第50話 港町に着いたそうです
完全に固まってしまった男達を前に、桜さんは俺の隣から一歩前に出た。一瞬見えた横顔は、いつも通りのにこやかな微笑が張り付いていた。そう、張り付いていた。
「春香様に絡むだけならまだしも、よりにもよってアロイス様に手を出すとは、余程死にたいのでしょうか」
「ちょっ、桜、私の扱い軽くない?」
絶対零度の雰囲気が支配する中、律儀に突っ込む春香さん。あなたも大概猛者だわ。桜さんは、その突っ込みは華麗にスルーして、言葉を続けた。
「さっさと消えなさい。私が笑顔のうちに」
桜さんの言葉が終わった途端、何かに弾かれたように、男達は走り去っていった。足下で伸びている男を置き去りにして。
「忘れ物ですわよ、サマンサ」
「はい、桜様」
桜さんが一瞥すると、後ろで控えていたサマンサさんは前に出て、男の両足を掴んだ。何をするのかと思った次の瞬間、彼女は男を無造作にぶん投げた。男は、あり得ない距離を飛び、走り去っていく男たちのひとりにぶつかった。
「さて、山脇様はもうすぐお戻りになるでしょうか。お疲れですものね、アロイス様」
桜さんは、何事も無かったかのように俺に話しかけた。その笑顔は、いつにも増して輝いて見えた。なんか、もうすぐ後光が差しそうだな。俺は、引きつった笑みを浮かべるしか無かった。
◇◇◇
そんな騒動の一部始終を、野次馬とは異なる視線で、物陰から見ていたものがいたのだが、春香を含め、アロイス以外は気が付いていた。知らぬは脳天気な主人のみ。
「どうなさいますか」
サマンサは、アロイスには聞こえないような小さな声で、桜に問うた。
「捨て置きなさい」
桜は、呟くように、サマンサを顧みることもなく言った。
「御意」
サマンサは、少しだけ頭を下げた。
まるで主従のようなふたりの小さなやりとりに、春香は違和感を感じたが、彼女も同様に様子見を決めた。物見のものとは違う、品定めするような視線。しかし、殺意も害意も感じていないのは、春香も桜も同じだったのだろう。
程なく、ハル爺が帰ってきた頃には、その気配も消え失せていた。
◇◇◇
明くる日、俺たちは目的地である商人の家があるという街に辿り着いた。どんな場所なのか、殆ど聞いていなかったが、所謂港町、であった。ふと、潮の匂いが鼻を抜けていくのを感じた。もう海は目の前なのだろう。
「海には行ったことが無かったわね、そう言えば」
春香さんがぽつりと零した言葉に、ハル爺が応えた。
「そうですな。思えば、お嬢は山見から出たことがないですな」
春香さんは海どころか、あの里から出たことがないらしい。まあ、時代感的にはある意味普通なのだろうか。移動手段も限られるだろうし、お伊勢参りとか、そんなことでも無い限り、良家の娘さんが遠方に出たりなどしないのだろう。主従の会話は和やかに続く。
「ハル爺はここに来たことがあるの?」
「お嬢の世話役に就く前ですから、随分と昔の話ですがな」
「まあ、その言い草では、まるで私が年増の行き遅れのようじゃないの」
「な!そんなことは滅相も無い!」
焦るハル爺に、コロコロと笑う春香さん。いやぁ、良い主従だなぁ。そして、春香さんの可愛いこと。
ほんわかな雰囲気にある意味和んでいた俺の横に、桜さんがやってきた。
「春香様はお気に召しましたか?アロイス様」
ん?どういうこと?
「春香様をご覧になるアロイス様の、慈しみの視線ときたら、私が羨ましくなるくらいですわ」
桜さんはニコニコしながら、そんなことを言うものだから、俺はちょっと悪戯をしてみたくなった。
「えー、妬いてくれるの?桜」
「ふふっ、そうですわね」
余裕の笑みを返してくる桜さんの耳元に顔を近づけ、こんなことを言ってみた。
「でも、春香さんの薬指には何も付いてないけどね」
桜さんの顔を覗き込むと、驚いたように目を見開いたかと思えば、頬を染めて目を伏せた。
「もう、アロイス様の意地悪」
相変わらずの破壊力でございました。誰か、こんないじらしい桜さんを押し倒さなかった俺を褒めて欲しい。
うげー、とか言ってるそこの褐色姉さん、聞こえてるからな。
そんな気の抜けたやりとりを続けながら、俺たちは港町の中を進んだ。進めば進むほど、行き交う人が増え、にぎやかになっていく。そんなに大きな街ではない、どちらかと言えば村や集落とでも言った方が良いような規模だが、それでも活気があるのは良く分かった。
でもまあ、正直なところ、俺の感覚では規模感なんて良く分からない。現代日本じゃあるまいし、町々に正確な境界があるのかどうかも怪しい。ここに来るまでにも、郊外と思しきエリアには田畑が広がっていて、何だか家?建物が集まりだしたなぁ、と思ったら、え、これが港町?というのが偽らざる感想だ。ハル爺が春香さんにこの港について説明するのを、横から何となく一緒に聞いていたが、特に大きい小さいの話も出なかったので、この日出国だっけか、においては港なんてこんなものなのかもしれない。ハル爺が他に港を知らないという可能性もあるが。
俺がハル爺の話を聞きながら色々と考えに浸っていると、突然、俺の前に影が差した。何だ?と思って立ち止まり見上げると、上から人間が降ってきた。え、どういう状況?
「えあ?ぐぇっ!」
俺は降ってきた人間にぶつかられて、そのまま倒れた。
「あ、アロイス様?」
「だ、大丈夫なの?」
女子ふたりから心配されてしまったが、何故か少し離れた場所にいる彼女たちは、俺を助けて起こすわけでもなく、少し呆れた感じがあるのだけれど、どういうことだろうか。俺が状況を掴めずに倒れたまま呆けていると、ハル爺が口を開いた。
「躊躇せずに騒ぎの輪に入っていくから、何をするのかと見ておったら、人が飛んでくるのにも気が付かずに、ぶつかってひっくり返るなど、呆れてものも言えんな」
心底呆れたという顔をしている彼の横では、褐色姉さんが今にも吹き出しそうな顔でこちらを見ていた。何だよそれ、お前分かってたんなら止めてくれよ。
仕方ないなぁ、とばかりに、俺の上に乗っかっていた野郎を押しのけると、俺の顔に、また影が差した。
ちょっと巻き気味?ですが(苦笑)




