2.シバラレテイタモノ
十の月が過ぎ去った。
小さな手足は扱うにしても未だに頼りない。ぎこちなく立ち上がった私の背中を、男の大きな手が支えてくれた。
「お嬢ー、あんまりウロつかないでくださいよ~。マジでだりぃから」
世話係の男は、今日も退屈そうに隣にどっかりと胡座をかいて控えながら欠伸する。血のような赤い瞳を、退屈の涙に滲ませている。
こいつはほんと、いつだってだらしない。
「おー、ぐえういー。そえーもおあえ、ゆーああ! きゃーあおういおおーあきーたああうお!」
だめだ、まだまだ滑舌は甘い。
だが、世話係のこいつはきちんと理解してくれているようで、深く溜め息をこぼしていた。
「いや、あくまで『元』だから。しかも一回、お前のご主人と刺し違えて死んでるからな? 今の俺は魔族。勇者はやめろって」
苦い表情で幼児に言い聞かせてくるこいつもなかなかの酔狂ではないだろうか? だがそれ以上に、自分の状況に甘んじているこいつのやる気のなさが問題だ。
「ゆーああやいおいとああーえあい」
幼児に似合わないのは解った上で溜め息をついたら、露骨に嫌そうな顔をされた。
「うっせえわ。俺は別に望んで勇者やってた訳じゃねえっつの。いや、まあ大体さあ~? 担ぎ上げられて調子乗ってた時は楽しかったからいいけどな? いざ蓋を開けてみたら俺一人でお前ら全員と戦ってたんだぜ? やってらんねえって」
「んう? おあいなおというら? おーえいおやおーふあいあおーろああえおき、しゅうなうおとおあーとおにたたたってーあたえおおーこあせっこーおおーこはいやあななーあ」
「はあ?! あんなタンクにへなちょこが味方?!」
こればっかりは、普段何でも適当に受け流しているこいつも我慢ならなかったのだろう。だんっと強く隣を叩くから、地面が拳型に陥没していた。
地が微かに波打って、その振動で体が浮く。尻から着地しようとした私をグレムリンは柔らかく受け止め抱き上げた。
ちょっと楽しい。
おおーっとそいつの腕の中で思わず感心して手を叩いていたら、どうやらなかなか思い出したくなかった案件の様で、まだがしがしと頭をかいていた。
「勘弁してくれよお嬢。第一あいつら、女の子しか守らないからな! 何かあるとすぐ、後衛は俺が守るって言ってたけど、ぶっちゃけ本来は俺のためのタンクだからな?! 斥候なんて、死にたくないから偵察なんてしたくねえって、職務怠慢どころじゃなかったつの! チッ、思い出したらイライラしてきた。あいつらしかも、目を離すと手当たり次第で街の女の子達に手を出しやがってさ?! 俺には勇者でみんなの見本であれとか言っておきながら、あいつらと来たら……! ああ! 思い出しただけでイライラする! 何度もぎってやろうと思った事か!」
ついにはぶちっと毛をむしってしまっていた。天の星のような、綺麗な白銀の毛が何だかもったいない。
グレムリンは握っていた拳を肩で息をしながら解くと、呪力をまとっていた彼の髪が風を呼びこんだ。その風は天に上り、ゆうゆうと浮かんでいた雲を押し流す。
「やいおいいてうおいはいああえちゃか?」
「……まあ、お蔭さまで。俺の主人があんたで今はすごく助かってるよ」
「なあ、いー」
ぺしぺしとその頬を叩いてやったら、困ったように眉尻を落とした後にへにゃりと微苦笑していた。
その方が、退屈そうな時よりも似合っている。
うむ。
今日も私の側は平和である。