第42話 決着
「なっ!!」
突然、春香は刀を振っていた右手から荷重が抜けたのを感じた。握っている感覚はある、しかし荷重が抜けた。これはすなわち。
「なっ!!」
同じタイミングで、ハル爺も声を出してしまった。勿論、春香の右手から荷重が抜けたからではない。彼の目には、信じられない光景が映っていた。
春香の刀を、アロイスが切り飛ばしたのだ。
春香は、一瞬自分の右手を見た。刀は、鍔から5寸程のところで綺麗さっばり消えていた。先が無くなっていたのだ。これには流石の春香も驚愕した。彼女が使っていた刀は、真剣仕合の時にだけ使うものであったが、父親から託された瞬間に分かったくらいの相当な業物で、今まで刃こぼれすらしたことも無かったほどの刀なのだ。彼女は一瞬動揺したが、すぐに気を取り直した。刀が折れた時の攻め方も、当然だがあるのだ。彼女は即座に刃を返すと、相手の左の脇腹を狙った。が、それよりも早く相手は体を彼女に密着させると、次の瞬間、彼女に抱き付いた。
『体術か!?』
動きを封じられそうになった場合の対処方は幾つかあるが、右手に先が飛んでしまったとはいえ、刀を握っている。そして、両手が自由になっている、とくれば、背中から刀で斬り付けるのが一番効果的である。幸い鎖鎧などを着込んでいる感触もないので、これで羽交い締めなどからは抜けられるだろう。
春香は即座にアロイスの背後に両手を回し、柄を両手で握ると、脇腹狙って刀を押し込もうとした矢先、一瞬早く彼に頭を抱えられた。
『首を捻るつもりか!しかし動きが速すぎ……!?』
次の瞬間、彼の顔が、春香の目の前にあった。いや、それだけではなく、彼の唇が、彼女の唇に重なっていた。そう、春香は、アロイスに接吻されたのであった。
『!?!?!?!?』
時が、止まった。何が起こったのか、何をされているのか、一瞬混濁した春香の意識に、更に追い打ちを掛ける出来事が起こった。彼女の唇を割って、柔らかい何かが彼女の口の中に入ってきたのだ。彼女の思考は、ここで敢えなくフリーズしダウンすることになる。命を懸けた真剣仕合の最中に、そんなことをされるなど露程にも思っていなかったのもあるだろうが、免疫の無い無防備な年頃の多感な娘には、あまりに唐突で少々刺激が強かったようであった。
◇◇◇
一閃、煌めく一振りに、合わせるので精一杯であった。当代一と言われる使い手の居合い抜きなのだから、恐らく尋常な速度ではないとは思っていたが、想像以上の速さであった。まさに神速、というに相応しい速度で、迫る白刃を、しかし、冷静に見ている俺も尋常ではないと思った。まさか自分の異常さを、こんな状況で体感するとは、何とも不思議ではあった。
当然ではあるが、武芸など何も修めていない俺と、剣の達人たる春香さんとでは、剣裁きには雲泥の差がある。それは、多少の身体能力の差など、容易く凌駕してしまうであろう。
となれば、打ち合いにでもなれば、技術の差で俺がジリ貧になるのは目に見えているワケで、可能な限り早く、出来れば一撃で終わらせたいのが正直なところだった。狙いは、一応あったのだが、上手く運ぶかは博打であった。
『まあ、人生博打だけどな』
俺の目論見では、とにかく初撃に合わせられれば良かった。見極めは、勝手にしてくれる、そんな確信めいた思いがあったからだ。そして、それは現実になった。合わせるので精一杯であったが、それで充分であった。
春香さんの刀は、根本20センチ行かないくらいのところで、切り飛ばされていた。
俺は、終わりか?と思って春香さんの顔を見ていた。彼女は、折れた刃の先が飛んでいくのを見たのか一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに切り替えたらしく、残った短い刀身で俺の脇腹を突きに来た。
ゼロ距離からの鋭い刺突攻撃、流れるような動きから繰り出されるその攻撃に見惚れながらも、俺は人間としては限界を超えた身体能力を生かして体を捻り、彼女の突きを躱しつつ、彼女との距離がほぼ無くなったとき、彼女を抱き締めた。彼女の手も俺の背中側に回った。
『こ、これが噂に聞いただいしゅきほーるど!』
いや、違うから。そうですよねー、違いますよねー。
このまま抱き締めてくれるのであれば嬉しいのだが、これは背中から両手で柄を握って刺すつもりだろう。俺は、間髪入れずに、彼女の頭を抱きすくめると、その柔らかそうな唇に、自分の唇を重ね、隙間から舌をねじ込んだ。
春香さんは、びくんと震えたかと思うと、それっきり固まってしまい、動かなくなった。
『か、勝ったどー!』
俺は博打に勝ったようであった。万馬券もかくや、というくらい馬鹿な作戦だったが、上手く行ってしまうと、何だか微妙な感じではある。ではあるが、背に腹は替えられぬ、命掛かったら体裁なんて気にした方が負けなのである。
「おのれ、嬲るか!!」
フリーズした春香さんの代わりに突っ込んできたのはハル爺だった。鬼の形相とは、かくも況や、という気迫であったろう。が、俺は春香さんの柔らかい唇と舌を絡ませ堪能しつつ、その分かりやすい殺気の方向に天断さんを向けた。彼は、激昂はしていたが、戦いにおける冷静さは残していたようで、そのまま串刺しになるようなことはなかった。
俺は、少々残念だったが春香さんの唇から離れた。彼女を抱き留めていた手を離すと、彼女は膝から崩れ落ち、ぺたんと座り込んでしまった。彼女が頭を打たないように、そっと横にすると、俺は、喉元に刃を突き付けられ、動けない状態のハル爺と向き合った。
「神聖なはずの仕合に横槍とは、無粋ではないですかな?」
「何が神聖だ!よくもお嬢を……」
「仕合とは!」
俺は、怒り心頭のハル爺を無視し、大声で叫んだ。
「相手が死ぬか、怪我などで戦えなくなるか、若しくは戦意を喪失するまで。そういうものだと聞きましたが?」
ハル爺は答えなかった。これは、桜さんから事前に聞いていた。相手を殺す以外の勝利条件が分からないと、作戦の立てようが無いからな。
「春香殿は戦意を失っておられるようにお見受けしますが、如何か?」
ハル爺は歯軋りをして怒っていた。こ、怖い、怖すぎだハル爺。天断さんと一緒じゃなきゃ、剣気でショック死してたかもしれんな、俺。
「……勝者はアロイス殿!」
ハル爺は、苦虫を噛み潰したような顔で俺の勝利を宣言すると、未だ放心状態の春香さんを、侍女達に言いつけて運ばせていった。ハル爺もどこかに行ってしまい、道場には俺と桜さんだけが残された。
「何とか生き残れたぁ……」
俺は思わず、その場に座り込んだ。何ともすっきりしない気もせんではないが、とにかく仕合は終わった。
微妙、ですか?
そう、微妙なんですよ、この主人公(笑)




