一駅一人
注意深く読んでね
一駅一人
「はあ」
23:45。スマホに映る数字を見て、春子の心はさらに落ち込んだ。
こんな時間だけど電車ってまだ走ってるかしら、こんな時間まで残業したことないからわかんないのよね。
春子は特段、仕事ができるというわけではなかったが、今働いている会社に入社してから今日まで残業をしたことがなかった。しかし、この日、初めて春子は残業した。別に春子がサボったとか、ミスをしたとかそういうことではなく、単に上司が今日までにまとめておかなくてはいけなかった書類を春子に渡し忘れていただけだ。
たく、あのハゲオヤジ、今度会ったら覚えとけよっていうのよ、まったく
ぶつくさ文句を言いながらも、春子のいる駅、月見駅の電光掲示板を見ると、最終ダルマ池行きの文字が非常口と同じ緑色に輝いていた。
ダルマ池って、あのダルマ池?
ダルマ池というのはこの町のはずれにある、大きな池のことで、昔はあの池には主がいてこの町を守ってくださっているなどと崇め奉られていたらしいが、現在はあの池には危険な物がいる、今すぐ埋め立てろと住人が抗議を起こしているらしい。元々、主が住んでいると言われるぐらいだから、そういう雰囲気を不気味がって埋め立ててほしいという人もいたのだが、それに輪をかけてしまったのが池で見つかった死体たちである。
一人ならただの自殺でかたづけられるだろうが、それが週一で上がってきてはいわくがつくのも当然である。おかげで最近はどこのニュースもこのダルマ池の話題をこぞって報道している。あそこの池には悪魔がいるだの、あそこの池は人を狂わせる物質で汚染されているだの。
「かんべんしてよねえ、まったく」
別に春子はダルマ池に悪魔がいるだの、変な物質で汚染されているなどと思っていない。そもそも、週一で死体が見つかっているのも、最初に池で自殺した人に、他の自殺志願者が面白半分で便乗しただけだと思っている。
春子はダルマ池の噂など信じていない。それでも、好んでいわくのある場所に近づきたいなんて思わない。誰だってわけありには近づきたくないものだ。それが場所でも物でも、人であったとしても
「やっぱりだめか」
ないとは分かっているが念のために時刻表を確認するも、やはりこの電車の後に電車が出発する予定はなかった。
「仕方ない、この電車に乗るか」
諦めて電車が来るのを待とうとした春子だが、駅のホームにたどり着くとすぐ電車の到着を知らせるアラームが鳴り始めた。
うそ、まじ。ジャストタイミングじゃん。もしかして、今日の私ついてる。
本当についているのなら今日も残業せずに帰れたはずなのだが、春子の頭にはもうそのことは抜け落ちてしまったらしい。いつもはそこまでけたたましくないアラームも誰もいないホームではそれなりの騒音を生み出し、春子の鼓膜を不快に揺らしていたが、目の前に現れた異様な電車に鼓膜から伝わる不快さはかき消されていった。
え、これ、電車
電車、ではある。長方形の箱型にクリーム色の塗装をされたよく見るタイプの。しかし、春子にはそれが電車であると認識、いや理解できなかった。なぜなら、その電車は車両が一つしかなかったからだ。ふつう電車はいくつもの車両が連結されているのだが、その電車は何とも連結されていなかった。
春子はこの電車を見た時、今まで春子の乗ってきた電車とは全く別の、何か得体のしれない異質なものであるかのような錯覚を覚えた。
「これに乗るの・・・・・・・・・・」
目の前に現れた異様な、しかし普段目にする異物に、戸惑う春子であったが、キーンという甲高い音に背中を押されて、そのいびつな電車の中に足を踏み入れてしまった。
つい乗っちゃったけど・・・・・・・大丈夫、だよね
車内を見渡してみると、おばあさんに女子高生、仕事帰りなのかかなり疲れた様子の中年男性に中年女性、さらに気弱そうな男子中学生とそわそわと辺りを見回す若い男とどう見ても知り合いではないだろう乗客6人がそれぞれ十分なソーシャルディスタンスをとっていた。
まあ、これに乗らないと帰れないわけだし・・・・・いっか
そう思ったと春子は目的の駅ですぐの降りられるように、乗ってきた扉とは反対の扉近くにあるポールを背もたれにして目的地まで立って待つことにした。
最初はこの異質な電車に乗ってしまったことを後悔した春子だったが、他にも乗客がいることを知り、ホっと胸をなでおろした、そのとき、車内に無機質な、電子音とも違う心のない人間のような声が聞こえた。
「次は~銀陽町、銀陽町、お降りの方は速やかにお降りください~」
なんか、不気味ね、夜中に聞いてるからそう感じるのかしら
再びこの電車から異様性を感じ取り不安になる春子であったが、
突然視界が暗転。
「え、ちょ、どう」
突然視界を奪われ慌てる春子であったが、暗転して数秒、再び視界が戻る。
あ、戻った。
慌てて辺りを見渡す春子だったが、特に変わった様子は見てとれなかった。
電車も普通に動いてるし、他の人たちも慌ててない。
ひとり、若い男が辺りをきょろきょろしてはいたが、春子が乗ったときからそわそわしていたためあてにはならない。
トンネルにでも入ったのかな。それとも私の勘違い。最近忙しかったし、立ちくらみでも起こしたのかな。
市内を走る電車がトンネルを通ることなんてそうそうあるはずはないのだが、あまりにも一瞬、そして突拍子もない出来事、それに対する周りの反応の薄さに、あまりにも都合のいい理屈で無理やり納得しかける春子であったが、次に聞こえた声に、春子の机上の空論はたやすく吹き飛ばされた。
「次は~羽刃切、次は~羽刃切り、お降りの方は速やかにお降りください~」
うそ、
聞き間違い、とすら思えないほどはっきり、春子の鼓膜をあの無機質な声が震わせた。
羽刃切りと。
なんで、銀陽町は、なんでこの電車、駅に止まらないの
慌てた春子は近くの窓から外の様子を見ると、そこには、
いつも春子が帰りに見る、町の景色が広がっていた。
この景色はいつも私が羽刃切りを過ぎた後に見える景色と同じ、と言うか一緒。ということは電車は、ちゃんと走ってる。でも、駅には止まらない。どうして、駅に止まった時ボーとしてて止まったことにも気づかなかったから。え、でもそんなこと・・・・・・・
再び暗転
!
そして再び春子の鼓膜を震わせる不気味なほどに無機質な声
「次は~大峰、次は~大峰、お降りの方は速やかにお降りください~」
違う、見過ごしてるわけでも、トンネルに入ってるわけでもない。この電車おかしい。
慌てて春子が辺りを見回すといつの間にか、春子と同じ側の座席に座るおばあさん、その対面の座席に座る会社員風の中年男性、そして春子と対角線上の位置にある扉の前であたふたしている若い男の四人しか車内には残されていなかった。
え、どうして、駅に止まっていないのに。なんで乗客の数が減ってるの。どうやって駅に止まらない電車から降りたの。
春子の動揺が伝わったのか、乗車してからずっと心をふるわせていた若い男が突如叫びをあげ発狂し始めた。
「もう、いやだああああああああああ、降ろしてくれ、降ろしてくれよお、おれは死にたくない、死にたくないんだああああああああああああああああああああああああああああ」
いつも乗ってる電車の中で突然乗客が叫びをあげたら、誰しも奇異の目でその乗客を見ることだろう。当然春子も。しかし、今は違った。彼を見る春子の目は奇異ではなく、同情、あるいは同意を示す目であった。
なぜなら彼の叫びは、春子の心の叫びとほとんど同じであったからだ。
未だ状況はわからない、どうすればこの状況から脱せられるのかも。ただ一つだけ分かる、コンクリートジャングルというビニールハウスでぬくぬく育ってきた春子でもわかる。
今のままでは、確実に死ぬ。
春子の頭が、心が、本能が、そう告げていた。
そして、再びの暗転
「・・・・・・・・・・・・・・」
再び取り戻された春子の視界に広がっていたのは、暗転前と同じ光景。一人の人間がいないことを除けば全く同じ光景。
「う~、う~」
うずくまる若い男に目を瞑って静かに目的地を待つおばあさん。
そして再びあの声
「次は~、次は~前島」
そして、暗転
戻った視界にいたのは、一人のおばあさん、だけだった。
状況は理解できない。この後どうすればいいのかも、何が正解なのかも、春子にはわからない。それでもひとつだけ、わかった、いやさとったことがある。それは・・・・・・・
何をしても意味がない
無駄だ
春子の脳は思考を停止していた。しかし、全ての機能を停止していたわけではなかった、ゆえに、春子は気づいた、彼女へ向けられた声に。
「あなた、若いのに、何があったの」
「へ」
今まで、ずっと目を閉じ、うつむいたままのおばあさんは突然、春子へ呼びかけた。さっきまで思考停止していた春子が彼女の問いにすぐ答えられるわけがなく、いや正常でもおそらくこの問いにすぐ、返答はできなかっただろうが、おばあさんの問いに無言と言う返答をすると、おばあさんはそれだけで答えを感じ取ったのだろう。一度深くうなずくと、
「そうね、これはマナー違反ね、ごめんなさい。覚悟はもうとっくに決めたつもりだったんだけど、やあね。」
この異質な状況で、なお異質なほどに朗らかな笑顔を春子へ向けた。
そして春子の鼓膜が再び震えた。
「次は~江野町、次は~江野町」
暗転、そして・・・・・・・・・・・
春子の目の前には、いつもの、よく見知った駅のホームが広がっていた。
ここは・・・・・・・・・・・
春子の目的地、春子が降りる予定であった駅、江野町。そのホームが春子の目の前に広がっていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
春子は何も言わず、何も考えず、そのまま家へと帰っていった。
翌日
朝、意識を取り戻した春子は一瞬まぶたを開くのを躊躇したが、心配をよそにいつもの春子の部屋がそこにはあった。
いつも通り、食パン二枚にコンビニで買ったヨーグルトとサラダを食べながら、ニュース番組を見ていると速報を知らせる文言がTV画面の上に表示された。きょう未明ダルマ池で新たな遺体が発見。しばらくすると、TV画面に発見された遺体の生前の写真がアップで表示された。
「っ」
その顔を見た瞬間、春子は昨日からずっとふたをしてきた感情が今しがた食べた食物と胃酸を連れて勢いよくせりあがってくるのを感じとり、急いでトイレへと駆け込んだ。
TVの画面には、昨晩初めてであった、最後にあの場所で見た、おばあさんの写真が大きく映し出されていた。
その後、インターネットで調べてみるとある都市伝説を見つけた。
週に一回、一車両しかない奇妙な電車が最終で現れるらしい。その電車は、月見駅より前の駅からしか乗ることが出来ず、定員は七人で七人乗っていると新たに乗ることが出来なくなるらしい。そして乗客は、月見駅から後の駅で一駅に一人強制的に降ろされていき、終点ダルマ池まで降ろされなかったものは・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近、その都市伝説を信じた人達が最終の電車に乗ろうと月見駅前の駅のホームでお目当ての電車が来るまで待つという事件にもならない事件が多発していたようで、最終の時間を日替わりで変えて対処していたらしい。そのおかげで、そんなことをする人の数は減ったらしいが、ゼロになることはなく、それでもその電車に乗りたがるような人は、まあ、そういう人なのである。
今日もいつものように出社して、日常のように春子は仕事に打ち込んでいた。
昨日のことは忘れて、忘れられなくとも、頭の奥底に沈めて、
そんな春子の元に昨日春子が残業するきっかけを作った上司が話しかけてきた。大量の書類を持って。
「あ~三浦くん、昨日に続いて悪いんだけど、君に頼もうと思っていた書類をまた忘れちゃっててね、今日も残業になるかもしれないけど、頼んじゃってもいいかな。」
いつものように表面を取り繕っただけの悪びれた顔をする上司に、春子はニッコリ笑顔で返答した
「死ね」
駅の名前の頭文字、順に読むと・・・・・・・・・・・
誤字脱字直しました。
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