第31話 後悔の果て
「あ、アロイス様」
「大丈夫か、桜」
なんだか恍惚としている気もせんではない桜さんを見ながら、俺は聞いた。着衣は土汚れが目立つものの、体は見たところどうもないようではある。
「あ……」
「すまんすまん、何とか間に合ったみたいだな」
桜さんの無事を確認して、俺は少し安心して気が緩んだ。しかし、俺はその時、大事なことを忘れていた。そこは戦場であった。
愚者の刀の影響か、異様に鋭くなった耳が、風切り音を捉えた。俺は、背後から矢が飛んできているのを察知して、体を躱した。殆ど反射的な行動だったので、その行動がどういう結果をもたらすか俺自身が認識するまでに、一瞬の時間を要した。そう、俺の背後から飛んできた矢を、俺が避ければ、その先には桜さんが居たのだ。
「あっ……!!」
俺の反応があともう少しだけ早ければ、もう少しだけ俺の手が早く出ていれば、違った結果になっていたのかもしれない。しかし、全ては、もう遅かった。
桜さんの胸に綺麗に突き立った矢を、俺はただ、眺めるしか無かった。
彼女も、何が起こったのか分からなかったようで、俺の視線を追い、自分の胸に刺さっている矢を見て、ようやく気が付いたようだった。彼女は、顔を上げ、信じられないというような表情で俺の顔を見て、そして、そのまま後ろに倒れた。
荷台の上に仰向けに倒れた桜さんの胸から、血が滲んだ。胸当ても何もしていない彼女の胸は、あまりに無防備だったのだ。いや、そもそも目の前にいた俺が避けなければ、矢を掴むなり、叩き落とすなりしていれば、彼女に当たることは無かったはずだ。彼女に矢が刺さったのは、全て俺のせいなのだ。俺は、後悔の念で胸を締め付けられた。目を強く瞑り、奥歯を噛み締め、刀の柄を握り締めた。だが、思いにふける時間は、一瞬であった。
俺の聴覚は、次の矢を捉えていた。俺は、目を見開き、矢の飛来する方向に刀を振った。俺は矢を切り飛ばすと、周囲の状況を探った。
こちらの異変に気付いたのか、若干離れた位置で数人と切り結んでいたサマンサさんが、文字通りこちらに飛び込んできていた。それ以外には、荷台に手をかけている男が1人、こちらに向かってくる男が3人、後方支援の弓師が俺を射掛けたのを含めて2人と、数は減ってはいるがまだしっかりと残っていた。
と言うよりも、全体で一体何人いるんだ。この世界の常識は知らんが、相当な規模の盗賊団じゃないのか。隣国の陽動部隊だとしても、派手にやり過ぎだろ。
「桜様は……!!」
サマンサさんがやってきて、倒れている桜さんを見て絶句していた。しかし流石と言うべきか、飛来する矢は叩き落としていた。
「アロイス様、ここにいては良い的です。一旦こちらへ」
「いや、私は弔い合戦と行く。死出の旅、供をしてくれるか」
「……承知いたしました。御心のままに」
俺は、上がってきていた男を切り伏せると、荷台から飛び降りた。後悔しか無かったが、だからどうしろと言うのだろう。俺は、愚者の刀によって間延びした時間の中を、縦横無尽に駆けた。意識がオーバーロードし、脳神経シナプスが焼き切れそうなのが目に見えるようであった。激しい頭痛と、脳に火箸を突っ込まれたような灼熱感を覚えながら、それでも気が狂わずに済んでいたのは、ひとえに桜さんへの贖罪の意識がそれを許さなかっただけに過ぎなかった。
俺は地面に降り立つと、一気に間合いを詰め、こちらに向かっていた男の1人を心臓串刺しにした。抜いた刀で横一閃、別の男の首を刎ね飛ばし、そのままの勢いで3人組最後の1人に襲いかかった。最後の男は、辛うじて剣を構えたが、俺はお構いなしに突っ込むと、構えていた剣の側から横方向に気合い一閃、剣もろとも、ぶった切った。
一時の後、俺のいた荷台の周りは、再び静けさを取り戻した。俺は、最後に桜さんを射貫いた弓師を袈裟斬りに切り伏せると、俺を人斬りの高揚感に突っ込んでいた愚者の刀を投げ放った。もう限界だったのだ。一気に沈静化した脳細胞に引き込まれ、俺は意識をも手放した。
◇◇◇
目が覚めると、木の天井が見えた。周囲を見回す。床は畳敷き、床の間に花瓶っぽい陶器があり、壁には襖まである。どこか懐かしい、和室のような雰囲気の部屋であった。そして俺は、何故かその部屋に敷かれた布団に寝ているようであった。
「ここは、どこだ?」
自分の家でもなさそうだな、などと俺が考えていると、ふと声がした。
「目覚めましたか、よく眠れましたか?」
俺は、声の方に目を向け、そして、声を失った。
「ん?私の顔に何か付いていますか?」
そこには、魂を奪う悪魔が立っていた。桜さんと初めて出会った時も、体を電撃が抜けていったような衝撃を受けたが、まさかそれ以上の存在に出会うとは、世の中分からないものだ。
「い、いえ。知り合いに似ていたもので、失礼ながら見詰めてしまいました」
「ふふっ、そのお知り合いは、さぞ美しい方なのでしょうね」
「そ、そうです……ね……」
いつまでも見とれていたい程の美であったが、俺にはその『お知り合い』の事が気になって、何とか口を開いた。
「す、すみません、私は一体何故ここに」
「さあ、何故でしょうね」
そう言うと、その悪魔は微笑んだ。刹那、心臓、いや、魂を鷲掴みにされたような、物凄い衝撃が俺を襲った。ハンマーで脳天から叩き込まれて、地面に打ち込まれたような、そんな感覚であった。ぶっ飛びそうになる意識を辛うじて繋げたのは、そこに桜さんを重ねたからであったからだろうか。
「ああ、これは失礼を。私にとっては普段の自然な振る舞いなので、ついつい忘れてしまうのですよ」
悪魔は、そう言うと俺の傍らに座り、頭を下げた。次の瞬間、俺を締め上げていた衝撃は綺麗さっぱり無くなっていた。どうやら、悪魔は何かを仕掛けていたようであった。
「さて、改めて。あなたが何故ここに、という問いでしたね」
「そ、そうですね。私は何故ここに、いや、それよりも聞きたいことがあるんですが」
「ええ、何でしょうか?」
落ち着いて、ゆっくりで大丈夫ですよ、とその悪魔、いや、女は言った。俺は、全ての不安を取り除かれ、安寧の揺りかごに押し込まれるのを感じた。以前の俺なら、きっと、この安心感に身を委ねたのだろう。しかし、今はそうは出来なかった。
「す、すみません、ま、また何か、されましたか?」
「ああ、うっかりしておりましたね」
俺を包み込んでいた違和感は、一瞬で霧散した。しかし、こう感情を揺さぶられると結構きついものだな。まるでジェットコースターだよ。
「ですが、これはまた、適性の高いことですね。もう感知しますか」
目の前の女は、そう言うと俺の目を見た。俺の本能が、危険を察知し警鐘を壊れるほど鳴らしまくっていたのは言うまでもない。
「大丈夫ですよ。今度は何も掛からないようにしていますから。しかし、意識的に切らないといけないというのも、煩わしいものですね」
そして女は自身の口元に指を添えた。俺の目を見詰めながら、彼女は少し思案する様子を見せた。俺は、その間、彼女の目を見詰め返したまま、金縛りにあったように動かなかった。いや、きっと動こうと思えば動けたのだろうが、俺の本能が目を逸らすことを拒否していた。何故かは分からなかった。その容姿や所作の美しさ所以なのか、それとも自分より上位の存在に対し恐怖したからなのか。しばらく間を置いた後、彼女は口を開いた。
「確かに、桜が気に掛けるのも分かるような気がしますね」
この女は、桜さんを知っているようであった。




