古希の呪い
古希の呪い
「あのさぁー世間ではさー、大学教授をどんな人種だと思ってるか、わかってますかー。市民はあなたたちが思いこんでるような尊敬されるエリートだなんて、思っちゃいないんだよー、政治家とつるんで私利私欲に走る汚い連中だと、そう認識してるんだ。役人の秘密主義と自己欺瞞と責任転換能力の糖尿病的持続力にたけた厚顔無恥の冷淡で協調性に欠け、底意地の悪いズルの代名詞、そう思われてんだよー」と会場の人混みから演壇で挨拶中の教授にむかってブリキの太鼓を叩いたようなギザギザの声があがった。参会者の誰もが耳にしたが、その声に表むき反応を示す者はひとりとしていなかった。会場では大小も形態もさまざまな<ゴーゴリの鼻>が所狭しとせわしく飛び交っていた。<鼻>は本来の持ち主にではなく、これぞと思う別人に飛びつくから、マスコミ受けのいいひとりの人物が五人も六人分もの鼻を重ねるしまつで、自前の鼻を奪われた人物は恥を隠すためにうつむいたり、ナプキンで鼻のなくなった間ぬけ面を隠したりと工夫に手を焼かなければならなかった。鼻なしは奪われた鼻を戻してもらわない限り退出できない異常事態となっていた。声を挙げた反逆者はパーティーに参加したのを後悔して、長居は無用とクロークに外套の番号札を渡した。外套を待つ間、彼はそのままその場から会場を気のぬけた眼差しで眺めた。愛煙家が一服する寸前に現実から遊離する瞬間があるけれども、彼はそれと似た時間の裂け目にふっと迷いこんでぼんやりした。
教授の耳にはまったくナンセンスな罵詈雑言でしかない反逆者の揶揄であったが、この日を境に<つき>が落ちたかのように生活の流れに狂いが目につくようになった。落選の責任を誰かに押しつけて自尊心を回復するのが今までの手口だったが、今回はどうもうまく運べなかった。落選した理由は取り巻きには自明のことだったが本人は最後まで理解できないことだった。今までは手をあげれば即希望どおりになった。口にした言葉は誰にも邪魔立てされずに実現してお膳の上に並ぶものであった。教授の生活はたとえ面従腹背の臭気のある背信が潜んでいたとしても、権勢が及んでいる限り反乱は波風が立たぬように馴らされていたから、教授がメガネをずりおろしてにらめつけながら発言すればそれは命令となり、命令は同時に既成事実の追認でしかないという時短効果を生んだ。ただ奇妙なことに政治家や団体の長に対してありがちな幽霊の配慮とも呼べる<忖度>がなかった。この現象は学者が根本的には他者を認めないという実体を超えることがない証でもあった。そんな人物に他者の欲望に自分が絡めとられてこそ創造的な価値を生む事情は理解できなかったし、手間暇かけて理解を深める行為を無駄の骨頂でしかないと思って切り捨ててしまう。教授はこれら些事雑多な手つづきが人と人との関係をつくるという原理に無知なまま年老いてしまった。要求する以外に人に伝達するすべを知らなかった。ほとんど傲慢不遜な態度で教授生活をやり過ごしてきていちどたりとも自分を疑ったことがなかったけれど、その傲慢さに近年影が差して、内心忸怩たる思いに駆られても短気にどやす声が控えめになって、気の弱さが露呈しないかと不安に怯える小心さがほころんできた。本心を知られるということは知った人物のしもべになる屈辱だと信じている。ところが、この日の教授は、狷介にして老獪な猜疑心を忘れ、酒の酔いだけではなく盛りだくさんのお世辞にのぼせ切ってしまっていた。教授は聴衆に紛れて放たれた<ブリキの太鼓>を木っ端微塵にしておくべきだった。独裁者が凋落するきっかけは本人がまったく自覚しないいっときの不始末からはじまる、たかをくくったときにこそだ。歴史から学んだ者は学んだとおりに勝利し学んだとおりに敗北する、どうにもならない。
教授はブリキの太鼓に反撃するどころか、意外にも、はにかんで唇をおちょこに結んだだけだった。会場はアンソールの『仮面の中の自画像』に描きだされた百鬼百面の顔がほろ酔い気分でざわめいていた。結局、教授の挨拶は掉尾の言葉が凍死寸前のツルの鳴き声のように鼻をぬけて、参会者たちのそっぽをむいた耳をひっかいて終わった。演壇を降りる際よろめいた。教授本人にしてみればたいそうなことではなかったけれど、教授の後釜を虎視眈々と狙う後輩にとっては千載一遇の兆しを目撃したのだから、即座に、威張ったハエがカエルにはにかんで命乞いした、とどこからか声があがった。先例の反逆者の場をわきまえない露骨な批判とは異なって、今度の揶揄には参会者共通の野望が巧みな比喩に譬えられていたから受けやすかった。会場は遠慮のない哄笑で揺れた。
教授は古希を迎えた夏ごろから記憶力の衰退に怯えるようになった。記憶力の強靭さは学者として基本的な才能であるというだけでなく、教授のそれは優秀な学者のなかでも群をぬいて教授を教授たらしめてきたものだっただけに最も恐ろしい強迫観念だった。照葉樹の盛りのように艶めいて生い茂った記憶力も人生の風の移り変わりのたびにハラハラと落葉して、散った葉の一枚一枚はそのまま戻ることはなかった。教授の扁桃体はしぼみ、海馬は後ろをむいて歩きだし、前頭葉の森はかさかさに乾燥して砂漠化した。記憶力が落ちるとなにを要求したかすぐに忘れるので、日常での仕事は遅滞するし約束はすっぽかすで、その影響は信用の失墜によく現れた。近所の顔見知りが日課の散歩の途上で教授とすれ違うことがあるけれど、その都度、教授に違和感を覚えることが多くなった。目礼を交わすのが慣わしだったのがどうも教授には顔見知りの顔が見えていないようで会釈を返されることがなくなった。認知症の患者の目が空虚な感じを与えるのと似て、視線上での手応えが返ってこない。家庭内ではある日とんでもない失態をしでかしていた。教授は鬼籍に送ったばかりの友人を追憶して、生存中に献本され、未読のままにほったらかしていた書籍を何気なくひもといた。学者どうしだからライバル心が二人の関係性を複雑なものにしてきたけれど、こうして一方が死んでしまうとこれ以上の変転がないわけで、我のつっぱりあいのなんと非生産的であったことか、としおらしく述懐した。しかし黙読が進むにつれ、顔面がつっぱりイボイボが吹きでてきて目がつりあがった。いきなり興奮して立ちあがると、怒り心頭のまま本を机に投げつけ、友人の死に対して抱いていた敬虔率直な気持ちを身震いして唾棄した。短気を起こした勢いで友人宅にタクシーを乗りつけた。教授本人が弔辞を述べたばかりだというのに、遺族に友人を呼びだせと怒鳴りつけた。怜悧な頭脳と評判だった脳みそが沸騰して支離滅裂になりながらでき立てホヤホヤの寡婦に詰め寄ったから、喪服にしっとりと悲しみを包んでありし日の思い出に沈んでいた未亡人は教授のあまりの剣幕に仰天してうろたえ、やがて真っ青になり寂しげにまぶたを伏せた。白いハンカチを握った指先が震えていた。教授は心あらずの状態で未亡人の困惑した蒼白な表情をねめつけているうちに、一瞬めまいを起こし、愕然として我に返った。目に現実として甦ったのは美しい未亡人のしょげかえった姿だった。教授は弁解の余地のなさから尻から鼻の先まで羞恥心で真っ赤になった。
教授の認知症の疑いが周辺では噂となりやがて陰口となり現実味が帯びてくると、教授も記憶力の衰退に恐る恐る疑念を抱くようになった。教授は教授らしい方法で記憶力を検証するために一覧表を作成した。レベル1は、レベル2は、レベル3は、レベル4は、と忘れやすい順に四段階に設定を試みた。結果は、悲惨だった、固有名詞の上と下がつながったものは各レヴェルで二、三あればいいほうで、一覧表は中途半端な空白が並ぶ酷いありさまを呈した。苗字を思いだしたのはいいが名前がさっぱりだったりその逆だったり、存在していることは覚えているにもかかわらずなんだか路地の角のむこうに(そいつの)影の気配はするもののさっぱり実体が現れなかったり、記憶の衰退は予想を裏切って実に深刻な局面にあった。教授は情けなくなって胸苦しくなり涙がこみあげてきた。それでメガネを額の上にずらしてこぼれてやまない涙を子供のように手をかざしてぬぐった。座敷から庭を眺める、色づきかけた錦木に母の面影が揺らぐ。声を出して泣いた、メソメソ泣いてみた、ワアワアわめいてみた。おかあちゃま、と口にしかけたがそこで我に返った。気のぬけた状態のまま日が暮れて、家のなかが物寂しい影に静まり返っていた。メガネの所在がわからなくなって家中を探した。現在に近くなるほど自分の行動が記憶に残らなくなっていた。教授は著述よりも講義よりもエネルギーを消耗して座卓にしょげかえった。頭に手をやり手に触れたメガネをおろした、その瞬間でさえその物が探していたメガネだとは気づけなかった。何度か細かく息を吐いて、メガネを睨んで、これはなんだ、とつぶやいた。それから大きく息を吸った、そうしてから座卓のメガネを恐ろしい想いで手にとった。——<恐ろしい想い>とはこうだ、大根に鬆が生じるように古くなった記憶にも鬆ができる、過去が現在に流れ着いた瞬間、過去の記憶が泡となって消えてしまう。メタンガスが湿った土壌からプスプスと漏れる音と似ている。泡が破裂する音は脳みそに移植してきた知識という茎が一本ずつ消滅する痛ましい音で、それは現在という膨大な命の貯水池から存在感が消えていく証なのだ。泡沫が消えた後には細かい空虚が残る。脳外科医を訪ねると、あなたの神経細胞はかなり退化した、と謹厳な物いいをしながら顔の下には意地悪な嘲笑を忍ばせた。
寝起きが悪くなり人前にでようとはしなくなった。電話のベルが玄関の靴箱の上で響き渡っても受話器まで行くのが億劫でほったらかした。家と密接に接岸していた社会の岸辺がすごい勢いで遠のいていった。家族のように家を出入りしていた者も得るものが乏しくなれば日ごとに減り、とうとう誰も訪ねてはこなくなった。とり巻きのざわめきが風とともに去るとはじめは孤独感や寂寥感に心細くなり自暴自棄になりかけたが、わがままし放題に育った性格は現実処理に疎いだけに社会から孤立するとはいかほどのものかといったまだ物見遊山的な気分が残っていた。そんなわけで危機意識というほどの圧迫感を覚えず、現状認識としてはどこか楽天的な影が踏み潰されずに残った。過去のすべてが否定されるものではないから得意な場面も思い起こされる。そんなときは栄光に包まれた光景が甦って、意気軒昂に鼻息は強く、血潮の踊る感覚が、それが一時の擬似的な燃焼であっても、打ちひしがれた日常を忘れさせた。今度は恩知らずどもへの憎しみが俄然嵩じて腹が煮えくり返えった。憎悪と自己否定が繰り返される大時化に見舞われるが、翻弄されながら渦中に耐え切るしかなかった。<揺籠>から<墓場>まで母親に抱擁されたなま温かな乳くさいまどろみから覚めてはいなかったのかもしれぬ。母にしてみれば、傲慢に見える言動は極端な率直さが誤解を生んだだけに過ぎなかったし、なによりもまだ<子供>に過ぎなかったのだ。親になったことはないから十分な分析ではないかもしれないが、おそらく一般的な見解では両親にとって子供の知能の発達はさておき、感情の成熟のほうがなによりも気にかかったのだ。母の目ではようするに傍若無人な振る舞いは無邪気な愛くるしさと映っていたに違いない、なんだか面映いが。昨日のことは思いだせないが、赤いベレー帽をかぶり、白いソックスを穿き、黒の半ズボンで昆虫採集していたころのことは細部に至るまで思い起こすことができる。少年のころから周囲の子供たちと遊ぶよりも年上の学生を相手に時間を潰した。同年の遊び友達はほとんどいなかったが、少しも寂しい思いはしなかった。父の周りにはいつも学生や助手たちがいて賑やかだったし、彼らにしてみれば厄介でクソ生意気な坊主を一人前として扱ったし背伸びした会話の相手にもした。こうして当時を振り返れば、学生や助手たちの立場からすれば父に対する礼儀でもあったしこびへつらいの感情がそうさせたのだろう。今ならわかっている、人は曼荼羅のどこに陣を取るか、それが問題なのだ。幼くしてうぬぼれの強い自我は彼らの社会的立場にも野心にもまったく無知であり無頓着であった(その行く末が現在に繋がっていたわけで)。追従のへりくだりで遊ばれているとはつゆ知らずに、相手がいかに年上であろうと欠点を突き崩して恥をかかせることを一種の快感として身につけてしまったから、自分に足りない知識は夢中で取り入れようと勉強には同世代のレベルをはるかに凌いで、競争意識が嵩じればそれだけ敗北観念を毛嫌いする心理が生活の場を支配するようになっていった。こうした強迫観念に近い想いを抱えて飯を食うように日々の勉学に精励したから野望の達成のような行政府からの信頼をかちえたのだ。
宅配の朝食をすませると習慣で机の前に正座した。以前なら輝かしい賛辞を頭に思い浮かべながら原稿にペンを走らせたものだが、選挙敗北後は四面楚歌を警戒するあまり書きだしては反故にする<繰り返し>を繰り返すばかりだった。手持ち無沙汰の状態が長い期間つづきマスコミや関係筋からの依頼で原稿を汚す機会はほとんどなくなっていたから、暇を持てあました唾棄すべきガラクタの一員と成りさがった悔しさと悲しみがないまぜとなった日を過ごさなければならなかった。ある時間帯では気を取り直して、起床から就寝までの一日をどう過ごすべきか真剣に計画した時期もあった。しかし人まかせの生活の反動は深刻な痴呆状態を招くだけで、結局はのっぺらぼうの一日をじっとやり過ごすだけだった。食事の宅配業者を知ったのはたまたま郵便ボックスにチラシが配られてあったのを十把一絡げに捨てる前に目にしたからだ。そうでなければ世のなかにこうしたサービスがあることなど知りようがなかった。それからは投げこまれるチラシ、ビラの類は捨てずにスクラップしている。冷蔵庫のドアはマグネット式の<水道屋さん>でひしめくようになった。雪見障子の窓からぼんやりと庭を眺める。庭の光が障子に反映して木々のささやかに揺れる影が机に押し寄せる、光と影に揺れながら水面のさざ波を連れだし、いつしかしばらく訪ねることのなくなった別荘のある湖水まで運んだ。たくさんの思い出が別荘の湖には浮かんでいる。ある武将の悲劇が波間から頭にちらついた。時代潮流に逆らって恩義を貫けば待つのは悲惨な流刑だ、この事実は単に運命というものではなく明確にメカニズムがあることなのだ。歴史の底流には必ず必然性が伏流している、恩義という過去の遺産に加担する以上威勢良く流れ寄る新時代の潮流によって古びたものは淘汰される……いつの時代でも……こうした逸話に真実を求めようとする本人こそがもうその遺物なのかもしれぬ。風が立って庭の金木犀の強い香りが流れこんだ。ふ、と我にもどった。我が終の身にふさわしい最後の閘門を探さなければならない。それは死の国へ渡る舟を探すことになる。いったいどんな舟がふさわしい、この偉大でそしてボロを着た王さまの舟として。幼い気持ちで空想に浸ることが静まり返った家の孤独を和らげる、悲しい話であればあるほどに。
納屋があったことを思いだし、数十年の空白に少々恐れながら家捜しして乳母車を見つけた。乳母車は「塗箱」と呼ばれた漆地に<下り藤>の家紋が入った大きな車輪の乳母車で、埃まみれだが贅沢な仕立てであることは想像がついた。乳母車の座席には振り子時計と丈30センチほどのキューピー人形が丁寧に梱包されて収められてあった。二つの品を乳母車に収納していたのは納屋のスペースの節約のため、と考えられたが、両親は深い意味をこめたのかもしれない。母は白い長手袋をしてこの乳母車を押しながら商店街までの楡の小径を往復したに違いない、とか、父は背中をまっすぐに伸ばして母を守るようにゆっくりと後をついてきたに違いない、とか、まぶたの熱くなる思い出に揺れ動いた。しかし思い出の光景は、そうありたいと、社会から遠ざけられた惨めな想いが描く陳腐な郷愁に過ぎなかった。
訪問客が皆無となった家は障子を閉めたり襖を閉めたりすると家内に素性の知れない泥棒とか宿無しとかが忍びこんでいてもわからないから、全部開けっ放しにしていた。もう慣れたものだから明かりに浮く部屋と闇に沈んだ部屋を縫うように歩けたが、手持ち無沙汰が物寂しさに、物寂しさが寂寞へとグラデーションの濃度が庭の保存林の幹に濃くなっていくのは防げなかった。
刺激のない時間、停滞は人の精神だけではなく手厚く育てた庭にも家の庇に差す光にも感染して家そのものが澱みに沈む。生活の品位は錆び財産もほころびがはじまった。取り巻きに取り巻かれていた日々は野心と虚栄の持つエネルギーが花開いて夜空を焦がしていたから、その華美な時間帯に溺れて衰退には気がつかないままやり過ごしたかもしれないが、満たされない過去を持つ老いぼれは路上をさまよった挙句とうとう話し相手を失い、自分にむかってブツブツと独り言をいいはじめる。結末のない話をだらしなく垂れ流しにしてあちこち歩き回る。闇に紛れた影が哀れな姿となってついてくる——どうしてこんなことになったのか、わからない。後悔とは人生という玉手箱の煙だ、といったやつがいたが。
小鷺が庭の池に降りたのを見て、外出しようと思い立った。
母を慕う気持ちが懐かしさを引き出して、母の面影を胸に浮かべながら、そぞろに楡の小径を歩いて、両親の生前にはよく家族で利用したレストランへむかった。その店は当時から目立たない場所にあった。日ごろ人の出入りの多い家だったから家族だけの団欒を求めるには絶好の立地条件であって、父は息ぬきを兼ねてよく利用していたからシェフとも気脈を通じていたように思う。世間とのつながりがことごとく切れた今となれば却って気も楽だ。小径そのものは楡が古木の風格を増したくらいで特に変わっていなかったが、さすがに商店の街並みは随分と変貌していたから道筋はいいと思うものの、景色はあれもこれも微妙に記憶の色彩とずれて、あちこち迷い、店を探しだすのに一苦労した。記憶が実に些細なところからつながって出窓に緑色の飾り屋根のついたおとぎの国にありそうな店を見つけた。
シェフは代替わりしていて、また家族が亡くなってからは一度も立ち寄ったことがなかったから、どちらの立場でもはじめての対面だった。救いだったのは店内の飾りつけや壁の色がどこも変わってなく以前どおりで、記憶にあるのと代わり映えのないしとやかな店だったことだ。両親と店とのつながりをシェフに仔細に語って聞かせたい気持ちがあったが、大学とは異業種の世界でどう語りかけていいものか、どういう態度で接していいのか慣れていないから砕けた世間話などできるはずがなかった。その点で異言語の街に降り立ったような違和感を覚えた。ときたま思いあたるが、過敏な感覚は自意識以前に些細なことに躓いて不安のど壺にはまる。フィリピン系の青年とおぼしき澄んだ濃い眼もとの給仕係が微笑を浮かべて注文を訊きに寄ったときは、年甲斐もなく口もとを緊張で痙攣させながらテーブルの片隅で恥じらってしまった。ここが大学だったら若い学生などたわいなくあしらったものの、無意識な反応で自分でも理解できなかった。臆病風を隠すために冷水で曇ったグラスを手にして水をのどに流した。給仕係の勧めるままにワインを指定して動揺を取り繕い、したり顔で即座にビーフシチューを注文した。ビーフシチューは当時から食事のたびに必ず依頼したお気に入りだった。給仕係が軽い会釈をしてもどった後、彼の背で隠れていたむかいの出窓に薄紫色の薔薇と淡いピンクの薔薇がかすみ草と一緒に活けてあるのに気がついた。かすみ草は母が一番愛した花だった。こうして会いたくもない者と鉢合わせの心配のないレストランで座っていると、家族の懐かしい記憶がふつふつと心のなかにあふれて在りし日の生の輪郭を取りもどせる気がしてくる。
素晴らしい書物を読んでいるときには多少の瑕疵も愛でることができるように、料理が多少期待ほどでなくても親身になって好意的に受け入れられた。街はまだ宵の口だったがシェフに見送られてほろ酔いの帰り道に着いた。
ビワの葉が暑気を発散しきれずに垂れ下がって、木下に強い影を落としていた。レストランでかすみ草に触れたことがきっかけとなったのか、はっきりしないなにかの力ではちきれんばかりに突き動かされて納屋での<昔探し>がつづいた。納屋では手にするひとつひとつが現在に目覚めた瞬間から時間にむしゃぶりつく、気がつけば夕暮れという日もあった。母が愛用した絵かき用のスモックが見つかったので乳母車に入れてからビワの木の蔭まで運んだ。母は父とわたしが昆虫採集に高原に遠出すると同伴して絵を描いていた。母は若くして亡くなったから、思い出にあっては歳をとることはなく綺麗な若い母のままだった。当時の悲しみは永い年月を経て今の幸運になった——と、そう思っている……しかし、母はもうこの世にはいない、それは現実だが。夢のなかでは当時の年齢に相応しい言葉と気持ちで物語っているのに、目が覚めて思い起こしてみると、輝きや出来栄えの鮮やかさはたちまち黒ずんでしまい、できそこないの戯言と正体をさらけだす。目が覚めればうんざりする結末を苦痛な感情と一緒に思い知るばかりだ。
少しよろめいた、このごろ平衡感覚を崩す回数が増えたような気がする。納屋からビワの木の下まで乳母車を運んできただけだが。昨日は縁側にあがろうとして足があがらなかった。腕力はもともと若いころからなくて補虫網とペンさえ持てればよかったからどうでもないが、脚力だけは衰えさせたくない。下駄を履いたままで乳母車にまたぎ乗った。箱の内側は布張りでところどころ擦れて薄くなっていたが、クッションは思いのほか痛んでなかった。足を膝まで箱の外へ突きだしてあおむきになると腰から頭までがすっぽりと収まった。まだまだいけそうだ、十分に休めそうな気がする。ビワの葉がさやぐたびに木漏れ日がチカチカして目に痛く感じられたが、黙ったまま見つめていると幻覚を誘いだされそうになった。
気持ちを落ち着かせる。法師蝉が鳴いている。メトロハットの父の気配が庭を占める。くたびれた薄墨色のハットを手放すことのなかった父は<鏡板>のようにわたしたち母子の背後に立ってがっしりと守った。父を思い起こすときに心に映る写像はいつもきまって後ろむきに首をよじり父を見あげている。今考えていたことが、蝉の声が止んだものだからどこかへ飛んで行ってしまった。飛んで消えた思いの断片がビワの木漏れ日に舞い、あれとこれとと追いかけているうちにまぶたが重くなって、寛いだ静けさが乳母車に降りてくる。あくびをして、母のスモックを胸にかけた……父のハットも納屋に残っているかもしれない……そんなことが閃光のように差しこむと、メガネやステッキ、灰皿や螺鈿を貼った煙草入れなどが後を追うように光り輝き思いあふれた。ひとつひとつの思い出は綿入れの繭のようで、繭にくるまって目を瞑れば魔法の舟が与えられた喜びでいっぱいになる。ミルクの泡に包まれたような快適さが募るに任せて、乳母車にますます背を丸めてこもると、過去のなにもかもがみずみずしく冴えわたり、思い返され、父の鋳鉄のような感触と母の甘酒のような匂いががこみあげてきて、人生の土壇場で汚物を投げつけられた悲痛な傷を治癒する力は両親の深い無垢な抱擁だけだと知れる。世間ではこのごろ親殺し子殺し妻殺し夫殺しと殺意の導火線はその範囲が家庭内に縮まってるようだが、特に親殺しの犯行の理由は信じられぬことだが生理的な幼稚さのレベルだ。ちょっと前までの、戦前の家族にはそうした不幸はありえなかった。父母の時代の人々には家族に殺意を抱くまでは刹那的にあったとしても犯行にまで至る生活なぞ突然変異以外ありえなかった。それが現代は、敷居につまづいた感じで親を殺す。人を敬う心の風土は……小津の映画は技法だけでなくこの風土を描ききっているところを評価しなければ、と映画通の外人にはいうのだが、しかしその原形はもうここにはない、跡形もなく……ああ、思いだした、さっき蝉が鳴いたからど忘れしてしまったことを思いだした。あの日、学士記念会館でわたしを罵倒したやつのことだ、あいつのことじゃどれほど親身になって好意的に接してきたか、それなのにああも悪態をつく、つけるとはどういうことだ。思いだせば腹が立つ。思いだすだけで気が滅入る。帽子を目深にかぶった安っぽいシャツの男、ああいう者に限って顔を隠す……しかしともかく、なんだ、わたしはともかく負けた犬なのだろう、嫉妬と裏切りと復讐によって。気がつかなかった男でも嫉妬するなんて。前々からあいつは裏切るだろうとは警戒していたんだが、そのときになるとすっかり忘れ果ててしまっているから裏切りを許してしまう。しかししつこいやつもいるもんだ、一度めちゃくちゃに怒鳴りつけたことがあってその後すっかり忘れていたことでも執着心の異常なやつがいるもんだ、いつまでも復讐の機会を狙ってたんだからな。あっまたツクツクが鳴いたぞ。もしこの乳母車が両親の許へと流れ行く舟であれば、残ったありったけの力で漕いでいこう。でもなんだ、この家も見事に誰もいなくなったなぁ……そういえば、意識の尻尾だったか記憶の尻尾だったかウサギの尻尾みたいのが誰もいないかんかん照りの路地の角を曲がりしなに振り返って舌を出した……あれはなんの符牒か。
玄関でクリーニング屋が叫んでいる。ちわぁー、こんちわー、クリーニングです。今日一日で黒い腹をまっさらにしあげます。当カモメクリーニングは漂白剤を使用いたしません。有機洗濯剤を使用してナチュラルな感触を残しますから、とても快適に使い回しができますし有効期間が長いのが特長です。そろそろいかがですかー。
玄関で廃品回収業者が叫んでいる。お暑うございー、お暑うございー、おうちで不用になったものはなんでも引き受けますー、ございませんかー、粗大ゴミでもテレビでも骨壷でも廃品回収料は無料でーす。ございませんかーもういらなくなった家具など、整理なさってお部屋を広くすれば、この猛暑も健やかに過ごせますよー。ご不用になった時間も思い出もお高く買い取りますよーございませんかー。リサイクルはいたしませんから個人情報は保護できますよー。砕いてチップにして火力発電に利用するだけですよー。
ふ、っと目が覚めた。目が覚めたというより目を開けたまま意識を失っていたようだ。短い時間の白昼夢を見ていたのかもしれない。玄関から聞こえていた声は幻聴に違いないと、納得するだけだ。クリーニング屋にしろ廃品回収業者にしろ今まで接触さえない人物で、廃品回収業者にいたってはこのような職業自体一度たりとも目にしたことも耳にしたこともなく、そもそもこの世に影も形もまったくありえないものだったから、名前がでるはずのない代物だ。それがなぜこの期になってでてきたのか、解釈に苦しむ。乳母車の底にべったり背中をつけて埋没していたから息苦しさのあまり良い夢を見なかったのかもしれない。それにもう今更の感のある使い減りした世界の底にいつまでもいるから、カビと細菌で毒ガスが発生してわたしの実体は腐食しミイラ化がはじまったのか、ありえるようなありえないような……屈辱の傷はなかなか癒しがたい。こうして——ああ、そうかあれだ、事実は、そのどれでもない、いやそのどれでもは事実だろうが、それとは別にクリーニング屋と廃品回収業者と称する二人組が誰もいない廃屋同然の家を訪ねてきたのは毎日十把一絡げで処分していたチラシだ。そうだ、チラシがとうとう入りこんだ。いかんなーこの状態がまかりまちがって次々とやってこられたんではうるさくて困る。もう誰もこなくていいんだから、厄介なことだ。
ちわーこんちわーいらっしゃいませんか、こんちわーわたし、町の不動産屋ですがこんちわーす、いらっしゃらなければごめんなすってあがらせていただきやすよー。みっつ数えやすからいらっしゃったらご返信を。いっち、にー、さーん。へい。随分と年代物ですね。なかなかいい素材を使ってやす。これは解体してどっかで移築するといい。生き返ります。いいもんはそこで潰れても場所、ロケーションを変えると息を吹き返すもんですよ。こういう古き良き時代の和洋折衷家屋っていうのはいかにも日本文化の証明書なもんすから、外人さんに喜ばれてましてね、新築物件よりずーと受けがよろしんで。これはめっけもんですな、庭もかなりよろしい。喜んで買い取りましょう。ご安心くださいな、アフターケアは十分に取らせていただきやす。先生のお家はお父上様もご母堂様もみなさん青山墓地でしたかな、それとも雑司ケ谷か谷中でしたかな。ま、どこでも同じでっしゃろ。死ねばその辺に散骨しちゃいますから。
またややっこしいチラシが舞いこんできた。いちいち言葉遣いに癖がある。クリーニング屋に廃品回収業者に財産処分の不動産屋が並べば、なんとなく先が目の前に並んだようなものだな。由々しき事態到来だ、どうすればいいのか、うーん、こういう連中とやりあうのは苦手だ、うーん動悸がする。今夜は面倒だしその気にもなれないから、こういうときは聞こえなかったふりをしよう、知らんぷりするしかない。口でいってもこいつらとわたしの言葉は似て非なる日本語だからなかなか意図も気持ちも通じない。いつからこんなにわたしの日本語と現代の日本人の言葉は違ってしまったのか。いやー、おそらく現代人は短絡思考となってそれに伴ったいろんな状況で言葉も短略化される仕組みとなってしまったのではないか。メールとかいうやつに使われる言葉はそのほとんどが通信機器の経済性に従って使用されていくうちになんでも短く省略されている。言葉が極端に短縮されて使用されるようになれば当然日本の言葉が持っている豊富な多義性が損なわれてしまう、一語はひとつの意味しかあてがわれないという、つまりそれは隠語化して使用されることに他ならない。これではそのグループと無縁のグループには通用しなくなる、という同じ日本語で同じ言葉でありながら摩訶不思議なそして非常に不幸な言語状況を強いられているということだ。<雨天中止>を今では<雨中・ametyu>といっている、<出入禁止>を<出禁・dekin>といっている。これは世代間の断絶といったことではすまされない悲劇的な兆候だ。一本調子の思考プロセスが常態化した挙句一語はひとつの意味としてしか使用されなくなっている。おそらく事物の認識においては知性の領域に関わる<視覚的な能力>の後退があり官能の領域に関わりの深い<音>だけで使用、認識、理解されている。(おや、雨だね。)当然いうまでもなく文章の文脈は粗雑にあしらわれ口頭での単語が当意即妙として使われる。情報の同時共有を志向してイノベーションの結末がこれだ。多様性の時代と叫ばれて四、五十年が経つがなんのことはない現代日本人の言語機能は単一化へ進み軽薄化してしまっただけだ。たどり着いた岸辺は経済界の野望どおりに効率化され単純労働のセオリーに呑みこまれた。もっとももはや出しゃばるときでもないようだから自重するが、どうせ揶揄や罵声やでっちあげの罵詈雑言で打擲されるだけだし。現代用語の辞書は外来語を省けばかなり薄くなってしまうだろうよ。母国語がやせ細ったその国の文化が衰退するのは当然のことだ。だから日本は危ないよ、これは残念至極であり、恐怖に近い感情そのものだ。わかっているのか、今の若いもんは、日本語を英訳してみればいい、どんな愚鈍な輩でも日本語のそして日本語で書かれた文章の豊穣さを英語ではカバーできない、とわかるてなものだ。なにも単語に限ってのことではない。日本語による文脈の妙なる複合効果、柔らかで飛躍の技法による重層化、優美な流れは英語にするとどうしても多くの要素を省略しなければならなくなるんでね。でないと英文の構造がものすごく複雑になってしまい下手すりゃ意味不明になる。日本語は蜘蛛の巣を全体把握の手法で優雅に描き切れるが、英文では蜘蛛の糸一本ずつ描いて仕組みを見せないとダメなんだな。そんなだから文章にある<こく>や<艶>など味わい深いものが薄れちまうんだ。その逆なら、英語を翻訳するのであれば随分いいものとして訳出される。日本語の一対象に振り分けられたボキャブラリーのキャパシティからもそうなるわけで、日本で翻訳出版が多いのもそのせいだ。外国語にはドイツ、フランス語でも性別の思考はあるが、あれはあれで面白い興味のあることだが、われわれは「なになにしてくださいますの」と書かれていたらそれだけでこのセリフの話者が女性だと知る。高校生くらいから一度翻訳体験してみれば一目瞭然だよ。食器のワンひとつにしろ、木偏の<椀>と石偏の<碗>がある。木工品と陶磁器の使い分けだ。味噌汁を「お椀に注いだ」とあるときに椀を碗としては褒められたものではない。——へー、そうなんですか、ワンもいろいろ区分けしてるんだ。木偏が確かに漆で塗ったお椀を想像させますね。さすがは大学の先生だ、勉強になります。——わたくしの興味では動産と不動産は英語ではどうなるんで。——動産は動を意味する<movable>property,不動産は目で手で実感されるということで<real>propertyと使われてるなpropertyとは資産のことをいう。実に具体的、分析的なんだよ。日本のはこれは外来語を翻訳したものでな、だから本来の意味ではまだ日本語の歴史としては青二才のレベルだ。——へ、わたくしはなるほど、確かにいつまでたっても成熟しないでうろちょろ徘徊してますな、上がったり下がったり気分屋でして。不動産屋は声高に話しながら笑っていた。——じゃ、俺みたいなリサイクル野郎ってのはどうなんです。——廃品回収業は日本では本来集団に任せられていたからそういう職業の名前はないんだな、だからあんたの職業名はそれこそ現代の産業社会が生んだピッカピッカの日本語だよ。——へー、なるほどね、リサイクルに関しちゃ、俺らの国は世界の最高水準にある、って聞いてましたが、なるほどね。なんとなくですが仕事をしてるとだんだん誇らしい気持ちになるんすよ、俺は今ちゅ球を救っているなんちゃってね。廃品回収業者は得意げににやついた。
(雨があがった。)男たちに調子をあわせてしゃべったが、しゃべりすぎたかな。なにしろレストランでシェフと語りあって以来ニンゲンと話すのはきわめて久しいから入れこんでしまった。用心するがいいんでちょっと……。ひとりは眉と耳たぶがに特徴があり、もうひとりは鼻がひしゃげたように横に広い。残りの男はポニーテールで茶色の髪だった。三人のうちでも茶色髪の廃品回収業者が一番若く見えた。クリーニング屋がひしゃげた鼻からため息のような太くて黒い息を放ちながらなにかいいたそうにしていたが、肩をゆすっただけだった。——ところでどうしてあんたたちはここに集まったんだ、と乳母車を囲んでいる六つのまなこをキョロキョロ見あげてさっきからうずうずしていた疑惑を訊きただした。もっともこいつらが本当の理由を告げるとは考えていなかった。
——先生、やっぱりお忘れで。今日がその日ではありませんか。さ、その汗臭いお召しを脱いでこの洗いたての白装束に着替えて下さい。——お手伝いいたしましょう。回収業者さん頭をちょっとの間ホールドしていてくださらんか、そうそう結構重たいでしょう。——人間は脳みその重さで利口か馬鹿か決まるものじゃないって聞いたことがあるんけどな、先生のは重てー、鉛をたっぷり含有してるんじゃないかなぁ。——ああ、この先生の時代はまだまだ印刷は活字を使ってたから鉛中毒になってるかもな。本ばっかり読んでるから活字が頭んなかで溢れてるんだろう。——なるほどね、鉛中毒か。それでこんなに重いんだ、だって体はどっちかっていえば痩せてて軽いはずだから、頭だけが異常に重たいもこの人。——ちょっとちょっと、そこまではいいんじゃないかな、そのう股間まではいいんじゃないのかな、触られたくないんだが。汚れるから悪いよ。——いえいえここもちゃんと丹念にふき取らないといけませんね。だいじょーぶですよ、除菌ウェットティッシュは全身用を用意してきてますんでね、まってくださいね、今ポケットからだします。ほら冷たくて気持ちがいいはずですよアルコールで拭いてるんですから。——その着せ替えたお召しは、あんたが持っていくの。——ええ、とりあえず洗濯しなければなりませんから、これも経費に含まれてましてね。——へーそうなんだ、で、そのあとは俺が引き取っていいわけだね、物事の順序としては。運賃手数料その他無料にしとくけど。——あんたの後は、俺の出番だ。もう考えてはいるんだが、この屋敷は解体するには惜しいと今は思ってるよ。——え、ちょっと、それは困るな。俺の仕事は解体してなんぼなんやから解体しないという考えはこの際解除してもらいたい。——あなたはときたま妙な言葉遣いをする才能がおありだな。そこのクリーニング屋さんに頭のなかを洗ってもらえばいいと思うよ、随分と正常化すると思うけどな。——それどういうこと、俺の頭がくず鉄のサビで汚れてるってそういいたいわけね。——もももも、鼻になにを詰めてるの、ちょちょっと、耳のなんだいこれは、綿みたいだがこれをとってくれ、変に落ち着かない。鼻はいやだ、まだ息をしていたいんだから、頼む、頼むよ、まだ早いって、早すぎるよ。おい、洗濯屋、気が早い、おとなしいわたしでも怒るよ。廃品回収の青年、わたしの身柄はまだ廃品じゃないんだからあちこち触って値踏みするな、見た目と違ってこの頭に残ってる日本文化はまだまだ捨てたもんじゃないんだ、あんたがさっき感じた頭の重さは日本の重さだよ。おい、不動産屋、俺の一家の墓探しはもっとあとのことだ、なんでそうあんたたちは焦ってるのかね、墓はそれこそ不動だよ。——先生、一度聞き納めにお訊ねしたかったんですが、お墓は入り口なんですかねそれとも出口なんすかね。といいますのは、先生を入り口で待つか出口で待つか、どっちなのか聞いておけば間違いなく配車できますので。
雨あがりの庭が透明に見える。梢のあいだから緑葉に垂れた雨の名残りが珠となって土にこぼれ落ちてる。いっせいに蝉がしぐるる。けたたましさはこの世を惜しむやけっぱちな大合唱だ。空き腹に共鳴した震動で細胞がムズムズする。そうか、蝉に生まれ変わろうとしているんだ。