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最大のライバル

作者: 八田理

 男が職場の喫煙所で床をじっと眺めていた。仕事を終えての一服だ。今夜も熱い戦いがある。戦闘モードに入っていく時間でもあった。

 近くで賑やかに会話をする二人がいた。

「で、課長にとって最大のライバルって、誰です?」

「最大のライバルか……。そうだな、過去の自分かな」

「過去の自分……。カッコいいですね」

「俺って大学時代、世界中の山を登ったわけじゃん。その時輝いていた自分と今の平凡な自分とを、どうしても比べちゃうんだよね。すると考えてしまうわけ。もう一度過去の自分よりも輝きたいなとかさ」

「過去に栄光があるから言えるんですよ。僕なんかずっと平凡ですから」

 男は床から目を上げてタバコを灰皿に落とした。喫煙所を後にし、会社を出るころには戦闘モードに入っているはずだが、今日はさっきの会話が耳に残っている。

「最大のライバルは、過去の自分か……」

 男の過去は栄光にあふれていた。小学生の時は図画の全国コンクールで入選。中学時代は生徒会長を務め、成績はオールA。有名私立高校に進学し、アーチェリーで国体に出場。大学では県主催の英語弁論大会で優勝した。しかし職運には恵まれず、今は年下の上司にあごでこき使われる派遣従業員だ。

「ふん」

 駅のホームで男は唇を歪めた。最大のライバルが過去の自分だという者は過去にとらわれているに過ぎない。まるで後ろ向きで走っているマラソンランナーではないか。それに喫煙所でのあいつは、自分がすごい登山家だったとも自慢したかったのだろう。

「俺は違う」

 男は電車を降りながらつぶやいた。過去などどうでも良い。実際、過去の栄光は誰にも話してはいない。常に前を向き、全力で走るのみだ。なぜなら未来の自分が、さらにいえば明日の自分が、猛然と前を走っているからだ。男にとっての最大のライバルは、明日の自分であった。

 買い物を済ませて木造アパートに着いたときには完全に戦闘モードに入っていた。バッグから空の弁当箱を取り出し、朝食で使った皿と一緒に洗う。熱い風呂に入って気合いを入れる。再びキッチンに立って中華鍋を熱する。豚肉二百グラムをまず炒める。続いて野菜を炒める。その間に皿を二つ用意する。野菜炒めに調味料を加えて火を止める。左手で中華鍋の取っ手を握り、右手で箸を持つ。二つの皿を凝視する。今晩のおかず用の皿と、明日の弁当用として取り置くための皿だ。今日と明日との肉の配分を巡っての熱い戦いが始まった。

『今回こそ肉の量を半々にする。腹が減って仕方ないんだ』

『今日は残業がなかったからそんなに疲れていないだろ。だから夕食の肉は少なめにしろ。しっかりと噛めば満腹感を得られるんだし』

『今日の夕食は魚抜きだぞ。タンパク質が少なくなるだろ』

『納豆があるじゃないか。不満ならご飯に生卵をかけて補えばいい』

『卵は値上がりしたから使いたくないんだ。大体、唐揚げの数は昨晩が三個で今日の弁当では四個だった。だからやっぱり今回こそ肉の量は半々にしよう』

『いや、数は多かったがグラム数ではそんなに変わらなかったはずだ。それに肉の量が半々の時は何か物足らず、午後の作業で力が入らない気分に必ずなるだろ。退屈な仕事だ。せめて弁当ぐらい充実させろよ』

 最後のセリフは今日の自分への殺し文句だ。結局男は今回も弁当用の皿に肉を多めに入れた。そして思った。

 最大のライバルである明日の自分は、やはり手強い。


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