二度目のアレルギー
さっきまでの雨が嘘みたいに、絵に描いたような青空が僕を覆う。
ちらつく雲は在るものの、それも綺麗な絵には必要だろう。
僕は乙臣に言われるがまま歩いていた。取りあえず、仇討ちの為に事情聴取をすることは分かっている。が、「取りあえず目的は在るのだから、結果が無いわけじゃないし」と、ずっとこの調子で、どこへ向かっているのか教えてくれない。
「あの……」
「なに?」
「その……」
「はっきりしなさいよ」
「じゃあ、頭の上で沈まない一文を、思いのたけ吐き出させてもらうけど」
「?」
「何故、恋人関係でもない女子と、僕は手を繋いでいるんだ?」
「いいえ、それは違う。手を繋いでいるのではなく、アナタが何処かへ行ってしまうかもしれないから。拘束しているの」
「にしては拘束が甘くないか? 僕がその気になれば簡単に振り解けるくらいだし」
「何? もっと締め付けて欲しいの? そこまで言うならしてあげなくもないけれど」
何でだろう。幾ら手を振っても、この言葉から恐怖を拭い切れないのは何でだろう。
「どうしたの? そんな、あからさまに身震いして」
「いや、アナフィラキシーショックに似た感覚に陥りましてですね」
「私に嘘を吐くなんて、圧殺してあげる」
圧殺――物理的にいえば押しつぶされて殺されること、精神的にいえば大きな権力をもって押さえつけられ何も出来なくなる状態を指し示す単語で、有るからして、僕が取るべき行動の答えは自ずと一つに絞られてくる。あくまで僕個人の答えだが、ほとんどの仲間達が一度は通ったであろうその答えは、逃亡だ。敵前逃亡だ。しかし相手は乙臣、見す見す見逃してくれはしない。しかしまわりこまれてしまった程度が、関の山だろう。
「何を至高に私考な思考をぐるぐると走らせているのかしら」
「か、風邪でも引いたのかなぁ。僕の身体が身震いを起こしているぞ。という事なので、この辺で」
僕は乙臣に背中を向け、刻み足で自宅方向へ逃げる。
「身震いするほど寒いなら、私が暖めてあげる」
乙臣に抱きしめられた、思い切り、力の限り、僕の背中に。だが、乙臣の細作りな体つきに抱きしめられたということに対し、痛いという言葉はあまりにも似つかわなかった。それよりも何よりも、やわらかいという言葉がお似合いだろう。あぁ、なんというか、死にそうだ。
それに、涙が出てきそうだ。あんなに威勢を張っていた乙臣が、今にも消え入りそうに震えていた。とても弱々しく、震えていた。
「む、武者震いよ。今から敵討ちに行くんだから」
「……怖いのか?」
「そ…………そうよ。私は他人が大嫌いだけれど、その分友人や家族は大好きなの。だから、失うのが……怖い。とても、怖い、くて。私が私じゃないみたい、なの。アナタを失いたくないの」
「大丈夫だ、僕は死なない」
「ア゛ー?」
女らしき人が目前にユラユラと不安定に、今にも倒れそうに立っていた。とても人語とは思えない音を発し、右の手元には、カッターを持っている。
付箋を貼るとしたら、気味が悪いと書いて貼るだろう。
「エヘェ。シヌ、シ、ェ、ェ。シヌネ、シネ゛ェェ!」
僕は声を飲んだ。
「どうしたの? ねぇ? 何? 何事?」
「隙をみて逃げたほうがいい」
「な、何アイツ……こっち走って来てる!」
そして――
「キレタァ゛、イタクナイ?」
声を吐いた。
「い、痛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁいッ」
痛みで絞り切った声を吐いた。僕は唸り項垂れた。
左腕、二の腕辺りに違和感を感じる。
痛いけど、痛くない。
熱い熱い。
駄目だ、立ってられない。
「ティ……ハァ!」
「グフッ!」
右足ローキックが、座り込んだ僕の左頬に鋭く突き刺さり、顔から地面に沈む。
「ワタ、シ、シーネ。アーァハハ…………ア!ハ。アハハハハハハハハハハハハハハ!」
「なにが、何がそんなに可笑しいの……言ってみなさいよ。ねぇ、ほら、早く。言ってみなさいよ!」
「ひっ、ヘヘェェェェェェェェ。――バカ……死んじゃえ、ハハあ」
視点がこちらに合っていない。視点が遠くにいったり近くにいったり、笑顔になったまま涙を流したり。まるで間逆な二つの命令を同時に無理やり行っているようだ。
「乙臣、大丈夫か……」
「そんなことよりアナタよ! 自分の心配をしなさいよ!」
「心配……してくれているのか」
「……」
口ごもったまま両手で顔を覆い、そのまま乙臣は座り込んでしまった。その間も口をパクパクさせながら何かをまるで自分に言い聞かせるように言っていたが、小さすぎて聞こえない。
あーぁ。左腕は痛いし、左頬と倒れ込む時に受身を取った右腕も、至る所に違和感が。
地面ってこんなに冷たいんだなぁ。
こんなに冷たいのに、左腕は熱くて疼いて、痛い。
《……もう、痛くないだろ》
僕の思考に易々と干渉しているが、お前は何か? 僕なのか?
《お前であってお前じゃない。否、僕であって僕じゃない》
それ、言ってて恥ずかしくないのか?
《お前が恥ずかしいなら、恥ずかしい》
うわぁ、恥ずかしい。
「って、本当だ。痛くない」
《多少痛々しくなるがな》
どういうことだ、僕の中に居座るもう一人の僕よ。
《自ら痛々しくしなくていいんだよ。左腕の二の腕辺りが影になっている。その影は僕の影だ。今お前の怪我と影を入れ替えている。その間だけお前とこうやって喋っていられる》
へぇー。
《そして僕が、怪我が治ったと判断したら、また怪我と影を入れ替える》
それはどの位時間が掛かるんだ?
《僕は治癒能力だけは長けているから、まぁ計ったことは無いが、三〇〇〇分の一位の速さである程度は治る。》
それでさっき車に轢かれた時あんなに早く。
《全く、これでお前の怪我を引き受けるのは三度目だ。治すのは早いと言っても大変なんだよ、治すの。》
本当に……すまないと思っている。
《ほら、そこで震えている奴を、今度はお前が抱きしめてやる番だ》
お前って心の怪我も治せるのか?
《それは自分次第だ。頑張れ》
じゃあ軽々と死にかねないので止めておこう。
《なんたるチキン》
後一つ訊くぞ、何でも物理的な怪我を治すって事は、もしかして僕は死なないのか?
《僕のさじ加減だが、フリーザの願いも夢じゃない》
へぇ、そうか。じゃあ。
「乙臣。僕は死なないみたいだ」
「……」
「お、乙臣?」
しばらく返答の無いまま凍りついた空気、それが解けた時にはもう、既に乙臣は立ち上がっていた。
これはまた心配が過ぎる気もするのだが、まだ仇討ちに行くなんて言ったりしないよな。確認として訊いてみた方が良いか。
「今更になって仇討ち、行かないよな」
「勿論行くわよ、仇討ち」
「あんな事があった後なのに、まだ諦めつかないのかよ!」
「あんな事? なにそれ? 幻覚でも見てたんじゃないの?」
何故、乙臣の頭上に疑問符が浮かぶ? あれだけ僕を心配してくれていたのに、それを幻覚一つで片付けるなんて。
「それより早く病院へ行きましょう。友達が待っているのだから」
それより……か。まぁ僕は乙臣の中ではその程度なのかもしれない。乙臣の友達には及びもつかない程なんだ、僕なんかは、きっと。
「目的地は病院なのか。にしても今まで教えてくれなかったのに、何故殊更今になって教える?」
「飽きたから」
そう吐き捨てられてしまっては、言い返す言葉も見当たらない。そのまま友達の居るという病院へ向かった。