第45話 夜の攻防(前編)
「なあ、本当に、その、今日しなくちゃならんのかな?」
俺は、勝手知ったる慣れた足取りで先を案内する桜さんに、戸惑い気味に聞いた。
「何をですか?」
桜さんは、こっちを向くと、何のことか全く分からない、という雰囲気で首を傾げた。
「いや、その、あれだ。と、伽っていうか?」
おっさんが照れながら若い女子に言うようなセリフじゃ無いよな、これ。しかし何で俺がこんなことを気にしなくてはいけないのか、相変わらず状況が良く分からない。
桜さんは、俺の言葉を聞き、驚いたような、悲しいような、そんな表情を作った。
「あ、アロイス様は春香様のこと、お気に召しませんでしたか?」
いや、だからどうしてそうなるんだよ。
「いやいや、そりゃどちらかって聞かれれば、私はとってもお気に召しましたよ」
「それはようございました」
桜さんは、満面の笑みを浮かべた。満面、でも無いか?ちょっと影がある気がするんだけど、それは俺の思い上がりだろうか。
「でも、私はお気に召しても、春香さんはどうだか分からないじゃ無いか」
「まあ」
桜さんが、目を見開いた。元々大きな目が、更に存在感を増している。
「命を賭けて勝負された相手のことも思いやられるのですね。その御心に、私、感服いたしましたわ」
そう言えば、そうだった。忘れるところだったが、相手は自分のことを殺すつもりで切り掛かってきたのだ。勝負とは言え、命のやり取りに直結するところだったのだ。俺としては、春香さんは言わば、命懸けでもぎ取った戦利品なのだ。どう扱おうが勝者の勝手、という理屈も、通らない環境というか、社会、時代ではないのだろう。ただ、俺はやはり、自分が元居た世界というか、社会の価値観や倫理観に影響されるのは当然のことだと思うのだ。そっちの方が今の社会というか、価値観よりははるかに長い付き合いなのだから、ある意味当たり前じゃ無いか。俺は文明人であって、煩悩にのみ生きる野蛮人では無い。
「いや、まあ、そんな大層なもんではないけどね」
「でも、奴隷とは言え、私のことはすぐに…」
はい撤収!今の考え撤収!!
「あれだ、それは桜があまりにも魅力的だったからだよ、うん」
「まあ、嬉しいですわ」
俺の可愛い奴隷さんは、それこそ満開の桜のような、溢れんばかりの笑みを浮かべた。いかん、完全に乗せられてるな、これ。
そんなやりとりをしながら、俺は釈然としないまま、その部屋の前にたどり着いたのだった。
◇◇◇
「え、えーっと、春香さん」
「はい」
三つ指ついて下を向いていた春香さんが、顔を上げた。その美しくも無表情な故に無機質に見える顔は、薄暗い行燈のゆらゆらとした光に照らされて、とても幻惑的な雰囲気を醸し出していた。
『ぐあー、素面でこんな別嬪さん前にしたら、めちゃくちゃ緊張するなぁ』
俺は、どう声をかけて良いのか、さっぱり分からないままであった。家族以外で女性とのいわゆる親密な接点が結婚前の嫁様以外に無かった俺には、レベルが突き抜けたシチュエーションと言えよう。あ、最近は桜さんもか。
だが、嫁様も桜さんも、どう言ったところで、やはり好意的だったのだ。そう、嫁様だって、そうだったのだ。おー、そう言えばそうだったなぁ。いかんいかん、あまりの事態に思考が飛びかけた。
こんな状態の相手、しかも元々応対するのが苦手な若くて綺麗な女性に、どう声を掛けろと言うのか。冴えない中年オヤジが若い別嬪さんに近付くと、ロクな事が起こらないんだよねぇ。エベレストに登ってこいと言われた方が、まだやり様があるというものなんだが。え?桜さんはどうしたって?あれはもう、本人には悪いが、事故としか言いようが無い部分もありましてゲフンゲフン。
しかし、いつまでもお見合いをしているわけにもいかない。というか、こちらの居心地が悪すぎていたたまれないのだ。
「い、色々あったし、今日はさっさと、ね、寝るか」
チキンな俺は、早々に戦線離脱、敵前逃亡を決め込み、そう言った。もう今日は終わり、俺は慣れないことばっかりして疲れたから布団に入って寝ようね、と言ったつもりだった。が、そうは問屋が卸さなかった。
春香さんは一瞬何を言われたのか分からなかったのか、呆然としていた。が、次の瞬間には、顔を真っ赤にして、しどろもどろに言った。
「す、す、すぐにですか?」
消え入りそうな声で、最後まで聞こえないくらいだった。何故か涙目になっていた春香さんは、それでも俺から目を逸らさずに言った。
「あ、ああ、うん、そうそう」
春香さんがガチガチに緊張しているのが、明らかに伝わってきたので、俺の方は逆に少し冷静になってしまった。出来るだけ彼女の緊張をほぐそうとして、俺はわざとらしいくらいに、軽い口調で答えた。
「も、もう寝ようか」
ぎゃー、噛んでんじゃねーか、俺!こんなところで滑舌の悪さを発揮するんじゃねーよ、バカみたいじゃないか。俺は恥ずかしくなって、座っている春香さんの横を通り抜け、布団に入ろうとした。そこで、予想外なことが起きた。春香さんが、俺の進路を遮るように、手を出した。次の瞬間、俺はバランスを崩して、布団にそのままダイブした。
「あ、あの」
顔を起こすと、春香さんの、明らかに戸惑っている顔が目に入った。彼女からすると、俺がそんなことでバランスを崩すなど思いもよらなかったのだろう。あまりに驚いているのか、次の言葉が出ないようだ。
「だ、大丈夫、大丈夫だから」
「す、すみませ…」
「大丈夫だから、もう寝よう」
俺は彼女を安心させようと、謝罪するほどのことでもないと、彼女の言葉を遮り、矢継ぎ早に喋った。手が出てきて避けようとしたら、バランス崩して無様にこけたことなど、早く無かったことにしたかった。
言葉を遮られ、俯いた春香さんは、何か考えていたようだった。気まずい沈黙に耐えられず、大丈夫だからもう寝よう、と俺が重ねて言いかけた時だった。彼女は顔を上げて、意を決したように俺に向かって言った。
「わ、分かりました。せ、精一杯、お務めさせていただきます」
は?何それ。
無駄に続きます(苦笑)
うーん、どうしたもんだか…




