ヒロインに転生したら魔王になっちゃって……幸せです。(悪ヒロ後日談)
魔王になって一週間。
魔族領でのお披露目パーティーと言う名のどんちゃん騒ぎも終わり、モリーはまったりとパンを作っていた。
魔王城の敷地の中にあるハーブ園には色んな香草が生えていて、セバスチャンに食用かを確認しながら摘んだそれらはパンに練り込むとほんのり甘く香る。焼きあがったらきっともっと良い香りになるだろう。
「ねえ、ここで働くみんなは喜んでくれるかな」
発酵待ちの間にパンを配るための籠を見繕いつつ聞けば、セバスチャンは「もちろんです」と笑う。
穏やかな午後。
春からの日々を思うと嘘のような日常がここにあった。
あったはずだった。
「魔王様! 敵襲です!」
そんな声が聞こえるまでは。
「敵? 排除すればいいじゃん」
小柄なメイドちゃんの叫び声に、日向ぼっこ中の警備隊さんたちがぼりぼりとおせんべいをかじりながら答える。
「それが魔王様のお友達とおっしゃる方々だったので応接間にお通ししたところ、突然騒ぎ出しまして。殺すまで帰らないなどとおっしゃっているのですが……その……弱い者いじめになりそうで手出しできなくて」
私を殺すまで帰らない? どうしてそんな。
いやでもそれ以上に弱い者いじめって、このか弱そうなメイドちゃんが?
「敵は人間国の少年5人と少女1人ですか。魔王討伐には脆弱すぎる編成ですね」
報告を聞いたセバスチャンは呆れ顔で呟くと、メイドちゃんに私をお部屋に連れて行くように言う。セバスチャンの指示を聞いたメイドちゃんはとても良い笑顔で「かしこまりました!」と答え、私の手を引っ張った。
「行きますよ、魔王様。みんなも、準備して!」
「あいさー」
「え、俺のこのまえの酒浴びでクリーニングに出したまんまなんだけど」
「おい起きろ、行くぞ」
なぜかみんなとても楽しそうに動き始めて、耳の端に「宴だー」と聞こえた気もするけれど、メイドちゃんに連行されたせいで確認することは出来なかった。
先週から私の部屋になった元魔王様のお部屋につくと、メイドちゃんはクローゼットをバタバタとあさってドレスとアクセサリーを取り出す。
らくちんワンピースを脱がされてドレスへの着替え、軽い化粧にヘアアレンジ。
ものの30分で身支度をされれば、姿見の前でサーモンピンクのドレスをまとった乙女ゲームのヒロイン……じゃなくて私が緊張した面持ちで立っている。
ほんとに、見た目だけはヒロインなんだよなぁ。これで魔王だなんて誰も信じないよきっと。
メイドちゃんに言われるままに笑顔を作ってみればさらにヒロインっぽい。
なんせ、きらきら輝くピンクの髪。前世の記憶を思い出してからこの髪でいるのが恥ずかしくて仕方がないし、明日にでも毛染めしようかなぁ。
「さ、行きますよ魔王様。今日は飲み明かしましょうね!」
なぜか飲む気満々なメイドちゃん。こどもはお酒飲んじゃだめですよ。
「私きのう14歳になったんです。祝お酒解禁!」
魔族のアルコール解禁年齢低すぎ! ってかそれ以上にメイドちゃん若すぎ……前世の私より10歳近く若い……。白くふっくらとした頬に若さを感じていると、パンの二次発酵中だったことを思い出した。
「ごめんメイドちゃん、ちょっとキッチン行ってくるね!」
ドレス姿でキッチンに突撃すれば、セバスチャンが発酵の終わったパンをオーブンに入れているところだった。
「戻ってこられないと思っていました」
生地の様子を見せてもらうとちょうどいい発酵具合に安心する。
「宴の途中で出すように指示しておきましょう、良い頃合いで出せるはずですよ」
そう言ってセバスチャンは白手袋の手を差し出してくる。
「参りましょう、魔王様」
その手を取るのにも慣れてきた。
これから王子様たちと戦わなきゃいけないとしても、お城のみんながいるから心強い。
「楽しみましょう、今日もパーティーです」
気まぐれな猫のように笑みを浮かべるセバスチャンに、思わず「はい」とうなずいた。
連れて行かれたのは応接間ではなく大広間。
宴会時と違って中央を広くあけて楽団をわきに置いたセッティングに舞踏会を思い出して思わず足がすくむ。
セバスチャンが「お楽しみの始まりですよ」と強く手を握り返してくれるけれど、それでも居心地が悪くて。
大広間の真ん中で深呼吸していれば、扉が大きく開かれた。
「魔王討伐隊御一行様のご到着です」
声を張るのは合唱隊の人。
華やかな音楽と共に迎え入れられた魔王討伐隊御一行様は想像通り王子様たちだった。
伝説の聖剣らしき剣を腰に差したランドルフ王子に騎士の恰好をしたケイン、魔道士姿のショーンとデイビッド、武闘家っぽい恰好のハドソンに、真ん中にいるのは聖女っぽいローブ姿のクリスティーヌ。
彼らは私の前まで進んでくると音楽の終わりと共に止まった。楽団員たちと打ち合わせでもしたんだろうか。
「脱獄者モリー! 脱獄のみならず魔族に肩入れし人間に仇なそうとするとは何事か! 直ちに帰国せよ!」
ランドルフ王子の言葉と共にケインが王様の勅令書らしきものを広げる。文字が小さくて読めない。
あと、わきにいる楽団さんがいかにも断罪シーンな曲を演奏してくれるのなんとかならないのこれ。
「ねえモリー嬢、ここにいるやつらを倒して俺たちと一緒に帰ろう。そうしたら、魔王にさらわれたけど俺らと一緒に魔王を倒した英雄ってことで免罪になる。王子だって立場上表立っては言えないけど、モリーのことを心配してきたんだ」
ショーンが相変わらず輝くようなイケメン顔で訴えてくる。
「帰ろう、モリー。学園への入学が決まったのって森で魔物を倒しているところを警邏隊に発見されたのがきっかけだろ。なんで魔物側についてるんだよ。君は人間なんだよ?」
「可憐なあなたに魔王なんて似合わないよ」
「猫たちが待ってる」
イケメンたちの帰ろうコール。
感動的な楽団のBGM。
ちょっと状況についていけない。
「あのとき、あなただけはわたくしの身の潔白を主張してくれました。それに、婚約破棄を言い訳…ではなくきっかけに、王国軍の聖女として新しい生活を送れるようになったのです。密かにお慕いしておりました隣国の王太子様との婚約も決まりましたし、あなたには感謝こそすれ恨みなんて抱いておりません。わたくし、あなたとお友達になりたいのですわ」
クリスティーヌが神々しい笑みを浮かべる。やっぱり美女はすごい。勝てない。
「あの」
「いけません」
私の言葉を隣のセバスチャンが遮る。
「あなたがたは魔王様を処刑しようとなさったのです。そのような危険な場所へお帰しするわけにはまいりません」
「黙れ魔物風情が!」
デイビッドが聖魔法を放つ。
それを私たちは平然と受け止めた。あんまり元気になった気がしない。セバスチャンも微妙な顔をしているし。
「避けもしないとは馬鹿にしているのか!」
デイビッドが今度は紫色の球を放とうとしてショーンに「モリーを巻き添えにする気か」と制止される。
確かに、私がいると攻撃魔法は使えない。でも、聖魔法を放ったって魔物でも死霊系でもないセバスチャンには効かない。
これどうやって収拾付ければいいのかなぁ、と考え始めたとき、大広間の扉が開いた。
「お食事のご準備をさせていただきます」
そう言ってシルバーのセットされたテーブルを押して入ってくるシェフさんたち。
「さて皆様。本日は我らが王であるモリー様のためにお集まりいただきありがとうございます。ささやかではございますがどうぞお楽しみくださいませ」
隣で礼をするセバスチャン。
メイドちゃんたちが王子様たちを半ば強引に席につかせ、私も座らされて食事が始まる。
有無を言わせずに場を運んでいくのは魔族の得意分野なのか。気づけば楽団の演奏する曲も晩餐会らしいものになっていて、私は考えることをやめた。ごはん美味しいからいいや。もう。
「こちらのパンは魔王様手作りのものでございます」
メイドさんがパンのサーブをしながら一人一人に声をかけている。魔王城特製ハーブパン。
幸い綺麗に焼けていて、肉料理に合うパンに仕上がっていた。
王子様たちも「おいしい」と言って食べてくれていて一安心。和やかになった空気に、気になっていたことを問う。
「私、今日みなさまにお会いして、戸惑っているんです」
どうして一緒に帰ろうなんて言うのか。状態異常解除がされて私を処刑しようとしたくせに、あんなに熱っぽい目をしていたのが一瞬で冷たい目に変わったくせに、どうして魔族領まで来たのか。それに……たとえ帰ったとしても、どうせ何かあるたびに私を嫌いになるくせに。どうして。
「そっか、モリー嬢が不思議に思うのも無理はないか。なんかね、あの日クリスティーヌが状態異常解除した瞬間、急に『モリー嬢が俺らに禁術をかけている』って思っちゃって。しかも群衆の中で即座に騎士団に指示を出した人がいたでしょ? 混乱しちゃって動けなかったんだよね」
「でも、禁術をかけているって思わせた精神操作魔法自体が王族への禁術使用行為だったんだよ」
「わたくし、みなさまがわたくしを悪者と思うような精神操作魔法をかけられていると思って状態異常解除をしたのですわ。でもその瞬間、新たに魔法をかけ直されてしまったみたいで。モリー様には申し訳ないことをしましたわ」
その精神操作魔法はきっと、ゲームの強制力とか世界の意思と呼ばれているものだろう。
ネット小説「悪役令嬢ですが、魔王を倒そうと思いますの」の世界ではモリーは禁術の使い手として物語から退場しなくてはいけなかったし、そのためには登場人物みんながモリーが禁術使用者であると思わなければいけなかった。セバスチャン曰く私の魅了魔法は素人の状態異常解除程度では解除できないらしいから、この世界が整合性を保つために精神操作を併用するのは仕方のないことだったのかもしれない。
小説ではヒロインが退場したあと、クリスティーヌが王国軍の魔術師団に入団して魔王を倒し、他国の王子様とハッピーエンドを迎えたはずだ。さっきクリスティーヌは王国軍の聖女になって隣国の王太子様との婚約が決まったと言っていた。
ということは、残っているストーリーはクリスティーヌが魔王を倒すこと。
それさえ終われば、私は小説の流れから逃れられる。
私はここに来ている全員に微笑みかけた。
「私、みなさまに迎えに来ていただけてとても嬉しいです。せっかくの楽しい会ですし、余興として一つ、クリスティーヌ様、私と勝負していただけませんか」
使い方のわからない魅了・暗示魔法が発動していることを祈りながら懇願するように全員の顔を見渡す。
「楽しそうだな」
いち早くランドルフ王子が声を上げた。やっぱり王子様は誰よりもチョロかった。
「ランドルフ様がそうおっしゃるのなら、喜んでお受けしますわ」
聖女のたたえる微笑みがまぶしい。ああ、私、クリスティーヌに倒されるなら本望だわ。美しさは正義。
「ありがとうございます。では、準備をしてまいりますのでお食事をお続けください」
斜め後ろで待機していたセバスチャンに目を向けてエスコートしてもらう。大広間を出ると一気に力が抜けた。
「セバスチャン、私がクリスティーヌに負けることが出来る勝負方法考えて。今すぐ」
セバスチャンに体を支えられながら言うと、彼はいぶかしそうに眉根を寄せる。
「余興と言えど、魔王様が負けてまで彼らを楽しませる必要は皆無だと思われますが」
違う、違うんだよセバスチャン。
「学園で私の運命は変えられなかったでしょ。だから、クリスティーヌは魔王を倒さなきゃいけないし、モリーは処刑されないといけないの」
「処刑などと」
「そっちは魔族領の真ん中に体一つで置いてきたってことにすれば大丈夫。嘘ではないし、処刑方法まで書いてなかったからいけるはず。とにかく、魔王が倒されればいいの」
私の言葉は理解してもらえていないだろうけど、このままじゃ将来パワーアップしたクリスティーヌに倒されることになるかもしれない。だから必死だ。
「お願い、毛玉ちゃん1号」
そう呼べば。彼の目から迷いが消えた。
「わかったよ、モリー」
◇
食事が終わると、シェフやメイドさんたちが食器類をテーブルごと大広間から撤去し、大広間の真ん中にボクシングのリングのようなものが設置された。
魔王城で働くみんなもわいわいと大広間に入ってくる。私が作ったパンに加え、ポップコーンや焼き鳥セットを抱えて楽しそうだ。
「皆さま、お待たせいたしました! これより、聖女クリスティーヌ様と魔王モリー様による魔法勝負を行いたいと思います! 司会はわたくし、メイドちゃんが行います!」
レーシングクイーンのようなミニスカ衣装に身を包んだメイドちゃんがマイクでアナウンスをを始める。
って、セバスチャン、私に魔法対決をしろと? 聖魔法以外ほとんど使えない私が魔法対決? そんなご無体な。
「ルールは簡単、魔法を使って相手を倒す、それだけです! 仰向け、うつ伏せ、横倒れ、どんな形であれ相手の体を倒せば勝ち、時間無制限一本勝負です!」
あかん。めっちゃ痛そう。てか死ぬ。本気で死ぬ。
「なお、負傷した場合、勝負終了の合図と同時に魔王城専属医が回復させますのでご安心ください。ちなみに! 今だけ最大禁忌、黄泉還りもご提供いたします! 安心してお亡くなりになってくださいね!」
いやいや全然安心できないから! 安心して死ぬとかないから! メイドちゃんいくら若いからって適当なこと言っちゃだめだって!
何やってんのよセバスチャン、と斜め後ろの彼を見るも平然としている。はめられた気分。
「それでは、お二人ともリングへどうぞ!」
メイドちゃんの言葉と共に、後ろにいたセバスチャンが私の耳元に顔を寄せる。私だけに聞こえるように「さあ、存分に倒されてきてくださいませ」とささやいて、ちゅっ、という音と共に耳たぶに柔らかな感触がした。
い、いま、何? キスされた? 耳に? セバスチャン?!?!
その行動の意味を問おうとするも、エスコートされてそのままリングの中へ。逃げられないわこれ。
「白コーナー、クスティィィィィィヌ!」
クリスティーヌの優雅な礼。さすが侯爵令嬢、一部のすきもない。
「ピンクコーナー、モルィィイイイイ!」
短い学園生活で身に着けた礼を全身全霊で返すと、魔族のみんなが「魔王様頑張ってー」「魔王様が勝つ方に賭けたから!」「ビールかけの準備できてるぞー」と騒ぎ出した。ごめんみんな。私負けます。
「それでは、両者位置についてぇぇぇ、レディ、ファイ!」
メイドちゃんの掛け声とともにクリスティーヌが呪文の詠唱を始める。これは風魔法だから……まあいいや、聖魔法の威力で相殺しよう。
魔法を放ったのは同時。二つがリングの真ん中で相殺してかき消える。
「意外とやりますのね」
「特待生でしたから」
一瞬笑い合って、すぐに手のひらサイズの水の球を作り出して投げる。詠唱中のクリスティーヌの顔に水の球が当たるけれど化粧は落ちない。まさかすっぴんでその美女っぷり? チートでしょ!
「その程度じゃ倒れませんことよ?」
クリスティーヌが繰り出す魔法に聖魔法の威力で応えるけれど若干押され気味だ。かろうじて相殺すると、クリスティーヌは面白そうに口角を上げて詠唱を始める。
次の魔法はもっと威力が高いはず。と言うことはその分詠唱は長くなるから……。
クリスティーヌの魔法が完成するまで、水の球を沢山出して投げまくる。魔族のみなさん、私にできることはこれくらいです。ごめんなさい。
「魔王様ー、もっとガツンとー!」
「いやよく見ろおまえ、魔王様からのサービスに気づかねえのか」
「えー、なんすかー……おお! 魔王様もっとやれー!」
外野の声が大きくなる。
それもそのはず、薄手の白いローブを着た美女に水をかけまくっているのだ。水に濡れた服は体にはりつきボディラインを露わにする。リングの上の聖女様はさながらグラビア撮影中のアイドルみたいだ。
ごめんクリスティーヌ。まじごめん。ちゃんと倒されるから許して。
「これでとどめです!」
やっと詠唱が終わったクリスティーヌが特大の風魔法を繰り出す。私はそれを聖魔法で相殺し、自分の体が軽く飛ぶ程度におさえる。私の放つ聖魔法が掻き消えた瞬間、両足が地面から浮いた。
それからは一瞬だった。
リングのロープに体が打ち付けられ、衝撃と全身の痛みで息が止まり、ついでに舌をかんだ。あまりの体の痛さにそのままリングに倒れ伏す。クリスティーヌ、冗談抜きで痛いよこれ。
「勝者ぁ、クリスティィィィイイイヌ!」
メイドちゃんの勝者宣言。
それと共に体を聖魔法がつつんで痛みがなくなる。魔王城専属医、優秀。
すっきりと立ち上がると、クリスティーヌが右手を差し出してくる。
「楽しかったですわ」
その手を握り返して。
「私もです。ありがとうございました」
こうして、私たちの戦いは終わった。
私の勝利に賭けていた魔族のみんなには怒られた。ごめんって。
◇
あれから夜通し飲み続けたのち、王子様たちは国へ帰っていった。
セバスチャンから渡されたお土産を見るや否や、また遊びに来るね! と目をキラキラさせて言っていたけれど、いったい彼は何を渡したのやら。
そうして、再び穏やかな午後が訪れるようになって一週間。
王国から取り寄せた週刊紙には「聖女様、魔王を倒す」「陰で支えた婚約者様」「幸せなお二人の笑顔」という見出しが躍っていて、その隅の方に「魔法学園の女生徒、禁術使用により処刑」と小さく書かれていた。
……終わった。
私の滅亡フラグが、やっと全部折れた。
「魔王様の憂いは晴れましたか」
週刊紙を読んでいるうちに顔がゆるんでいたのだろうか。目の前に立っていたセバスチャンの言葉に顔をきりっと持ち直す。
「うん……でもそれより、気になっていることがあってね」
「なんですか」
「セバスチャンって、本名アルベルトなの?」
そう、私にセバスチャンと名乗ったこの猫系執事、同僚にはアルベルトと呼ばれているのである。
苗字と名前なのかと思って確認してみれば、彼らはそろって否定した。そして更に、セバスチャンと呼んでいるのは私だけであることも判明。それを知った時は偽名を名乗られるほど信用がなかったのかとしこたま落ち込んだ。いや、今もちょっと落ち込んでる。
「魔王様、これはロマンなのでございます」
「ロマン?」
「ここに初めてお連れした日、決めたんです。セバスチャンと呼ばれるときは魔王様の執事であろうと。でも、もしアルベルトと呼んでくれたなら」
セバスチャンが床に片膝をつく。
目線の高さがソファに座る私と同じになって、彼の目が私を射抜いた。
「あなたを愛す一人の男としてその前に立とうと」
セバスチャンの顔がすっと近づいて、頬に柔らかな感触が残る。
「好きだ」
離れた顔。
その目に浮かぶ熱っぽさは、身じろぎさえ許してくれない。
顔に熱が集まり、心臓がやたらに鳴り立てる。
「信じて。俺は……約束を守ったでしょ」
絶対、助けるから。
毛玉ちゃん1号だったとき、彼は約束してくれた。私が諦めても彼は諦めないと。
そうだね、アルベルト。
あなたは約束を守ってくれた。
牢屋からも、がんじがらめの運命からも、助けてくれた。
「わ、私も好きだよ、毛玉ちゃん1号、大好き。もふもふだし、肉球ふわふわだし」
「モリー…様」
話を誤魔化せば、熱っぽさの消えた声にほっとする。
苦笑混じりに微笑む彼から目を逸らせば、立ち上がった彼が私の頭をくしゃりと撫でた。
彼はきっと気づいていないだろう。
運命から逃げたその先で、私は初めて恋をした。
(終)




