第46話 夜の攻防(中編)
俺は、真っ赤になって今にも倒れそうな春香さんに、恐る恐る尋ねてみた。
「お、お務めって、な、何かな?」
「よ、夜の務めくらい、わ、わ、分かっております!」
てっきりキレて『この下衆が!』とかって反撃でも喰うかと若干びびっていたのだが、ところがどっこい、しどろもどろになる春香さん。もうね、何この子、いちいち可愛いんだよ、マジで。 初心なんだあ、ちょっと虐めてみたいかも、とか思った俺が馬鹿だったのは認めよう。何を言おう、一度は本気で俺を殺そうとした相手なのだ、ちょっとくらい弄っても良かろう、とか思ってしまった俺を、誰が責められようか、いや、責めることはできない。うん、そうに違いない。
「じゃあ、き、聞きたいんだけど、春香さんの考えている夜の務めって、何?」
春香さんが涙目になりながら、俺の方を睨んだ。え?俺何か悪いこと言った?
「そ、それを私に言わせるのですか!」
「いや、だって、前提の認識が違ってたら、話が噛み合わなくなるだろう?」
「そ、それ、せ、せめて、殿方の方から」
もう泣き出しそうな春香さんを見るに至って、 俺の中で凄いせめぎ合いが起きていた。もうこのまま押し倒して無茶苦茶のぐちゃぐちゃにしてやりたい!と男の嗜虐的な本能が暴風雨のように俺の中を荒らしまくっている一方で、いや違うだろこんな無防備で抵抗もできない状態の女の子を嫌よ嫌よもゲヘヘとかってハメ倒すのはちょっと、という若干ズレた良識的なものも少しばかり頑張っていたりした。無理矢理はダメ、絶対。
「…はは、ごめんごめん。春香さんが可愛かったから、つい意地悪してしまった」
俺は、結局筋金入りのチキン野郎なので、もうこれ以上罪の意識を抱えるのはごめんだ、とばかりに暴風雨を振り切った。嫁様への恐怖、いや愛の前では、こんな小娘程度の誘惑など、児戯に等しい。俺は内部の闘いに勝ったことに安堵した。
気を抜かれたのは、春香さんの方だったようだ。
「…え?」
「もう今日は寝よう、いや、眠ろう。色々とあり過ぎて疲れたよ。春香さんはそうでもない?」
呆然とする春香さんをそのままにして、俺は布団に潜り込み、彼女の顔を覗き見た。
春香さんは驚いたように俺の目を見た後、すっと目を逸らした。きっと彼女の中では、色んな感情が綯い交ぜになっていることだろう。俺は、その様子をしばらく見ていたが、いつまで経っても動かないので、布団から手を出して、隣の布団をポンポンと叩き、彼女を手招きした。
「いつまでも君がそこに座っていると、落ち着かないんだ。横で寝て、ああ、眠ってくれないか?」
彼女はじっと俺の手を見ていた。何か付いていただろうか、爪が伸びてたかな?ああ、そう言えばイタす前には爪を切れと、嫁様からお叱りを受けていたな。曰く、女性の体はデリケートだから云々かんぬん。嫁様の話でも思い出さないと、理性が持たないというか、何というか。嫁様となら冷静に、いや別に冷めてるわけじゃないから。ああ、嫁様に魅力がないとか、そういうことじゃないんだ。それは事実誤認だ、そこ通報しないでお願いだから、後生だからやめて。
「綺麗な手ですね」
唐突に、春香さんが言った。彼女は、布団の上にある俺の手を、まだ無表情で見ていた。男の俺の手が綺麗とか、どういうこと?
「そ、そうですか?」
俺はその言葉の真意をはかりかねて、思わず他人行儀な言葉に戻してしまった。何気なく、春香さんが見比べている彼女の手を見ると、ああ、そういうことなのかな、と少し思い当たった。
「武芸の修練など何もしたことが無いような、荒事などとは全く無縁のような、まるで宮仕えの女官のような手ですね」
これは、きっと褒めてはいないのだろうな。俺は確かに荒事などしたこともなければ、武芸を修めているわけでもない。敢えて経験を言うならば、高校の体育で習った柔道と、リハビリ目的で通った空手擬きといったところか。まあ、どちらも道着を着て体を動かした、というレベルの話だけどな。
「こんな手の殿方に、私は負けたのですね」
そりゃ、恐らくは剣ダコとでも言うのだろうか、まるで歴戦の猛者のような手のひらをしている春香さんからすれば、そんな感想にならざるを得ないのだろう。そして、彼女は武家の娘さんだ、しかも剣の腕は達人クラス。思うところがありまくりだろう。
今まで堪えていたのだろうか、彼女の勝気な瞳に、潤いが差したと思うと、みるみる涙が溢れてきた。
「わ、私はこんな、こんな手に」
「春香さん」
俺は思わず春香さんの手を取って、両手で包んでいた。
「春香さん、聞いてほしい。私はやむを得ない事情があって、伝承を求めてここまでやってきました。私には戻りたい場所があるのですが、そこにたどり着くには、普通の方法では無理なのです」
春香さんは、俺の目を真っ直ぐに見て、話をじっと聞いていた。見つめられて気まずい俺は、更に言葉をつないだ。
「私が戻りたい場所に戻るまで、すみませんが力を貸してください。私がその場所に戻ってここから居なくなれば、また元の生活に戻れますから」
俺の言葉が終わるか終わらないか、春香さんは、目を見開いた。
「も、元に戻ると?」
「ええ、そうです。私は言わば、幻のようなものなのです」
俺がそう言ったその瞬間、春香さんの中で何かが切れた。
「元に戻るわけがないでしょう!」
「ひっ」
春香さんのあまりの剣幕に、俺は息を飲んでしまった。
「死合う覚悟も、武家の娘を身請けする気概も、女を抱く甲斐性も度胸も無い!」
「い、いやこっちも命懸けで」
「黙らっしゃい!」
「はひっ」
俺は布団から飛び出て、目が据わった春香さんの前で何故か正座していた。
「挙句の果てに何を言い出すかと思えば、据え膳食う前に捨てる相談とは、見下げ果てた男!」
「あ、いや、捨てるわけじゃ」
「最後には、自分が居なくなったら元に戻るですって?私は弄ばれた挙句、終わりには用済みだから勝手にしろと放り出されるわけですか?私がどれだけの覚悟でここにいると思っているんですか。寝言は寝てから言っていただけますか!」
本当に、寝ては駄目だろうか。
グダグダですね、はい。
でもまあ、そんなもんです。
というか、まだ続きます(マジ?)




