第11話 食事時
俺は、桜さんに話をすることにした。しかし、今ではない。
「桜さん、その辺りの話は歩きながらよりも、2人で晩ご飯でも食べながらにしませんか」
桜さんは、何を言っているか分からないといった感じで、俺の方を見て立ち止まった。先導していたメニカムさんところの使用人も足を止めた。あれ、俺何かおかしいこと言ったか?
「ご主人様、今何とおっしゃいました?」
「あ、話なら晩ご飯でも食べながらと」
あ、ひょっとして、ながら食いは行儀悪いとか、そういうことだろうか。俺好みの顔がストレートに俺と向き合っている。美人が真面目なというか、真剣な表情をすると、それだけで凄く凛として画になるな、これ。いや、怖い、はっきり言って怖い。俺は今からどんな公開処刑をされるのだろうか、オラわくわくしてきたぞ。桜さんの、あの艶めかしい綺麗な形の唇が割れて、言葉が出てくるのか。ああ、どんな言葉で叱責罵倒されるのか楽しみだ、ってこれじゃ俺は真性のマゾだな。
「奴隷と一緒に食事をされる主人など、この国では聞いたことがありません」
あ、そっちか。行儀云々じゃなくて良かったよ。これならまだ何とでも言えるな。
「この国では、でしょう。私はこの国の人間ではないので、その辺りの風習やしきたりや決まり事はさっぱり分かりませんが、何か法に触れるとか、マズいことでもあるのですか?」
「いえ、特には無いと思いますが」
そう言って、桜さんはメニカムさんの使用人を見た。察したのか、彼が補足するように説明してくれた。
「禁忌や触法行為では無いと思いますよ。この辺りの習慣として無いだけのことですので、アロイス様がそうされたいのなら、そうされても特に問題は無いかと」
「そうですか、じゃあ何も問題は無い、そういうことですね」
「ご主人様」
「私がそうして欲しいのです。一緒に食べてください」
いや、むしろ俺が桜さんを食べるのか。いかんいかん、そんなことは後でじっくりゆっくり考えれば良いではないか。なんかさっき時間が無いとか言ってたような気もするけど気にしない方向で。
「私は桜さんと一緒に晩ご飯が食べたいのですよ、是非にお願いします」
桜さんはちょっと考える素振りを見せた。何が彼女を躊躇させるのか、俺にはさっぱり分からないが。まあ、職場の若い子なら断る理由でも考えてるのだろう、とか思うところだが。この手の経験値が限りなく低い俺には、考えるだけ無駄であった。
「……分かりました、奴隷と好んで食卓を共にされたいなど、不思議な主人ですね、ご主人様は」
「変わっているとは、言われますよ、確かに」
俺自身はそうも思わないのだが、昔から変わり者扱いは確かにされていた。友人からも、嫁さんからも、果ては自分の子供からも変わり者認定されていたな、そう言えば。俺のどこが変わっているのだろうか、自分ではいまいち分からないものだ。
そんなこんなで歩いていると、どうやら家に着いたようだ。アパート住まいの木っ端役人からすれば、貴族街ではないとか関係なく、立派なおうちだ。見た目はまるっきりヘー〇ルハウスだが、四角い感じが、逆にモダンな感じを受けた。案内してくれたメニカムさんの使用人、ムルスキーさんによると、家は既に住める状態になっているということだった。まるで予定されていた、事前に分かっていたような手際の良さだ。俺は少し不思議に思ったが、夢だからそんなもんだろう、と納得することにした。
ただ、正直、俺は家なんてどうでも良かった。もうさっきから桜さんとの目眩く一時をどのように過ごそうか、そればっかりであった。何を言われてもあんまり聞いていない、耳に入ってこない。晩飯も、どうでも良かった。俺は一刻も早くムハムハしたいのだ。嫁さんとも久しくご無沙汰だったしな。下半身が疼いて仕方なかった。
一緒に歩いて少し話もして、俺の緊張感は若干収まっていた。となれば、こんないい女が無防備に横にいたら、どうにかならない方がおかしいのだ。きっとそうだ、全部桜さんが悪い。不可抗力だ。って、夢の中でもひたすら言い訳してるな、俺。っていうか、夢から覚める前に、やることはやりたいのである。夢くらい、見せてくれ。
そんな感じで悶々としている俺に感付いているのかいないのか、桜さんは、チラ見を続ける俺の視線に気付くと、俺に向かって微笑んだ。ああ、もう無理、理性が溶けていきそう。
「ではアロイス様、お食事は用意しておりますので、こちらへどうぞ」
ムルスキーさんは、俺と桜さんを連れて、廊下を通り抜け、ダイニングっぽいところへ移動した。その部屋では、給仕のような女性が2名待っていた。ムルスキーさんは、その2名の前に立つと、回れ右で俺の方に向いた。
「申し遅れましたが、私ムルスキーは、こちらの2名と共に、この屋敷でアロイス様のお世話を承ります」
3人は揃って俺に頭を下げた。え?執事とメイド付きってわけ?おいおい、なんか凄いな。しかし、どうしても俺は言っておきたいことがあった。
「執事さんはセバスチャンじゃないのか」
「は?」
「あ、言ってみたかっただけです。すみません、お世話になります」
俺は、部屋の隅っこに立っていた桜さんを呼ぶと、俺の向かいに座らせた。対面はいやがるかな、と思ったが、さして反論もなく、割合にあっさりと彼女は座った。そして、食事が始まった。
食事自体は、現代日本の食事に慣れきっている人間にとっては、特筆することもないものだった。敢えて言えば、野趣溢れるジビエ料理、ってところなんだろうか。味は薄味で、素材の味そのものという感じであった。塩やスパイスは貴重品なのだろうか。
驚いたのは食器だ。桜さんが箸はおろかフォークも使わずに、置いてあったナイフだけで食事を始めたときは、いささかの驚愕を覚えた。具の無いスープは、木の器から直接飲んでいたし、マナーとか以前に、フォークもスプーンも無いのだ。色々と聞きたいことや言いたいことはあったが、もうそれで余分に時間を食うのが惜しかった俺は、敢えて何も言わなかった。
「それでアロイス様、その、お体の制約についてお聞きしたいのですが」
食事がある程度進んだ頃合いで、桜さんが切り出した。彼女にしてみればどうしても気になることだろう。
「ああ、制約なんて大袈裟に言ってしまいましたね。時々特定の言葉が出ないことがあるので、言い回しを変えて話すことがあるんです、大したことではないんですよ。まずは、基本的に液体物を持って運べないんですよ。緊張のせいか、震えや硬直が酷くなるので」
つい先程、桜さんは、俺のスープを飲む様を見ていた。俺は、器を持ち上げると零してしまうので、顔を器に近づける、所謂犬飲みをしていた。俺もこんな綺麗な女性の前で犬飲みをせざるを得ないことに、葛藤がないわけではないが、持ち上げて零すのはもっと格好が悪いと思っているので、消去法で選択しているだけのことだ。
「それ以外には何かございますか?」
彼女は、俺の震えや硬直については特に聞かないまま、次の質問に移った。若干意外に思いつつも、そうだなあ、と俺はそれ以外について考えた。
俺は脳損傷による体幹機能障害とか診断されていた。で、困ることはあるか、大変か、と聞かれれば、まあ困ることもあるし、楽ではないかな、と答えてきた。
俺にしてみれば、この状態しか知らないのだ。困ると言えば困るし、大変と言えば大変なのかもしれないが、そうでない状況を知らないのだから、比較のしようもないのである。
「力の加減が上手くいかないことがたまにある、滑舌が悪いから何言ってるか聞き取りにくいことがある、くらいかな。まあでも実生活では、そんなに困らないんですよ、意外と」
他の人と同じように出来なくても、やり方を工夫すれば、それなりに対処は出来るものなのだ。というより、そうせざるを得ない。
「あ、後ね、耳が悪いんですよ。あんまり聞こえてないって医者には言われるんですよ。小さな声でなければ、会話に支障は無いんですけどね」
聴力は定期検診で毎回引っ掛かるのだ、そして毎回同じ話をして、毎回処置無しで様子見である。様式美?のようなものであろうか。
桜さんは、そんな俺の自己紹介にも似た話を、微笑みながら聞いていた。ああ、この微笑み、癒されるわー。
暴走は延期されました(苦笑)
ぼちぼち続きます。