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総務おじさん探訪記  作者: 中澤 悟司
総務おじさん、伝承を求める
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第56話 春夏対決

「…え?」


 あまりの事態に、その場が凍り付いていた。そりゃそうだろう、どういう展開になるのだろうと、固唾を呑んで見守ろうとした瞬間に、終わってしまったのだから。約一名、展開を予想したわけではないだろうが、アロイスが何かやらかしてくれると期待していた向きは、笑いを堪えて悶絶していた。この人、最近ずっとこんな感じなので、せっかくの異国美人も台無しである。


「同志春香よ、私と手合わせしないか」

「同志って、…え?」


 突然、夏織が言い放った。春香は、事態が飲み込めずに、ぽかんと呆けた。


「同志春香は、この男と手合わせをしたのだろう?」


 足下で伸びているアロイスを見つつ、夏織は言葉を続けた。


「この男、何か仕掛けでもあるのか?」


 春香は、どう答えたものか思案した。アロイスの神懸かり的な反応速度は、恐らくはあの刀が鍵になっているはずだ。しかし、彼は先程刀を抜こうとはしなかった。まだ半月程の付き合いだが、この男の普段の身体能力や性格からして、夏織相手に油断したということも考えにくい、と春香は考えた。実際は、チキン?なアロイスが女性の神秘から目を逸らしただけなのだが、春香には流石にそこまでは分からなかった。

 春香が思索に耽っているのを見つつ、夏織は更に続けた。


「まあ、仕掛けの話はいいや。私と仕合え、同志春香」


 そして、夏織は、悪い笑みを浮かべ、言い放った。


「まさか、負けて臆した訳でもないだろ?」


 こうなると、スイッチが入るのが脳筋の脳筋たる所以なのであるが、春香は今まで、求められれば受けて立ち、アロイスに負けるまでは全員を地に伏せてきたのだ。彼女は、そこまで闘いが好きなわけでは無かったが、こう煽られても笑顔で引き下がるほど、お淑やかでもなかった。


「ハル爺、夏織様はお強いですね」

「そうですな、まだまだ荒削りですが、素質は充分」


 ハル爺の、格下の品定めとも聞こえる言葉に、夏織の眉が動く。


「その言い様だと、私が弱いとでも言いたげに聞こえるな」

「あら、そう聞こえませんでしたか?」


 春香は、悪い笑みを返した。


「彼我の格の差も分からない者に、私が負けるとでも?」


 例えに、竜虎相搏つ、と言うが、まさにその状況であった。


◇◇◇


 数分後、膝を付く夏織が居た。


「お、お前刀士だろう、同志春香」

「そうですね」

「体術も師範並みとは、驚いた」


 その言葉に、春香は、それまでの厳しい表情を緩めて微笑んだ。


「師の教えです。武士たるもの、例え刀折れども、戦わねばならぬ」


 春香は、ハル爺の方を見た。


「私は刀士に非ず、武士にございますれば」

「お、お嬢」


 すぐに世界を作るハートフル師弟な雰囲気を、ぶち壊しにする者がひとり。


「あはははは!刀も持たさずに完敗してしまったか、いや参った。末恐ろしい女よな。嫁の貰い手がどんな男か、楽しみだな!同志春香」

「な、なんでそこで嫁の話になるんですか!」


 春香は先程の緩い雰囲気から一転、猛然と夏織に食ってかかるが、当の夏織は涼しい顔のままである。特に悪意も無く、単にそう思っているらしい。乱れていた息もすっかり整った夏織は、元の調子に戻っていた。


「お、そろそろ起きるんじゃないのか?」


 そう言った夏織の視線の先では、桜に膝枕をされて寝ているアロイスが居た。


◇◇◇


 目が覚めた。桜さんの顔がドアップで視界を占める。


「お目覚めですか?アロイス様」


 天上の微笑みを浮かべながら、俺の何かをゴリゴリと削っていく桜さんは、寝起きに出会うと危険な訳で。俺の緩い理性は、それだけでもう吹き飛びそうになったりする。ああ、もう何か良い香りするし、柔らかいし、このまま身を委ねて、と思った、その時だった。俺は、口の中に違和感を感じた。


「何だ?…もがっ!」


 舌で口の中を探ってみると、何か固い物があった。そして、前歯の感触が、明らかにおかしい。そ、そう言えば、夏織さんの御美脚ハイキックを躱してしゃがんだ後の記憶が無いな。もしかして、勢い余って顔面強打したんじゃ…。


「アロイス様?」


 恍惚とした表情から一転、怪訝な表情になっていたのだろう、桜さんは俺の顔を心配そうに覗き込んだ。天上の美が、更に近づいてくる。しかし、だからこそ今はそれよりも気になることが。


「いや、何か歯がおかしい…」

「アロイス様、歯が…」


 俺が口を開くと、桜さんは少し驚いたような表情で、こう告げた。


「鋼になっています」


 ほあ?どういうこと?俺は、桜さんがどこからともなく出した手鏡で、自分の顔を見た。擦り傷やら打撲のような痕のある顔、少し切れて血が出ている唇、そして、白、いや、やや黄みがかった歯の色ではなく、金属っぽい鈍色の前歯が2本、そこに映っていた。

 どうやら、差歯の表面が割れて取れてしまったらしい。


「わはは、何か間抜けだな、おい」


 俺たちの方に寄ってきた夏織さんは、俺の顔を見た途端、笑った。


「一見すると、歯抜けだな」


 誰のせいでこうなったと思ってるんだ、お前は。


「な、何ですかそれは、異国ではそれがお洒落なのですか?」


 春香さんは春香さんで、興味が完全に勝ってる感じだ。


「御歯黒、に見えなくも無いが」

「あはは、そりゃいいや。実は同志春香が旦那ってことか」


 おいハル爺、余計なことを言うんじゃない。春香さんが怒ってるぞ。ってか、御歯黒ってこっちの世界でもやってるのか?


 あと、約一名、やっぱり笑いを堪えている。もうお前はお笑い担当でいいよ、うん。


「これは御歯黒じゃなくて、差歯です」

「サシバ?おお、これで刺すのか?」

「いや、きっと違うと思うのだけれど」


 夏織さんのどう考えても分かってるボケ。突っ込みにキレが無いな、春香さんや。

さ、差歯が欠けただと!

そもそも差歯の登場人物なんて普通いねぇよ!とお思いのあなた。

この作品は普通ではありません(笑)

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