アランの逃亡(三、四)
三、事件
ある夜、アランは街を歩いていた。夜鳴きうぐいすの声のなか、カトリーヌに会えない晩が続いたからである。
「カトリーヌ、僕の恋人、カトリーヌ……」
アランの掠れた声は、心ない月夜の静けさによって、一人の青年の耳へと届けられた。
カトリーヌは父親から、自身の縁談がまとまったという話を聞かされていた。これまで、縁談のあること自体知らされていなかったカトリーヌは、父親の言葉に大いに反抗を示したが、彼は取り合おうとしない。
「十七といえば、もういい頃だろう。それに、そういう人がおれば、よもやお前も、夜遊びをしようなどという、みっともない気を起こすこともあるまい」
そう言う父親を前にして、カトリーヌの瞳には、憎悪と敵意の炎が燃え立っていた。
突然、アンリという青年が、邸へと運ばれてきた。
「何、アンリが?」
カトリーヌの父親は、すぐさま彼のもとへと駆けつける。
「アンリ、何があった」
「……やられた……」
か細い声で、アンリが答える。
「お嬢さんの恋人と名乗る男と会いまして……、私が彼女のフィアンセだと名乗ると、奴はいきなり懐剣を……」
「嘘よ、この人が先に仕掛けたんだわ」
「黙れ、カトリーヌ」
「ああ……、私はもう……」
青年は、フィアンセとその父親の目の前で両の眼を閉じ、再びその瞼を開くことはなかった。
愛しのアラン
私のアラン
せめて、
その紅い、優しい唇だけでも……
四、アラン
街より七里ほど離れた村に、アランはその身を寄せていた。街の厳しい法律も、ここまで追いかけてくることはできない。アランは村の娘を娶り、細々とした暮らしを送っていた。事件から、五年の時が経っていた。
アランの妻は、名をジャンヌという。歳はアランと同じほどで、彼が姿を現してから、何かと世話を焼いてくれていた。アランは彼女への恩義を感じ、また、その胸の思いを知って、夫婦の契りを交わす決意をした。
アランは妻に、事件のすべてを打ち明けていた。あの日、恋人を探して、夜の街を歩いていたこと。アンリという青年に会ったこと。彼が彼女のフィアンセだと名乗り、これ以後近づくなと警告してきたこと、口論になり、彼を刺して、逃げてきたこと。そして、決して自分から剣を抜いたのではないことも話した。相手が剣を抜いて脅してきたのに困惑し、咄嗟に懐剣を取り出して、相手の胸を刺してしまった。アランは自身の身の危険を感じ、震える身体に鞭打って走り出した。アンリが息を引き取ったという報せは、ほどなくこの村にも届いたのであった。
「今思えば、馬鹿なことをした」
そう言う彼を、ジャンヌは優しく包み込み、
「カトリーヌの話が聴きたい」
と言って、微笑んだ。
僕はさ、気儘な暮らしがしたかったんだよ。誰かを愛して、誰かに愛されて。最近はどこの街でもそうだけど、人間は、この薄暗い世の中を自分が照らしていくんだって張り切って、躍起になっている。誰かのためっていう奴もいれば、金儲けがしたいだけの奴もいる。でも、そんなの大差ないよ。結局は人を踏んづけて、伸し上がろうとしているだけなんだから。
先が見えなくたっていいじゃないか。思い切り泥に浸かりきって、寝転がったままでもいいじゃないか。照らそうとか、這い上がろうとか、却って悪くなるだけじゃないか、人を傷つけたりして。
僕の親父は……、大金持ちや、時代の牽引者にくっついて、彼らの慰みをしていた。それだけなんだ……。
僕は家を飛び出した。本物の道化になろうと決意した。カトリーヌと出会って、思い切り恋を楽しんで……、あのときは本当に楽しかった。躍起になっている人間どもに、一矢報いた気にもなった。おかしなことを言って、恋人を笑わせて……。
愛に生きた。恋に生きた。煩わしいことは何もかも忘れて、ただただ快楽の奴隷となった……。
でも、本物の道化になるというのは、こういうことだったんだ。恋しさのあまり、街をうろついて、人を殺して逃げてくるだなんてさ。
ある朝、ヒバリの高らかなさえずりのなか、アランの目の前に、三人の大男が現れた。
「アランよ、お前を捕らえにきた」
「街の法律は、ここには及ばないはずだ」
「だからこそ、内密に我らを雇われたのだ。さあ、来い」
男らはアランを縄で縛り、連れ去った。
「やめて」
「黙れ、さもないと」
「連れてかないで」
「ジャンヌ。……お元気で……」
……先が見えなくたっていいじゃないか。思い切り泥に浸かりきって、寝転がったままでもいいじゃないか。照らそうとか、這い上がろうとか、却って悪くなるだけじゃないか、人を傷つけたりして……