第55話 おい待て
「いいってことよ。許嫁っても、親父様が勝手に決めたことで、私は顔も見たことないしな」
娘の言い草は大概なものであった。許嫁な時点で、本人の意思はほぼ無いだろうし、家同士の話だったら、面識すら無くてもおかしくはないかもしれない、とか俺は考えていた。
「見たこともないのではなく、見なかったんだろう」
が、橘さんはやや俯き、右手で眉間を揉むようにしながら、呻くように言った。
「見なかった、のですか?」
春香さんが興味を示した。彼女の場合は、単純に言葉の不自然さを確認したかっただけのように思えるのだが、気のせいなのかな。
「そうなんです、顔合わせの部屋に入ってから出るまで、目を開こうとしなかったんですよ、この娘は」
橘さんは、顔を上げて、何とか営業用の笑顔を作っていた。お父さん、心が、心が。
「しかも、自分より強い相手でないと結婚しないとかで」
何とかしてくれ、とでも言わんばかりの橘さんを見て、俺の心はかなり痛んだ。つーか、またそれかよ。
「そうなんですか、それは私、夏織さんの気持ち、とても良く分かりますわ」
そして、ここに空気読まない女子がひとり。そして、待望の共感者を見付けた女子もひとり。
「そうか!あんたもそうなんだな!」
「あんたではなく、春香とお呼びください!」
「じゃあ春香!同志春香よ!」
「何ですかその同志とは!」
この二人は、出会うべくして、出会ったのだ。ふと目をやると、じゃれ合ってる春香さんと夏織さんを見ながら、ハル爺は感慨深そうな顔で見ていた。ハル爺、春香さんに女子の友達が居ないとか愚痴ってたもんな、この俺に。いや、俺に言われても困るから、それ絶対春香さんを魔改造したあんたのせいだから。あ、ハル爺俯いた。手拭いで目元を押さえてる。そ、そんなに春香さんに女子の同志?が出来たのが嬉しかったのか。次に橘さんを見ると、こちらも何とも言えない顔になっていた。俺、息子は二人いるけど、娘は居ないからなぁ、今どんな感じなんだろうか。俺は遠い目をしながら、考え事をしていた。
……脳筋しかいないのか、巫女ってのは。
で、屋敷の中庭で、俺は天断さんを腰に、夏織さんと向かい合っていた。しっかりと?着崩した着物が妙にエロい。つーか、あなたその着物、絶対にお高いでしょう、そんなの着て暴れちゃダメです。それと、お父さんが魂抜けかけてるから。もう嫌、このお転婆娘、って感じになってるから。そんなお転婆娘は、半身を開いて俺のことをキッと睨み付けていた。特攻上等!メンチ切り、お前はスケ番か。
「あんた、さっきは女だと思って手を抜いただろ」
「いや、そんなことはないですけ……」
「シラ切ろうったって、そうはいかねぇ!」
夏織さんは叫んだ。おう、怖いよおじさん。着崩しエロスに若干元気になってた息子が縮み上がっちゃうよ。
「同志春香は、相当な手練れのはずだ、動きを見れば分かる」
「だから同志って何よ!」
春香さんの叫びは、しかしスルーされる。
「だが同志春香は、お前の巫女だと言うじゃないか」
「だから!」
春香さんの叫びは、面倒なので以下略。
「ということは、同志春香よりもあんたは強いということだ、違うか?」
「う、いや、別に腕力でねじ伏せたわけでは」
そう、俺は死合いには勝ったことになっているが、剣技では圧倒的に負けている。別に春香さんより強いわけではない。ただ、彼女の弱点を突いた結果、あっさり彼女が白旗を挙げただけのこと。ホント、騙し討ちに近いものがあるな。
「そんな訳無いだろ」
夏織さんが、俺の主張を、ハン、と鼻で笑い飛ばす。
「同志春香が、中途半端な負けを負けと認めるようなタマには、私には見えないけどね」
負けたときのことを思い出したのだろう、春香さんの顔が茹で蛸のように赤くなる。羞恥なのか、悔しさなのか、怒りなのか、どれだろうな。今夜辺りネチネチと聞いてやろうかゲヘヘ。
はっ、いかんいかん。どうも最近暗黒面に堕ちることが多くなってる気がするな。天断さんのせいだろうか。佐久夜さんも言ってたしな、酒みたいなもんだ、飲んでも飲まれるなってやつ。抜くのは夜だけにしておこうかフハハ。
おう、夏織さんとは別方向から物凄い殺気を感じるのは気のせいだ、きっとそうだ。
「じゃ、遠慮せずに行くぞ!」
「ちょ、待てコラ!」
今度は夏織さん、初っ端から顔面めがけて御美脚ハイキックを繰り出してきた。今度は流石に太股の付け根を凝視したりはしないぜっ!とばかりに、俺は屈み込んで、そして、気を失った。
◇◇◇
「…え?」
目の前の光景に、夏織は愕然としていた。上段蹴りからの踵落とし、定番中の定番、こんな初歩的な足技が、まさか決まるとは思っていなかった。しかも、これでもかというくらい綺麗に、だ。下向いて屈んだら、後頭部めがけて踵落とし。基本過ぎて、子供でも掛からないような足技だ。
夏織としては、反射的に踵落としを繰り出してしまい、しまったと内心肝を冷やしたのだ。この見え見えの動き、どう考えてもこれは陽動で、騙しの動きだ。絶対に何か来ると思い、可能な限り早く足を下ろそうと、いつもより力んでしまった。ここを突かれて超高速で足払いなんかされた日には、崩されて負け確定ではないか。強者と拳を交わせる、その高揚感そのままに、うっかり初手の様子見を派手にやってしまった。しかし、後悔先に立たず、賽は投げてしまった。ひょっとすると、このまま前に一回転して踵蹴りが飛んでくるのかもしれない。受けが間に合うか、分からない。
が、実際には、相手は屈み込んだだけでその後の動きも特になく、いつもより勢いのある踵落としが、ガラ空きの後頭部に、それはそれは綺麗に入ったのであった。
相手は屈んだ勢いそのままに顔面から地面に崩れ落ち、それっきり動かなくなった。いや、動かないと見せかけて、油断した瞬間を狙われるのかもしれない。何せ、あの激烈にヤバそうな刀を振う人間なのだ。何をしてくるか分かったものではない。
で、暫く警戒しながら様子を見ていたが、起きてくる様子はない。いや、そもそもピクリとも動かないのだ。
『これって、普通に伸びてない?』
夏織は、そう思わざるを得なかった。




