第26話 検証(下)
愚者の剣改め、愚者の刀を持った俺の思考速度と身体能力は、劇的に向上しているように感じた。
俺は立ち上がると、ゆっくりと刀を抜いた。刀身は、窓から入る光を映し、美しくも妖しく輝いていた。そして、驚くほど軽い。見た感じ金属製で、それなりに長さもあるのだ。仮にチタンで出来ていたとしても、ここまで軽いのは逆に怖いくらいだ。
何とはなしに、俺は刀を振った。刀の動きは、自分で何とか知覚は出来たが、その速度は恐ろしいものだった。思わず、桜さんとムルスキーさんの方を見てしまった。ムルスキーさんは、桜さんを庇うように、彼女の前に立っていたが、驚愕で顔が引きつっていた。それはそうだろうと思う、俺も目の前でこんな速度で刀を振られたら、相当にビビるだろう。
しかし、それはそうと、桜さんは、何故か嬉しそうであった。そして、得意そうでもあった。
「アロイス様、やはり、私の思っていたとおりでしたね」
桜さんの声が聞こえた。相変わらず彼女の声は美しい。ただの会話でも、思わず聞き惚れそうになる。しかし、そこに違和感があった。なぜ、彼女の話をこうもあっさりと信じてしまったのか、選択肢が無かったとは言え、疑うこともなかったのはどうにも腑に落ちないのだったが、そこに光が射し込んだようであった。
「桜、君は、いや……、何でもない」
俺は、桜さんを問いただそうとして口を開いたが、思いとどまった。そうなのだ、この状況に何の力も知識も持ち合わせていない俺にはどうあっても協力者が必要なのであって、その最右翼は今のところ桜さんに他ならないのだ。価値観が異なる可能性もあるとは言え、どうでも良い相手に貞操を捧げ体を許したりなど、そうそうしないと思うのだ。何かしら含むところがあるのは確実ではあるが、それが単純に好意から来るものだとは、流石に世帯持ちのアラフォーおっさんは考えない。しかし、それを深く聞くのは、今ではない。
「あ、アロイス様、大丈夫ですか?」
固まっていたムルスキーさんが再起動したようで、俺に話しかけてきた。彼は警戒をしつつも、桜さんを見たまま動かない俺に言葉をかけずにはいられなかったようであった。
「ええ、大丈夫ですよ、ムルスキーさん。私の様子はどうですか、おかしいところとか、あったりしますか?」
俺はムルスキーさんに微笑みながら話しかけた。実のところ、おでこの少し上、開頭手術痕の辺りには相変わらず激痛が走っていたが、我慢できない程ではなかった。
「いえ、特に変わったところは。……そう言えば、ぴったり止まってますね。お体、全く動いていないですよ」
「そうですか、そうであれば、確かにそれは前と変わっている部分ですね」
私の体は、麻痺から来るらしい不随意運動で、小さくではあるが常に動いていた。しかし、そこに気が付くとは、ムルスキーさんもなかなかに俺を観察しているということか。余談にはなるが、これのせいで基礎代謝というか、エネルギー消費量が多いのか、太りにくかったので、嫁様にずるいと言われたりしたものであった。
そんなこんなを少し考えていたときであった。桜さんが突然言いはなった。
「アロイス様、少し失礼をいたします」
次の瞬間、俺を殺気が包んだ。殺気としか言いようが無い、思わず背筋に悪寒が走る、そんな感覚である。俺の鋭敏になっていた感覚は、そのまとわりつくような濃密な殺気に、理性が恐れるよりも先に反応し体が動いた。俺は手に持っていた刀を、その殺気の発生源に迷うことなく突き付けた。
「どういうことだ、……やはりそういうことだったのか?桜」
俺は、半ば予想していた事態に、悲しみをもって桜さんを見つめた。ただ、ムルスキーさんは、何が起こっているのか良く分かっていないような感じであった。グルではないのか?良く分からん。
「そういうこと、ですか?」
「俺に言わせるのか。俺は君を大切にしたかったんだよ、桜」
「どうされたのですか、アロイス様。えっと、何か勘違いをされていませんか?」
濃密な殺気は消え失せ、桜さんは、戸惑いを隠せないという雰囲気で俺の瞳を見つめた。この視線が、俺を狂わせたというのか、じゃあ、狂ったまんまでも良いか、と思ってしまう俺を、何とか抑えつつ、俺は絞り出すように聞いた。
「……では、今の殺気は何だ」
「今のは、一種の確認です、アロイス様」
「確認?」
「後でご説明いたします。その前に、そろそろ愚者の剣はお離しになった方が良いです。お顔が真っ青ですわ」
そう言えば、桜さんの殺気で我を忘れていたが、俺の精神力はもうとっくに限界を超えていたようであった。俺は、つかの間の逡巡の後、刀を手放すと同時に、意識も手放した。
◇◇◇
気が付くと、俺はベッドの上にいた。傍らには桜さんが椅子に座って、心配そうにこちらを見ていた。
「お気づきになりましたか、良かったです。御気分はいかがですか?」
「ああ、悪くないよ」
俺は桜さんに笑いかけてから、視線を外し、部屋を見渡した。ムルスキーさんは居なかった。大丈夫だと判断したのだろうか。それとも別の何かか。俺は、体を起こすと、桜さんと向き合った。
「まだ横になられていた方が」
「桜、ひとつだけ聞きたいんだ」
「……はい、何なりと」
桜さんは佇まいを正した。そこには、ある種の悲壮感すら漂っていた。それなりのことをやってしまったという認識は、あるのだろうか。俺は少し間を開けて、彼女に問うた。
「桜」
「はい、アロイス様」
俺は、桜さんの手を取り、彼女の目を見つめた。正直、これはかなり危険な行為であった。俺の予想が悪い方に当たれば、俺はまた自制を失うだろう。しかし、仮にそうであったにしても、俺にはもうどうしようもないという事実もあったりはするのだが。まあ、なんだ、知らずに騙されるよりも、知ってて騙されている振りをしている方が、気持ちが良いというか、何というか。つまらない自尊心のために、危ない橋を渡っている訳だが。
そしてここまで考えて、俺は致命的なことに気が付いた。これは、知らない方が圧倒的に良い、絶対に。何故ならば、知らなければ、嫁様に知らなかった騙されたと言い切れるではないか。本当に知らなければ、誘導尋問も怖くないのだよ。いかんな、こんな簡単なことに気付かないなど、俺はやはり回転が鈍っているな。
というわけで、でもないのだが、俺はかねてから準備していた質問をしてみることにした。
「桜は、俺の奴隷なんだよな」
「そうです」
すがすがしいまでに即答していただきました。しかし、これは事実確認であり、質問ではない。
「俺の奴隷である桜は、主人である俺を、裏切るような真似はしないんだよな」
「はい、勿論です」
こちらも即答でした。これもまた、奴隷としては当然そう答える、メニカムさんにも聞いた話である。これも確認に過ぎない。
「では質問だ、その言葉、俺は信じて大丈夫だな?」
「勿論です」
桜さんは、俺をまっすぐに見つめていた。その目は、少なくとも嘘を言っているようには見えなかった。いや、と言うか、俺に女の感情的な嘘を見抜くことなど、不可能だ。俺の質問には、殆ど意味が無いことに、今更ながらに気付いた。
「どうしてそのような当たり前のことを聞かれるのですか?」
「いや、何というか、……すまない、頭の中が混乱していてね」
首を傾げながら、心底分からないという雰囲気で聞いてくる桜さんを前に、俺は額を押さえていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
若干迷走気味ですね、どうしましょうか。




