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深い山間には、様々な遺跡が遺されている。
当時といっても、遺跡の年代測定ができれば千年以上も前と出るだろうし、朽ちている石柱や石壁だって同じ頃のものとはとても思えないほど大きく形を変えている。そんな千年以上も前に、この地で『さいしょの人々』が都を築いて国を興していた。
山岳民族の人々が祖と呼ぶ『さいしょの人々』は、一説によると神様だとする。
いや、実際に神様としてもその子孫には、神通力めいた力は備わっていない。
時々に生まれる勇者の力を『神の御技』とする考えもなくはないが、世界に4人いる賢者の見解は――特異体質であろう――と、少々夢のない話を残している。
賢者だって、齢百数十と長寿を誇る御技めいた恩恵を受けているし、神々の力と信じたい人たちの純真な希望を壊すことはないだろうと。ま、その山岳民族の人たちは蛮族と戦える勇者の力、いや、勇者を待ち望んでいた。
が、村は衰退し、女・子供は少なく、人は働き口を求めて南の帝国を目指す。
もう、勇者を輩出するだけの地力がなくなりつつあった。
奥深い山向こうの更に深部では、ホブガブリンの若い兵士が喉を鳴らして白い息を吐いていた。
数は300余りの群れを成し、肩に矢傷、眉間から頬へ刀傷を負ったゴブリン・ロードが二匹のホブガブリンのメスを頭を鷲掴みで引きずって登場する。当然、ホブガブリンのオスが憤り、罵声か怒声にも似た声を挙げている。
およそ、この一群につがいのオスがいるのだろう。
《やかましいわ! 外道ども》
~的なうねり声を上げると、袖に立っていたゴブリン・チャンピオン(大柄な小鬼?)がホブガブリンの数人を突き飛ばしている。
体格差は歴然だった。
2mちかく大柄なチャンピオンに1mを少し越えた程度の中肉で後頭部がやや大きな亜人は、簡単に捻じ伏せられた。最早、勝ち目がないそんな感じだ。
《斥候へ行けと命じたよな? 誰が勝手に人間を狩れと命じた???》
《お前らは考えるな、命じられた事だけを遂行せよ!》
と、吼えると、ホブガブリンのメスを二匹、チャンピオンの前に放り投げた。
チャンピオンの視線が熱い。
メスが身じろぎ、身体を縮ませて震えている。
ひとりは夫の名を叫び、悲鳴をあげる。
《余計なことをすればこうなる》
ロードの咆哮に300のホブガブリンが血の混じった涙を流してる。
彼らを恨めしそうに見上げ、前列の数十人が他のゴブリンに言われもなく殴られた。
いつかきっと、殺してやる――と、誓ったことだろう。
ゴブリン・ロードが幕舎に入ったのは月が天頂に昇った頃だった。
ランタンの灯りに彩られたメスのホブガブリンが入ってきたロードに気づいて、絹の衣を脱ぎ始めた刹那、天幕の影からローブ姿の人が現れた。
ホブガブリンの娘はあわてて、衣を秘部に寄せて寝床の奥に潜り込む。
「幾許も無くお前の命数はなくなるぞ?」
ローブの袖を捲り上げて、卓上のワイン瓶を寄せる。
歪な形の器に注ぐと、卓上に黒い染みが広がった。
「器が壊れているのか、注ぐ量が拙いのか」
《俺の命数?》
「分かっていて焚きつけてるわけではないのか?!」
《何を》
「まあ、いい。そろそろ頃合のようだ、準備はできているか」
不恰好ま器に注いだワインを一気に呷る。
当然、口に入ったのはいくらも無く、その殆どが顎の向こう側へ流れていった。
ローブの中が気持ち悪いことに。
「畜生、何だこの器は?!」
《そう噛み付くな、その盃は、奥の娘が俺のためにこさえたものだ》
照れたように側頭部を掻いている。
「娘?」
《気の利くいい娘だ... 乳房はまだ小ぶりだが、尻の具合はなかなかでな》
と、のろけたロードを前にローブの男は寝床の影に隠れた娘の怯えた目を見ていた。
この娘は、広場にいた長らしきオスの娘と見抜いて。
「現を抜かすのも大概にしとけよ、お前たちの侵攻に併せて計画も進行する」
《任せておけ》
ロードが懐から羊皮紙を引っ張り出す。
《約束、ちゃんと守れ...人間》
と、今更片言で吼えてみた。
「話せないフリは他所でやれ、我らの前ではその首飛ぶと知れ!」
《...ツレナイ奴だ》
ホブガブリンの一群がもぬけの殻となった村を襲ったのは、子爵らの第一軍と二軍が最初の橋頭堡に戻った半日遅れだった。当然、その日のホブガブリンとゴブリンの間で激しい衝突が起こり、ついに溜まっていた鬱憤が爆発することになる。
帝国が築いた砦を盾にホブガブリンのオスたちが手に棍棒と石を持って応戦する。
だが、その抵抗は人質のメスたちを前に脆くも崩れるという結末を迎えている。
その崩壊というのが、族長の娘ことロードの愛妾が自らの才覚で人質のメスを引き出し、抵抗するオスたちに同士討ちを促すものだった。かくして、妻や娘を取り戻すため、或いは恋人や妹を救い出すために徹底抗戦を唱える主流派を一掃する形で幕を引き、ロードはご満悦となる。
また、ロードは愛妾に将軍の地位を与えて傍らに深く置くことに決め彼女は貪欲までに知識を得る形となっていくのだが、これは少し後の話になる。
そうして、ゴブリン軍は南進を再開する。
もぬけの殻の村を襲って、わずかに残された備蓄の食料を得ながら寒い山を下りる。
百数十年ぶりの下山となるが、彼らにはちょっとした後ろ盾がある。
北域鎮台の城壁はジャイアントが総出で掛かっても崩せない頂を持つ巨大な壁で守られている。とはいえ、ジャイアントなんてこの地域にはいないし、仮に彼らが手を貸してくれることはない。要するに寒いのが苦手なのでこんな辺鄙な地に来るはずが無いというだけのこと。
ゴブリンたちは小柄な生き物だ。
巨人で届かない巨壁が小鬼だからと簡単に登れる訳でもないが、内側から招かれたらどうだろう?
彼らの後ろ盾はその内側にあった。
約束通り、城塞の更に南側の下水道の扉を開けてもらっていれば。
ロードの能天気な笑みはこんなところから来ている。




