泣いてないよ、泣いてない 1
一と木崎が目を覚ました。そして、案の定木崎は一に突っ掛かる。苛々しているのは、一に対してなのか、それとも自分に対してなのか。きっと、後者だと思う。
木崎自身も気付いていないわけじゃないだろう。だからこそ、余計に苛立つのか。自分が小さく思えて、惨めに思えて……。そんな風に思う必要なんてないはずなのに。
木崎が出ていくと、一はそれを追いかけて行った。他人に興味が無さそうに見えてお人好し。妹がいつも言っていた。気に食わない奴だけど、嫌いとは言い切れない要因は、きっと一のこういうところにある。
――おっと、俺も追いかけないと。
「ハル、私も見てくるね」
「……ああ。気を付けてね」
“俺”は何も聞かずに送り出してくれた。
「ありがとう」
精一杯の笑顔を向けてから俺は走り出す。二階に駆け上がると201号室のノブに手を伸ばしている一を見つけた。
ダメだ、まだだよ。そこにいる“ユキ”を今見つけちゃったら、一は混乱してこれが夢だということを拒絶するでしょ。
やっとここまで来られたんだから、今までの俺の苦労を水の泡にしないで。咄嗟に一の首筋に手刀を加えていた。見よう見まねで出来るもんだね。ふらりと傾いた体をその場に横たわらせ、俺はそっと陰に身を隠した。
◇
201号室の扉がゆっくりと開き、“ユキ”が一を見つける。ゆさゆさと体を揺すられても一が起きる気配はない。きっと今頃、麻井先生達の夢の中だ。
“ユキ”は引き摺りながらも部屋の中へと一を運んだ。扉の前に移動し、耳をすまして中の様子を探る。一が目を覚ましてからが勝負だ。
先程フロントから拝借しておいた201号室の向かいの部屋の鍵を開けて準備をしておく。フードを被り、呼吸を整え201号室の前で待機していた。失敗すればまた振り出しに戻るだけだ。俺が諦めなければ大丈夫。
そうだよね、ハル……。
部屋の中で声がした。“ユキ”の声がドアの方に近づいて来る。3、2、1、……今だ! 俺は扉を開けると素早く“ユキ”の体をホールドして廊下へ連れ出した。
「あ、あなた誰!?」
驚いた“ユキ”は当然の如く暴れて抵抗する。怖がらせたくなんてない。だけど、今なんだ。一から“ユキ”を引き離すタイミングは今なんだよ。
「はじめ君、助けて!」
一が出て来てしまう前にと、急いで向かいの部屋へと一緒に入る。ここにいることがバレないように“ユキ”の口を塞ぎ、俺だと伝えるために小声で“ユキ”に呼び掛けた。
「ユキ、ユキ! 俺だよ。ハルだよ、ユキ」
「っ、ハル……?」
俺だと分かると抵抗を止めて、大人しくなる。
「ごめんね、ユキ。怖がらせてごめん。少しだけ……、少しだけでいいから静かにしてて」
向かい合わせになり、両手を握りながらお願いする。俺の目を見て、何かを察してくれたのか、彼女は静かに頷いた。
ユキ! と廊下で一の声がする。その声に“ユキ”がピクリと反応したので、俺は人差し指を口許に当てて彼女を見つめる。すると、握っていた小さな手にきゅっと力が込められた。足音が段々遠ざかって行くのを確認した俺は彼女をベッドへ座るように誘導する。素直に俺に従いベッドに座った彼女は目の前で両手を握ったまま踞んだ俺に説明を求めた。
「……ハル?」
「怖がらせてごめんね、ユキ。でもね、一の為なんだ」
間違いではない。これは、一を夢の中から救い出すために必要なことだから。
「はじめ君の?」
「うん」
話している途中でハッ――と“ユキ”が驚いた表情を見せる。
「ハル……? 泣いてるの?」
柔らかい小さな手が頬に触れた。そこで、初めて俺は自分の頬に伝うものに気が付く。
……あれ、俺笑ってるつもりだったんだけどな。
頬に触れている温もりを確かめるように自分の手を恐る恐る重ねた。
目の前にいる君の手はこんなにも優しくて、あったかいのにね。
ハル……。
――分かってるよ。君が一の夢の中の君だってことはさ。現に、君は俺のことを“ハル”と呼ぶ。
でもそんなのどうだっていい。君は君だから。
俺の大事な大事なただ一人の女の子だから。




