程ギアーテ王国、もといタントリノにも余裕はなく。
ギアーテ王国はタントリノのギルドにツェトリ村のクエストを忍ばせて冒険者に警護させるか、何かのついでに騎士達にツェトリの方の警備を頼むくらいしか出来なかった。
それほどモンスターなどの外敵は驚異であり、ツェトリをはじめとする周辺の小規模の村々は何とか工面してモンスターを討伐していたのだった。
「大地の神アルマ、水の神キュラー・テティアの加護があらんことを。」
「加護があらんことを!」
ガンロ司祭が羊の膀胱で出来た革水筒に回復魔法をかけ、アーニャは尻尾にひっかけた沢山の銅のコップに水を注ぐと農民達に配った。
「ありがたや、アーニャ。」
「マザーアカナの加護があらんことを。共に水路を完成させましょう!」
アーニャが励ましながら水を配る。
「アーニャ、俺にも水をくれ!」
「はーい!」
「アーニャ、毛が入ってる!」
「すいませーん!」
アーニャは忙しく水を配り、土を掘っては掻き出す作業を見守った。
「ふぅ。」
「大丈夫ですか?ガンロ様」
「あぁ。少し魔法を使い過ぎたようじゃ」
ガンロ司祭は杖に体重をかけながら水路の壁に使う石板に腰をかけた。
アーニャはすぐに尻尾からコップを取ると水を注ぐ。
「すまないのアーニャ。第一水門まで建設したら、風車を動かして水を汲み出すテストをしよう。おそらく上手く行けば、異世界の勇者を招待する頃にはツェトリも豊富な水が水路を駆け巡っている事じゃろう」
「伝説の勇者もツェトリに来るのですか?」
「そうだともアーニャ。伝説の勇者は渇きの王を倒し、豊富な水の流れるツェトリに凱旋するじゃろう。そして美しさに驚嘆するのじゃ。水の流れるツェトリに!母なるマザー・アカナの大地に!!」
ガンロ司祭がコップを上げると、農民達が鍬やスコップを上げた。
「アカナの大地にー!水の都ツェトリにー!」
「ツェトリ村に栄光あれー!」
「アーニャも夢の導きに従い、勇者を導くのだ。それは名誉な事なのじゃぞ?」
「私は・・嬉しくはありません。」
アーニャが言う。
「なぜだ?アーニャ?」
「だって・・あの夢・・。」
「ん??」
ガンロがアーニャの方を向くとアーニャは髭を下げながら目には涙を溜めていた・・。
「私はガンロ様を救いたいのです!『告知の夢』では私もリクと言う男の子も、苦痛に喘いで絶対絶滅のようでした!これはきっと『勇者に関わるな』と言う告知ではないでしょうか?」
「・・ほぉ。」
「だって、そうとしか考えられません!長年マザー・アカナを信仰してきたガンロ様が石化の呪いをかけられ、私が告知の夢で勇者を見たのですよ?
それは『関わるなかれ』と言う一文で全てが説明できます!!あ、そうだ私、昨晩ガンロ様の夢を見たのです!」
「ア、アーニャ。」
アーニャは必死に訴える。
「わ、私がガンロ様の石化を止める夢を見たのです!本当ですよ!?オルオガーテの商人から聞く夢で私は石化を止める薬を探しに行くのです・・!」
「アーニャ、おぉアーニャよ・・!そこまで夢について心を囚われ。考えていたとは!」
いつしかアーニャは大粒の涙を流していて、ガンロ司祭の胸で泣いていた。
その胸は石のように硬く、アーニャは何もしてあげられない悔しさとマザー・アカナの運命の残酷さに泣いた。
「私は湧水を見届け、アーニャが司祭として成就するその時まで人間界にいるから大丈夫じゃ。その時まで私は天宮には行きはせん・・アーニャ。皆をごらん?」
アーニャは涙を拭うと村人を見た。
皆、横幅1ペクタ(約3メートル)ある深い溝から土の塊を頑張ってロープで引き揚げている。
「皆、私の意見に賛同し。私と苦楽を共にしてきた者達じゃ。そして私は司祭と呼ばれ回復魔法を駆使しながら村人を導いている。アーニャ、次は君に託す番なのじゃ。勇者を導き、渇きの王のいない新しい世界でマザー・アカナの威光を継承するのが君の使命じゃ」
「・・はい。」
「マザー・アカナは苦汁を好み、凍てついた氷の雨を降らす荒ぶる神じゃ。だが、もがいて這いつくばってでも進む者達にマザー・アカナは微笑む。マザー・アカナは見ておられる。わかるね?アーニャ」
「・・はい。」
「では、アーニャ。両手で卵を持つように出してごらん?」
「は、はぁ。」
アーニャは言われるがまま両手を出す。
「それで金の卵を転がすようにイメージしながら両手を動かしてごらん?」
「は、はぃ。こうですか?」
アーニャは突然のガンロ司祭の教えに困惑しながら、金の卵をイメージしながら手の中で転がした。
「今、アーニャのイメージしている金の卵は『魔力』と言って身体を駆け巡っている力だ。これは森羅万象全ての物や人に備わっていて、ワシらは魔効道具で引き出すか、己を磨き上げる事で実体化する事ができる」
「少し・・暖かくなってきました」
アーニャは手の平が少しづつ暖かくなるのを感じた。
「呪文と言うのは、『行動』を口に出したにすぎない。つまり、魔気力を何に使うか明確にするからこそ、様々な事に使えるのじゃ」
「あっ!」
アーニャの手の平から光の玉が出現した。
目で見えると更にイメージしやすくなりアーニャは夢中になって玉を転がす。
しかし。
「ふわっ!」
熱を持った玉はフッと消えてなくなり。
少しだけ体が疲労するのを感じた。
「どうだ?アーニャ。マザー・アカナの奇跡は」
「不思議ですね・・私の体からこんな物が作られるなんて。」
「魔力は心と直結しているのだ。迷いや偽りがある時に十分な魔気力は発揮されず。また、相手を支配せんと魔力を使うと闇に染まる魔法になる。正しく使うと・・ごらん?皆をこうして導ける。」
「なるほど!よーし、私もがんばるぞー!」
アーニャはもう一度光りの玉を作った。