第32話 佐久夜
『桜が気に掛けるのも分かるような気がしますね』
俺の目の前にいる女は、確かにそう言った。つまりは、桜さんを知っているということだ。だが、俺はここでも違和感を抱く。そう、桜という名前は、俺が付けた名前のはずなのだ。だから、この名前を知っているということは、少なくとも俺と出会った後に桜さん自身若しくは桜さんを知る人との接触を持ったと言うことになる。桜さんは殆どの時間俺の側に居たし、俺のような何の変哲も無い一般人をマークするような事情があるのかどうか、良く分からない。まあ、ひとつふたつは思い当たる節はあるのだが、それをこの目の前にいる女に馬鹿正直に伝える必要は無いだろう。
「桜さんですか、奇遇ですね、私と旅をしていた女性も同じ名前でして」
俺はそう切り出した。直球で行くのも、何か面白くなかったのだ。女は、やや驚いたような顔をしたが、すぐにころころと笑った。
「うふふ、そうですか、そう来ますか。なかなかに楽しい方ですね、……さんは」
女の言葉を聞いて、今度は俺が驚きで固まった。彼女は、聞き取りにくかったが、確かに俺の本名を言ったのだ。この世界に来て、俺が本名を名乗ったことは一度も無いはず。荷物の中に運転免許証やら健康保険証やらは入っているから、全く情報が無いわけではないが。そう言えば、俺の荷物は何処に行ったのだろう。
「ああ、そう言えば今はアロイスさんでしたね。これは失礼を」
女はそう言うと、俺に向かって再度頭を下げた。とてつもなくわざとらしいが、だからと言って俺に何が出来るわけでもない。仕方ないので、俺は白旗を揚げることにした。
「どうやら、あなたは私のことは何でもご存じのようだ」
俺は両手を開いて、疑念を抱かない旨を示しながら、今となっては一番の質問をした。
「一体、あなたはどちら様なんですか?」
「あら、もう降参ですか、探り合いはお仕舞いかしら」
言葉とは裏腹に、女は上機嫌に笑いながら答えた。
「私は、そうですね、佐久夜とでも呼んでくださいな」
さて、俺は布団から起きると、佐久夜さんと改めて向き合った。彼女は、桜さんをとびっきり磨き上げたような、究極とも言える雰囲気を持った存在だった。何となくではあるが、もう人間ではないような気がした。まさに、この世のものとは思えないのである。桜さんは、とてつもなく美しい中にもまだどこか可愛い部分があったのだが、佐久夜さんは超絶の極みに居るような雰囲気であった。本来は、その存在そのもので他を圧倒するのであろう。そう言われても、納得するより他なく、逆に何故俺が呑まれていないのか、不思議でならなかった。
「不思議でたまらない、というお顔をされていますね。確かに、不思議でしょうね」
そんな何気ない佐久夜さんの言葉も、俺の精神を支配しようと襲いかかってきているような、そんな感覚に襲われていた。彼女の目から、視線を外すことが出来なかった。現に、俺は未だ彼女の服装すらまともに分からない。認識阻害でもされているのか、と疑いたくなるレベルだ。
「念のためお伝えしますが、今は何もしていないはずですよ。もっとリラックスされてはいかがです?」
そうか、単に俺が超絶存在を前にして緊張しまくっている、蛇に睨まれた蛙状態なだけ、ということか。なお悪いわ!
何とかお見合い状態を脱した俺は、佐久夜さんに真っ先に聞くべき事を聞いた。
「佐久夜さん、初対面で不躾ながら、まずお聞きしたいのですが、桜さんはどちらにいるかご存じですか?」
佐久夜さんは微笑むと、訳の分からないことを言った。
「桜とは、私のことですよ」
俺は、初め聞き間違えたと思った。文脈的に意味が通らないのだが、俺は再度聞き直した。
「あ、佐久夜さんのことではなくて、桜さんのことなんです。私と一緒に居たと思うんですが」
「ですから、私のことですよ、桜というのは」
俺は混乱の極みにあった。何を言っているんだこの女は。確かに顔は似ているとは思うが、纏う雰囲気は全く違うのだ。これが同一人物だったというなら、俺の目は節穴も良いところだろう。と、ここまで考えて邪な考えが俺の頭を過ぎった。あー、嫁様はどうだったかなー。おっと誰か来たようだ。
沈静化した俺の頭脳は、別の意味でフル回転を始めた。まあ、そんなに回る頭では無いけれどもね。
「では、桜さんは、私の目の前に居るということですか?」
「そういうことになりますね」
相変わらずニコニコと笑いながら俺を観察している佐久夜さんを見て、俺は直感的に悟った。この人は、俺を半分からかっている。でも全くの嘘、という訳でも無いということか?どういう事だ。姉妹とか、そういうオチか?
「あまりアロイス様をからかわないでくださいね、佐久夜様」
その時、聞き慣れた声が視界の外から聞こえた。俺はすぐに、そちらを振り向いた。
「桜さん、大丈夫だったのか?」
「桜、ですよ、アロイス様」
そこには、見慣れた俺の可愛い奴隷が座っていた。その横にはサマンサさんも控えていた。一体何時から、とは思ったが、もうそんなことはどうでも良いことだった。
◇◇◇
「ほう、では異世界から来られたのですか」
俺は佐久夜さんに、これまでの出来事をかいつまんで説明していた。と言うのが、俺が寝ている間に、桜さんがある程度話をしていたらしいのだが、佐久夜さんが俺に興味を持ったらしい。
「まあ、異世界、と言われればそうなんでしょうかね」
佐久夜さんは、俺が異世界から来たという話を、あっさりと信じた。信じたというのは正しくないか、俺の言い分を否定はしなかった。これは、桜さんもそうだったんだが、俺が居た21世紀初頭の日本の地方都市においては、相当ヤバイ人になる。まあ、東京の秋葉原とか、千葉の幕張だったかとか行くとヤバイ人も大勢いるらしいが。流石に大都会は違うな、世紀末救世主も真っ青だ。
佐久夜さんと俺、桜さんにサマンサさんは、いつの間にか用意された卓袱台を囲んで座っていた。そして、これまたいつの間にか湯呑みが用意され、サマンサさんが急須でお茶を淹れていた。何この昭和感。
「まあ、皆さんお茶でもどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
佐久夜さんの勧めで、その場の4人でお茶を頂いた。何だろう、この和み感、そして強烈な違和感。
うーん、うーん……。
切る場所が難しい(それだけ?)




