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総務おじさん探訪記  作者: 中澤 悟司
総務おじさん、降り立つ
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第21話 愚者の剣

 さて、何時まで経っても夢から目覚めない俺は、もう何度目になるかも怪しくなってきた桜さんとの夜を過ごして、王都とやらでの朝を迎えた。病み上がりにも関わらず、俺の息子は元気過ぎて困るくらいだ。今朝も真っ赤なエリーさんにゴキブリを見るような目で見られてしまった。一度しつけが必要なようだな、このメイドは、って言ってみたかったりしないだろうか。


 朝食の間、桜さんは特に何も言わなかったが、俺は昨日の食卓での話を思い出していた。そう、愚者の剣とかいうやつである。

 俺的には、正直勘弁して貰いたいところではある。体のリハビリ目的で数年拳法道場に通っていたくらいで、武芸などさっぱりなのだ。あ、高校の必修科目で柔道の受け身はひたすらやったか。女性相手の寝技なら幾らか実戦経験もあるが、って冗談かましつつも、そっちも自信があるわけではない。桜さんには連敗街道まっしぐらで、もう逆に自信やプライドなんて欠片も残らんくらいにヤられておりますですハイ。

 いや、思考が逸れた。そうそう、特に武芸だ剣術だ、なんてのとは最も縁の無い生活をしていた訳ですよ私は。そりゃ、普通に考えて何の変哲もないサラリーマンがいきなり、って漫画じゃあるまいし。

 ただ、冷静に考えたとき、素性の問題で俺がやっていたような仕事は無理だろう、ということに思い至った。市民権とかあるのか分からんが、身分証明も出来ないような人間をホワイトカラーで雇おうというような物好きは、基本居ないと思う。まあ、それは現代的な感覚だから、この程度低めな文明レベルの社会でどうなのかは分からないが。逆に猟官主義的なところが強そうな気もするから、コネがなけりゃどうしようもないかもしれないな。

 ということは、結局は日雇いの肉体労働者みたいな仕事しか出来ないと考えた方が良いのか。うーん、身体能力の低い自分には非常に厳しい状況だな。


 朝食の後、寝室で桜さんと向かい合った。彼女に聞いておきたいことがあったのだ。


「ひとつ、聞いておきたいことがあるんだけどな、桜」

「何でしょう、アロイス様」


 桜さんと目が合う。彼女の瞳を覗き込んだら最後、俺は吸い込まれるように制御が利かなくなる。まるで魅了の魔法を掛けられているかのようなのだ。どうしようもなく彼女が愛おしく、欲しくて堪らなくなる。何度貪るように体を重ねても、決して消えることのない欲望の黒い炎が、俺の中で頭をもたげる。俺は、燃え盛る炎の前に吹き飛びそうになる理性を必死に手繰り寄せながら、何とか言葉を繋ぐ。


「……俺が、愚者の剣を手に取り、おかしくなってしまったら、桜はどうなるんだ」

「どうなる、と言いますと?」


 桜さんは首を傾げた。ぐうう、その仕草も可愛いよ。このままベッドに押し倒したい衝動に駆られる。いかん、意識をしっかり持たないと、こんな感じで話が出来なくなるんだよ。


「言葉通りだよ。俺が死んだら、桜は奴隷身分から解放される契約になっているだろう。じゃあ、俺がおかしくなったら、どうなるんだ」


 桜さんは、俺の問いかけに対し、暫し考える素振りを見せた。その顎に指を添える仕草も堪らない。そのまま俺の視線は彼女の唇に移る。あの唇を味わいたい蹂躙したい、今すぐに。そして、あの隙間から漏れ出る喘ぎ声を堪能したい。……駄目だ、なんかもう、ここまでくると病的だな。


「そうですね、今と何も変わらないと思いますよ」


 桜さんの答えは、実にあっさりしたものであった。


「と言うと?」

「そんなことは起こらないとは思いますが、仮におかしくなられたとしても、アロイス様が私のご主人様であることに変わりはありませんから。アロイス様が私をお気に召さなくなってお暇をいただかない限りは、今と変わらないと思いますけれども」


 おかしくなっても世話してくれるわけか、これなら痴呆が来ても大丈夫だな。


「ひょっとして、私のことを心配されているのですか?」

「そ、そうだな。今のところ、この世界で唯一の味方だからな」


勘違いと勢いで喰っちまった後ろめたさ、看病してもらった感謝の念、そして、まだ一週間ほどだが、常に側にいることによる愛着の芽生え、そんなところだろうか。

 桜さんは、まあ!と声を上げて、体をよじっている。悶えてるのか。


「ありがとうございます、アロイス様」

「ああ、いや、まあ」


 俺は生返事を返すよりなかった。


 さて、見に行くことになった愚者の剣だが、桜さんも噂に聞いただけで、具体的な場所は知らなかった。大丈夫なのか、前途多難だな、と思っていたら、執事ことムルスキー氏が知っていて、現地まで案内してもらえることになった。


「しかし、愚者の剣ですか。アロイス様もお好きですね」


お好きですね、って意味が分からん。


「桜さ、……桜から聞いたんですが、曰く付きの剣らしいですね」


 名前に敬称を付けると、桜さんからだと思うのだが、剣呑なオーラが立ち込めるので、嫁様に鍛えられたスキルが反応してしまう。これは、良いのか悪いのか微妙なところだ。


「そうですね、曰く付きも曰く付き、これほど曰くのある剣も珍しいかと思いますよ」


 なんか凄く不安になってきたんだが、桜さんの方を見ると、満面の天使の笑顔を返してきた。この、何の穢れも知らなさそうな、完全無欠の美人さんが俺の奴隷だというのだから、世の中分からない。いやー、癒されるわ、桜さんの笑顔を見てると、細かい事なんてどうでも良くなってくるから不思議なものだ。


「……愚者の剣は、かつて英雄の振った剣と言われています。しかし、英雄が何故、愚者の剣を手放してしまったのか、そこは謎に包まれているのです」


 確かにそうだな、桜さんから聞いた話では、いきなり剣を放り出して去っていったみたいな感じだったが、慈善事業家のようなタイプだったら、そう簡単に放り出すのだろうか。それとも能力だけ高い世間知らずの英雄坊ちゃんが黒い何かに気が付いて、嫌になって投げ出したか。後者の方がしっくりとは来るが、まあ現代日本人の感覚ではあるので、先入観は持たない方がよいだろう。

 ムルスキーさんは続けた。


「様々な逸話が残っていますが、やはり最も有名で私の印象にも強く残っているのは、かの剣聖ロバートのものでしょうか」

「ほう、剣聖ロバートですか。確か、ただ1人、愚者の剣を抜いて構えられたという御仁とか」

「アロイス様もお聞き及びでしたか、あれはなかなか常人の真似できることではありませんね、流石は剣聖といったところです」


 ムルスキーさんの話してくれた、剣聖ロバートとやらの逸話は、伝説と言っても良いレベルのものであった。街を襲った疫病の災厄をその剣気で打ち払ったとか、単騎でドラゴンを討伐したとか、何それ御伽話じゃないの?

 しかし、そのロバートさんですら、構えるのがやっとだったと言うのだから、もうね、香ばしいを通り越して焦げ付いているんじゃないかと思うんですよ、おっさんとしては。いや、流石に自分が抜くのが、そんな危険極まりない代物だとか、勘弁してくださいよ桜さ……。


「その剣聖ですら敵わなかった赤熱病に、司祭様の祝福も無しに耐え凌がれたアロイス様であれば、きっと大丈夫です」

「確かに、剣聖様ですら倒れた赤熱病を克服されたアロイス様ならば、あるいは、というのも道理ですね」


 桜さんとムルスキーさんが何やら盛り上がっている。その病気と、剣を抜くのは特に関係ないと思うのだが。だが。だが。


 ムルスキーさんのお気に入りっぽい、剣聖様の色んな逸話を聞きながら歩いていると、いつの間にか王都の郊外に出ていた。あ、どんなところか見学しながら、と思っていたのに、ひたすら話してしまった。


「この塚が、『愚者の墓』と呼ばれているものです」


 ムルスキーさんの案内で、やってきたその場所は、踏み込むだけでヤバイと分かるくらいの雰囲気を醸し出している場所だった。確かに墓っぽいな。周囲は林っぽいのだが、異様なくらい生気を感じない。これは、駄目な奴よね。

 しかし、ということは、あの塚というか、墓の上に突き刺さっているあれが、例の剣、というわけか。俺は、全く気乗りしないまま、ムルスキーさんに聞いた。


「ひょっとして、あれが、愚者の剣ですか?」

「そうです、あれこそが、英雄以外には剣聖ロバート卿しか持てなかった、愚者の剣です」


 剣聖推しだなぁ、ムルスキーさん。

お読みいただきありがとうございます。


週刊ペースで行けたらいいんだけどなぁ。

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