第40話 それぞれの思い
久し振りに気の合う側仕えだった桜と会えたというのに、春香は不機嫌だった。
「桜のお相手というならば、私も何も言わずに受け入れたでしょうに」
春香は、かの男の様子を思い出していた。頭は悪くは無さそうであったが、その動きはぎこちなく、喋りも時々詰まっていた。初めは、ハル爺の威圧に押されて緊張しているのだろうか、とも思ったのだが、どうやらそうでもないようで、本当に体が悪いようであった。
ただ、彼女は、体が少々悪いくらいで、他の者のように蔑んだりはしなかった。ひとたび戦でもあれば、体を悪くする者は多数出てくる。お国の為に戦い、その結果体を悪くしてしまった者を蔑む輩の心根が、彼女には理解できないほどであった。憐憫を受けこそすれ、貶められることなど何も無いではないか。彼女は、他の豪族達が切り捨てがちなそういう者達の世話をしている父親が誇りですらあった。
しかし、世の常、春香も年頃の女であった。自分から望んでそんな者達と寝屋を共にしたいとは思いもしなかった。彼女にとって、彼らはあくまでも温情をかけるべき相手であり、少なくとも対等に扱われる存在では無かった。いつかは武家の娘として、しかるべき家に嫁がされることになることくらいは理解はしていたが、少なくとも、どこの馬の骨とも分からない異人の不具者に身請けされるなど、想像したことも無いことであった。
「いくら役割だと言っても、あんな不具者の相手をしろだなんて、屈辱以外の何物でもありませんわ」
春香は、自分よりも強くないと主とは認めたくないから、仕合をしろ、と言い切ったものの、その時の男の狼狽具合が、怒りに拍車をかけた。
「男なら男らしく、覚悟を決めているのかと思いきや、そうでもない。なんであんな男を桜は連れてきたのかしら」
春香は、怒りを通り越して、男、アロイスと言ったか、に憐憫の情さえ湧いた。
「せめて、苦しませずに一合で終わらせるのが、武家としてのせめてもの情け、と知ってもらいましょうか」
春香は刀を抜いた。心が浮き立つとき、彼女は父親たる信昭公から貰ったこの刀を抜き放ち、美しくも冷たい刃を見て心を落ち着かせるのであった。
「しかし、父上も何を考えているのかしら。てっきり一笑に付して追い出すものかと思っておりましたのに」
春香の父親は、重要な判断を他人に、例え自分の娘と言えども、させるような人間ではない。武家にとっての娘の役割を考えたときに、その嫁ぎ先を娘自身に決めさせるなど、例え娘を愛していてもあり得ない、と春香は思っていた。
「どんな事情があるのかは知りませんが、武家の娘を身請けするというのが、どういう意味を持っているのか、生半可な覚悟で挑むものではないということを知るべきです」
春香は、静かに目を閉じた。
◇◇◇
春香のお目付役、信春は更に過激であった。剣術の実力では春香に抜かれたものの、幾多の死線をくぐり抜けてきたその経験からくる胆力は、まだまだ春香の及ぶところではなかった。
そんな信春は、死ぬほど我慢していた。当然、目の前で繰り広げられていた会話についてだ。
信春の春香に対する思い入れは、ある意味信奉にも近いものがあった。お館様から、お嬢の名前を聞いたときは、心底驚いた。お前の漢字を一字貰ったから、お前の娘だと思って世話を頼む、と笑いながらもお館様から頭を下げられた時は、衝撃で口が開いてしまった程であった。当時筆頭家臣の息子で、しかも侍大将でもあった信春が、いくらお館様の子供とは言え、息子ならまだしも娘のお目付役とは、聞いただけでは左遷もいいところだった。しかし、初めてお嬢に出会い、その目を見たとき、彼は、その真の役割を悟った。お嬢は、何というか、普通とは違った。
信春の直感は正しかった。武芸の才能は、早くから開花した。あっという間に数々の稽古相手を打ち負かし、彼に肉薄するまでになった。お嬢に負けては、お目付役の名が廃ると、彼も必死で鍛錬に打ち込んだため、お嬢と彼の仕合は、他の追随を許さない、凄まじいものだった。負ければ、お役御免。そう信じて疑わなかった。だから、初めて彼がお嬢に負けた日、彼は本気で腹を切ろうとした。周囲の必死の説得が無ければ、彼は今、ここにいなかったであろう。
『我は、死に場所を見付けたり』
お嬢の侍従であった桜が連れてきた男は、不具者であった。いや、不具者がお嬢に会いに来た、というだけであれば、彼もそう怒りを感じることもなかったであろう。戦で腕や足が飛んだ武士など、吐いて捨てる程居るのだから、そんな彼らを無碍に出来るほど、彼は無情ではなかった。そんなことを問題にするほど、狭量な人間ではない、という自負もあった。
が、やってきた不具者の申し出は、施しを請うような程度の話ではなかった。怒りに我を忘れて、飛びかかりそうになったほどだ。事実、壱の太刀の踏み込みはしていた。あれさえ無ければ、奴の首は今頃繋がってはいないはずだった。
あれ、とは、桜の一瞥であった。その一瞥は、数々の死線を通り抜け、修羅場を潜り抜けてきた信春をして、心底畏怖させるものであった。足が、足が出なかった。不思議と、いつものように自分を責めることもなかった。何であろうか、怖いとか、そういう程度のものではなかった。あれは、彼が今まで出会ってきたどんな存在よりも強いと、生き物としての本能が告げていた。闘争心は、一瞬で消し飛んだ。気合いとか、根性でどうにか出来るようなものではなかったのだ。そんなものでどうにかなるようならば、この男なら一番に何とかしていたであろう。
『あれは、一体何なのだ』
今まで気にも掛けていなかった侍従を、信春は改めて見た。もう、こちらは向いておらず、自分の連れてきた不具者の男の方を見て微笑んでいた。
◇◇◇
俺は、春香さんとの仕合を前に、必死になって戦略を巡らせていた。
まともにぶつかれば、勝ち目は無い。恐らくは一撃で終わる可能性が高い。春香さんの感触を見るに、あれは初めは様子見とか、そういうタイプではなさそうな気がする。こちらの情報が無い以上は、手数を増やして探り合い、下手に情報を与えるよりも、先手必勝、最速の剣技で決めてくるだろう。
こちらが訳の分からない未知の飛び道具とかを使ってくる可能性は、恐らく考えていないだろうな。そんなものがこの地にあるのかどうかも分からないが、仮にそれで勝ったとしても、正々堂々と認められるかは怪しい。
真正面から受ければ確実に負けるだろうが、真正面から受けなければそもそも勝ちと認められない。
えーっと、これって詰んでるんじゃないの?
俺は、唯一の実戦経験である、先日の襲撃対応を思い出す。それまで剣道の試合すらしたことの無かった俺が、いきなりのデビュー戦だった訳だが、桜さんの胸に突き立った矢を見た瞬間、俺の中で何かが吹っ切れていた。そうでも無ければ、いきなりあんな人殺しなんて出来るわけがない。襲いかかってくる連中を必死になって斬っていたな。血とか腑とか飛び散って、う、冷静に思い出したら吐き気が。
しかし、待てよ。俺の中で、一条の光が差した、ような気がした。




