雨のなかのあなたを待つ
その日はさあさあと雨が降っていました。時刻は確か、お昼下がりだったと思います。
わたくしはお仕えしております京子お嬢様と一緒に、お屋敷の一室である人を待ちぼうけておりました。
わたくしのお勤め先である久米家はたいへん広い洋館でして、お部屋一つ一つも大きく広いです。数も多いので、空き部屋になっている場所も多々ございます。ちなみにわたくしのお気に入りは書斎です。古びた本とおしゃれな封蝋のコレクションをこっそり眺めるのが趣味でして。これは内緒にしておいてくださいませ。
さて、そのわたくしですが、窓から外を眺めておりました。朝はまだ晴れていたのですが、お昼の鐘がなる前ころから急に、雨がふりだし始めたのです。お嬢様に手伝って頂き、洗濯物は無事に取り込めましたが、こう雨に降られるとお庭の手入れができなくなってしまいますね。
今わたくしがいるお部屋は食堂として使っておりまして、お嬢様はこちらでいつもお食事をとられます。おやつの時間もこちらを利用致します。
といっても、屋敷の住人はお嬢様とわたくしともう一人の方しかおりませんで、お嬢様のご両親でおられる旦那様と奥様は、心苦しいことに現在行方が知れない状態となっております。お嬢様は気丈に振舞っておいでですが、十五歳となると多感なお年頃です。やはり寂しさは感じずにいられないでしょう。
「遅い」
お嬢様が、そうこぼされました。あらあら、とわたくしは思うのです。お嬢様は、どうやらとてもご機嫌ななめのようですね。
というのも、もう一人の住人の方が原因であると、僭越ながらわたくしはわかってしまうわけです。
お嬢様の澄み切った白藤の髪は人を良くも悪くも惹きつけます。もともと吊り上がった目が、今日は三割増しで鋭くなっておいでです。テーブルには山積みされた本が置かれ、お嬢様の手には一冊だけ小さな本が乗せられております。さっき四冊読み終えて、今のは五冊目の本でしょう。
「遅い」
さっきよりも低い声のお嬢様。わたくしは慌てず答えるのです。
「そうですね、こんな雨ですから、きっと交通機関が混み合って足止めをくらっているのでしょう」
「電車を使えばいいのに、あの馬鹿。律儀にバスで帰ってくるつもりでもないでしょうに」
「あの人はとても真正直ですからね。そうなっていても不思議ではありません」
「真正直ではないわ、馬鹿正直というのよ、あれは」
「まあ、お嬢様ったら、容赦がないですね」
「あれに容赦は要らないからね」
「もう、お嬢様……お気持ちもわかりますが、ご機嫌を治してくださいな。今日は良い紅茶を買ってきましたの」
「あなたの淹れる紅茶って良いのか悪いのか嗅ぎ分けられないから意味ないわよ。市販の安いティーバックでも美味しく淹れるんだから」
「まあ、光栄です」
「……あなたって良い性格してるわね」
「恐れ入ります」
お嬢様は先ほど、わたくしと一緒に昼食を作っておられました。といっても、おかずの一品を作るだけの、とてもささやかなものです。それ以外のほとんどはわたくしが作りました。
しかしそれがお嬢様の作戦です。その昼食を食べる人へ、お嬢様のお料理をこっそりしのばせ、気づかせずに食べてもらうというもの。お嬢様ったら、自分が作ったと言うのは恥ずかしいようです。
それを台無しにされたものですから、不機嫌極まりなくなってしまうのも仕方ないといえばその通りでしょうね。うふふ。わたくしたち、食事は皆揃って食べるようにしておりますから、現在わたくしもお嬢様もいわゆるくいっぱぐれをしております。とても空腹です。
「ったく、もうすぐ三時じゃない……。どこほっつき歩いてんだか」
「そうですねえ……。バス停や駅からここはさほど遠くはないはずですが」
「まさか道に迷ったわけでもないわよね。ここへ来て何年も経ってるし、この辺の地理にはさすがに慣れているでしょう、頭は空だけど」
「お嬢様、そういうことを言うものではないですよ」
「言いたくもなるわ。昼食を食べ損ねたおかげで読んだ本の内容だってまるで頭に入ってこないんだから。あとで読んだ本一冊ずつ脳天にぶちかましてやる」
「さすがにそれをされると余計馬鹿になってしまうのでは……?」
「これ以上馬鹿にならないわよ。あれは究極の馬鹿だから」
そうしてご本人のいないところで女子二人、こういうのをガールズトークと言うのでしょうか。そうこうしているうちに、ようやく玄関から声が聞こえてきました。声の主はこのお屋敷のもう一人の住人であり、お嬢様お付きの、もう一人の使用人つまりわたくしの同僚――ドイルさんです。
「ただーいまー。わり、遅くなった」
「遅い、駄犬」
ドイルさんは二十七になったばかりの男性、ぼさぼさの灰色髪と、タバコ代わりに加えている飴がトレードマークの方です。タバコはこのお屋敷でお嬢様お付きとなったころ、お嬢様に煙いからと飴玉を口に突っ込まれたのがきっかけと言います。
「お帰りなさい、ドイルさん」
「ただいま、メイナード」
ドイルさんはやっぱりびしょぬれで帰ってきました。自慢の上着も雨を吸い取って色あせ、ぼさぼさ髪はもうぼわぼわの域に達しております。爆発に巻き込まれた科学博士のイメージそっくりです。ふと不思議に思ったのは、ドイルさんの手に何やら箱が持たれていたことでしょうか。
あ、申しおくれました。今更ながらですが、わたくしはメイナードと申します。
「まったく、朝にでかけて午前には帰ってくるのはたやすいお使いだったのに、随分回り道をしたみたいね」
お嬢様の手には一冊目の本が握られています。本気で殴る気ですね。いざとなったらお止めしますけれど。
「わりーわりー、急に雨に降られたうえにバスは混み混みでさあ、電車は車両点検で止まるしタクシーは満席だし、しょうがねえから走って帰ってきた」
「一周回って底抜けの馬鹿ね、駄犬」
「うっせーな、人を馬鹿だの駄犬だの、言った方が馬鹿だって親に教わんなかったのか?」
「事実を事実として飾らず言ってあげている私の慈悲に気づかないのね。駄犬」
「犬じゃねーってんだろ! 俺はドイルだって何度言ったら分かんだ馬鹿娘」
「お黙り! 馬鹿が私を馬鹿と言うんじゃないわこの馬鹿犬!!」
「はいはいはいはい。まあまあ、どうどう」
「……最後のは彼に向けてよね?」
「うふふ、ご想像にお任せします」
あ、この言葉使ってみたかったんですよね。こんなところで叶うなんて。
「ふん、俺だって学習しないわけじゃない。ほれ、お詫びのしるしだ、受け取れキョーコ」
そう言ってドイルさんは、持っていた箱をお嬢様に差し出しました。中身はなーんとシュークリーム。それも駅ナカデパートで人気の商品。それも六つも! きっとドイルさん、交通機関が軒並み麻痺したことを察知して帰りが遅くなることも予想していたのでしょう。最初は電車が動くのを待つついでと並んでいたとわたくしは考えております。考えるだけで口には出しません。お嬢様が怒りますし。
「……珍しく気が利いているじゃない。今日は雨に打たれて頭が良くなったのかしらね」
「頭が冷えて良くなったんだろな。いや、真面目に遅れて悪かったよ。飯もまだなんだろ。食ったらそれも食おうや。一緒にな」
ドイルさんはお嬢様の頭をぽんぽん叩いて、そのままお部屋に戻ってしまいました。濡れたコートはわたくしがお預かりし、急いでご飯の用意に戻ります。お嬢様も本を片付け、数分後には温め直された昼食が並びました。
少し遅めの昼食ですが、ドイルさんとお嬢様、そしてわたくし揃ってのごはんは、何時に食べても美味しいものです。
あら、今日のお嬢様は少し大人しめですね。あらドイルさん、お嬢様の作られたほうれん草ソテー、何も気にせず召し上がられていました。お嬢様としては美味しいとかの前向きな変化を期待しておられたようですが、なかなかうまくはいかないものですね。でも、お嬢様が作ったと気づかれないだけ、まだほっとしておられるでしょうか。
このお昼が片付いたら、ドイルさんのシュークリームとわたくしの紅茶、お嬢様の語られる薀蓄をまぜての、ティータイムが待っています。
とても楽しみですね、お二人とも。
Twitterで上げておりますAzPainter2の練習絵で、何となく描いた男女二人をベースに作った短編です。クールにどぎついことを言ってのけるお嬢様大好きです。