第100話 存在という存在
「佐久夜さん、貴女は何者なんですか?」
「アロイス様は、それをお聞きになりたいのですか?」
佐久夜さんは、微笑んだままだった。本当にそれが聞きたいのか、と。
「そうですね、…実は他にも色々とあるのですが、ひとつ、となれば」
「どうしてひとつに?」
「『ご褒美』なら、そういうものでしょう?」
俺には自分なりの推測があったが、その推測だって佐久夜さんには筒抜けなのだろう。
「そうですか、ふふっ、面白い方ですね、アロイス様は」
俺の言葉を聞いた佐久夜さんは、そう言いながら俺から視線を外し、空を見上げた。そこには、何故か空があったのだ。
「アロイス様、この空の向こうは、何だと思いますか?」
俺は、考えた。他の面子なら、星空とか、月とか、はたまた神様がいるとか、それで良いのかもしれないが、彼女はきっとそうではない。
「…宇宙、ですか」
「そうですね」
佐久夜さんは、再度俺の方を見て、笑みを深めた。どうやら正解だったようだ。彼女は、更に続けた。
「では、宇宙の向こう側は、何だと思いますか?」
「…私の聞いた話では、そこには無があると」
「ふふっ、そうですか」
彼女は、面白そうに笑った。彼女の認識とは違うのかもしれない。
「では、話を変えましょう。反対に、生き物の体は何で出来ていますか?」
「…細胞、でしょうか」
「では、その細胞は?」
追加の問いに、また少し考える。
「…タンパク質、ですか」
「では、タンパク質は何から?」
「炭素や酸素から、ですか」
「では、炭素や酸素は?」
「陽子や中性子とか、ですか?」
「では、陽子や中性子は?」
「…素粒子、でしょうか」
「では、素粒子とは?」
「ゆらぎ、と聞いたことがあります」
「その向こう側は?」
「…もしかして、無、ですか」
彼女は更に笑みを深めた。
「大抵の宗教の創世神話では、神は何も無い場所に火を投げ入れてこの世界を創った、とあります」
「そう、ですね」
「アロイス様の学んだ中にも、宇宙開闢は、ビッグバンなる、無の中のゆらぎであった、という話があったのでは?」
「…そうですね」
「ゆらぎ、そう、ゆらぎです。宇宙の外側にも、素粒子の奥にも、無があり、また同じようにゆらぎがある」
「ま、まさか」
そんな荒唐無稽なことがあってたまるか、という思いと、それはそれである程度納得出来てしまう俺が居た。
「異なるのは時間、ですが、次元が違えば時の流れの違いなど微々たる話です」
佐久夜さんは、手を広げ、包み込むような仕草をした。
「全ては、全てを包括しているのですよ、アロイス様」
俺は、何も言えなかった。
「そして、その外側に居るのが、我々という『存在』なのです」
佐久夜さんが、また微笑んだ。
◇◇◇
太古、時間という概念すら存在しなかったであろう時期から、それらは在った。元々は、無数にあった個々の差も然程無かったのであろうそれらは、まるでアメーバのようにお互いを食い合い、どんどん大きくなっていった。
ある時、ただ食い合っていたそれらに、突然自我が芽生え始めた。大きく強いものが自我を持つとは限らなかったので、自我を持つに至る強大な『存在』が出揃うには、なお時間を必要とした。
自我を持ったとはいえ、やることは大して変わらず、お互いを食い合うことが続いた。ある時、自らの内側に意識を向けた存在がいた。そこには、彼らをして、興味深い出来事が起こっていた。それらは、内側に意識を向けることを他にも広げ、お互いが食い合うことについて、あまり利点が無いことを認識するに至った。
しかし、お互いを食い合う闘争本能は止めること能わず、存在同士の争いは続いた。ある時、存在の中でも強大で自我があるものが集まり、協定を結んだ。闘争本能の要求を満足させつつ、お互いに食い合うことを終わらせるにはどうすれば良いか、それらは、お互いの中にいるものに、代理で争わせることを思い付いた。
紳士協定であったそれは、時に守らないものも出たが、強大な存在が軒並み参加したため、実質的に彼らの間において不文律となり、決まりごとになっていった。強大になればこそ、お互いを食い合うことに飽き、疲れ、また自らが消えることを恐れてもいた。自我を持ち、感情を持つに至った存在達は、彼らの内側にあるものにより、悠久の時を過ごすにあたっての慰め、楽しみを得たのであった。
彼らの中で、次々と出来ては消えていく揺らぎが、彼ら自身をも変えていく。彼らもまた、いつかは消える数多の揺らぎの中のひとつに含まれるに過ぎないのだろうか。それはもう、誰にも分からない。
◇◇◇
「何億、何兆、数えきれないそれ以上の揺らぎ、宇宙が生まれ、消えていきました」
佐久夜さんは、語り続けた。
「私たちは、その世界の一つ一つを、慰めのために見ていました」
「また、お互いで世界を交換したり、その世界に住まうものを動かしたり、違うものに管理させたり、色々しましたよ」
「幾多の遊びの中で、楽しいことも、悲しいことも、色々と体験しました」
この人、存在にとって、俺は、俺たちは、幾多の泡沫の表面に浮かぶ模様に過ぎないのだ。たまたま綺麗な模様が出来たから、綺麗だなと観察している。面白い模様が出来たから、他の存在に自慢する。その程度の話なのだろう。人間が、泡の模様に興味を示したとしても、泡の権利だ保護だ、などと言うことはあり得ないだろう。
実に楽しそうに語る佐久夜さんを見ながら、俺は背筋が凍り、体が震えるのを抑えることが出来なくなった。
「…大丈夫ですよ、アロイス様」
「…な、何がでしょうか」
「あなたは桜のお気に入りですから、それはつまり、私のお気に入りでもあるのですよ」
何が琴線に触れたのか、それは全く分からない。しかし、一つだけ、確実に言えることがあった。俺は、素晴らしく稀有で途轍もなく厄介なものに関わってしまった、ということだ。
「ちなみに、私は神と呼ばれる存在ではありません」
彼女は、念のため、とばかりに話を続けた。
「確かに私は、自らの中にある世界においては、神の如き振る舞いもやろうと思えば出来るでしょう。同格の存在の中で、限定的に行使することも可能です」
「しかし、それはあくまでも私たち存在の水準で考えた場合の話です。私たちの存在の外側の世界も、きっとあるのでしょう。決して認識することは出来ないでしょうが」
「私など、意外と、そうですね、アロイス様の呼気に含まれる元素の一つの中にあるだけの存在に過ぎないのかも知れません」
そこまで話すと、佐久夜さんは湯呑を手に取った。
…話のスケールがぶっ飛びすぎて、俺は、理解することを諦めた。
どのみち、検証も確認もしようが無い話なのだ。認識の外側にいる存在の真偽を、どうやって認識すると?神の存在にまつわる議論が、どこまで行っても科学的にはなり得ないのと同じである。それは、信仰の話、心の問題である。
俺にとって重要なのは、佐久夜さんが、少なくとも俺の手に負える人ではないと、再認識というか、再確認できたということだ。自分はこの宇宙を包括する存在だ、とか言い出したら、こっちに来るまでの俺なら間違いなく精神科受診を勧めていただろう。今でも、正直なところ信じ切ることは、簡単にはできない。
しかし、自分の身に起こった、不可思議な出来事を思い返せば、そんなこともあるのかもしれない、と考えられるくらいには、俺も頭が柔らかくなっているのかもしれない。
「なんだか規模感が桁違いで、良くも悪くも理解出来ないですが、佐久夜さんは私の味方、ということでいいんですかね?」
雲の如く掴みどころの無い話もさることながら、一番重要なのは、結局これなのだ。
遂に3桁話まで来ました(パチパチ)
いやあ、続くものですなぁ