初めての再開
僕の家には今、妹が遊びに来ている。
妹持ち、妹うざい、そんな人には申し訳ない、僕とは分かり合えないかもしれない。
妹と会うのは実に十二年振りなんだ。
七詩 頷。
妹の名前は珍しく、頷と書いてコクリと読む。
見た目は妹として恥ずかしくないと思う。実に艶やかな黒のボブヘア。小さな輪郭に大きな目、極め付けに幼児体型。中学三年生とはとても思えないし、無理がある。精々小学六年生の形だ。しかも今日の服装はオーバーオールに、黒色の猫耳を模したフード付きパーカー+サイハイソックス。
あれ、恥ずかしいかもしれない。頷自身は決して恥ずかしくないが、見てるこっちが恥ずかしくなってきた。
僕、もう駄目だ。卑怯だ、こんなの。
やんわりと記憶という情景の、片隅に居る頷から、十二年間の成長過程を経た頷――今の姿形、声すら知らなかった。だからといって、少しも思いを馳せなかった訳じゃないし、僕はそんな薄情な人間でもない。
僕に似てたら如何しようとか、嫌われてたら如何しようとか、更に考え考えた末に、妹は居ないんじゃないかと思う位だ。それこそ夢オチとか、近所の友達だったとか、幽霊だったりなんて。だが、そう思い始める程、記憶は薄れていた。
親に聞こうにも聞けない。気まずかった。父はその事について話そうとしなかったし、子供ながら気は使っていたんだ。
そんな頷に今日、思春期入ってから初めて会っている。
仕様がない。何故こんな事を言うのかは聞くな、愚問だ。
どうしても知りたければお近くのシスコン――例えば一人の妹を聞くと、十人の妹を語り尽くすような、そんなシスコンに聞いてみてくれ。
「………………」
「ぐるー」
頷は僕の部屋にある、回る方のデスクチェアに座り、回る。僕は回らない方の椅子で我慢している。今日は掃除している部屋で、何時もならベットにダイブするのだが、今日は人――妹の頷が来ているのだから自重しなくては。そして僕は、何て言って話を切り出せば…………如何しようか。
うーむ。
はぁ……。
「ぐるぐる―」
回る。
「ぐるぐるぐるー」
頷は回る。
「ぐるぐるぐるぐるー」
回る回る回る回る。
「私がぐるぐるー」
「あの、ですね」
思わず声を出してしまった。
「私は敬語が嫌いなのだよ、兄貴って感じの事言ってみて」
うーん……アッー。兄貴っぽい事か。まぁきっと種類は有るだろうが、コーヒー買って来い位しか思い浮かばないんだ。
「じゃ……じゃあ、ミルクコーヒー買って来い……」
「そうそう、そんな感じ。でもまぁ、買いになんて行かないけどね」
そうか、兄弟ってこんな感じか。
誰かにお似合いなライトノベルを参考にしないで良かった。
「ミルクコーヒーは自分で買いに行ってこーい」
「そうだな、行ってくる」
「本当に行くの!?」
「頷が言ったんだろ」
「大人語だよ、大人語。普通私が来てるんだから、私が帰ってから買いなよ。今は家に有る物で我慢しなって、水道水位は有るんでしょ?」
有るに決まってる。仕送りだって食費とか光熱費とか支払済ませたって、ゲーム二つは買える程度は残る。
しかしここは、敢えて、ふざけて、こう言おう。
「水道水って存在するの?」
「もう、質問返し禁止」
「僕の専売特許が、禁止ですか……」
「うぅーむ」
頷はポカンと口を開け天井を見て、ルンルンと足をブラブラと、ボブヘアを軽く揺らしながら上下していたが、頷はピタッと止まり、此方を凝視する。
「では、にぃちゃん」
頷に何かを聞かれる。だが僕はたった今、糊塗糊塗煮詰めた策を講じる。
「頷」
そうだ、ただ相手の名前を呼ぶだけだが、その場凌ぎなのだから、これで良い。
「質問しようとしてたのに、呼び返すのはどうなのかなー」
「質問返しは禁止されたからな。覚えておくといい……これが先手必勝だ」
「何でだろう、負けた気がしないよにぃちゃん」
「気の所為だよ、頷」
「人の所為も駄目だけど、気の所為にもしない。お母さんに教わったでしょ?」
「残念ながら父方なんでな、こんなもんだ」
僕達の親は離婚した。
どちらの親も良い人だった。
だからだった。
僕は落愛家方の父さんに、頷は七詩家方の空美さんに引き取られた。
空美さんは母親だが――お母さん、ママ、マミー、お袋さん、母さん母さん、新しい保険ができたんだって。なんて離れていた時間が長すぎて他人感を覚えてしまい、言えない。
「頷は美空さんの事、何て呼ぶんだ?」
「ポ子」
「パンツは何処へ行った!」
「冷たくなって、ポ子の前に行ったよ」
要するに、やっちまった訳だ。
「……で、本当は何て呼んでいるんだ?」
「ミーちゃん」
「本当に?」
「うん」
「お前は猫なのか!? 未来から来た的なロボットなのか!?」
「流石にそこまでじゃないよ」
そこまでじゃないとは何処からの話なんだろう。
フードが猫耳――そうだそれだ。
「ねぇ、にぃちゃん。これ、作って持って来たんだけど。食べてみてくれないかな」
「ん、おぉ、手作りかぁ! 頂こう、頂こうっ!」
頷の手には、円形の良い焼け具合の強力粉が有った。
パンだ。
餡パンである。
「この餡パン、結構自信作なんだよね」
「それは期待しちゃうなぁ。因みに粒餡と漉し餡、どっちなんだ?」
「葛餡」
「…………」
「葛餡……だよ」
「聞えてるよ! そして食えるかっ! そんなミスマッチな食べ物!」
葛餡は砂糖やしょうゆに葛粉を入れ、煮詰めたものであり、決して小豆を砂糖で煮詰めた餡子の代わりではない。
味噌汁に胡瓜を入れているようなものだ。
「え~美味しそうなのに~」
「毒見、いや味見してないのか?」
「一つしか作ってなくて……それに、一口でも多くにぃちゃんに……食べて欲しかったからっ!」
「確信犯だな、この野郎」
「核心的な発言は無しだよー」
「それで葛粉と片栗粉、どっちを使ったんだ?」
「勿論、どっちも」
結局の所、強力粉、葛粉、片栗粉、三つの粉が使われていた。入学式の挨拶然り、御言葉によく用いられるイメージが強い、持つべき三つの気みたいに、白い粉の世界で匹敵するんではないだろうか。だからといって白い粉で気を良くしてはいけないが。
「良いからぁ、食べてみてよー」
目は見開かれ、子供ながらの好奇心が剥き出されているみたいだ。悪意の無い残酷な好奇心に、頷の悪意が足されてしまった。
「怖いこわウグッ!」
トロッとした葛餡が溶け出して舌を包み込み、味覚を感じる味蕾が、確実にあれしてる。
麻痺してる。
「どう? 口の中で溶ける?」
「グッ! 口の中が溶ける!」
「あ、にぃちゃんてば、ほっぺに餡付いてるよ」
こ、これは、もう可愛いんだからと言って、食べてくれる伝説のイベントじゃないか! 不味いなんて言ってられない。
「ほらぁ、こっちに顔を出して」
「こ、こうか?」
「もう、私の美味しい菓子パンは、綺麗に食べてほしいな。はい、あーん。美味しい?」
「う、うん。美味しい」
拍子抜けした。普通に美味しくなっていた。これが女子力って奴か。
「あ、にぃちゃん。私そろそろ帰るね」
「そんな急に思い出したように……」
椅子からピョンと跳ね、人差し指を立てる。
「思い出したついでにお願いがあるんだけど」
「なんだね、言ってごらん。だがしかし、それ相応の対価が有るんだよなぁ」
「幼少の頃から離れて暮らしていたけど――仮にも妹だよ、私」
「だがそこが良い」と言いかけた僕は、食い気味に、間髪入れずに、被せる様に、こんな事考えている間もない位に、言葉を言葉で遮られる。
「お願いの事なんだけど」
その言葉には陰が落とされていた。仕様が無いとは思う。えぇえぇ、分かってますよ。何の躊躇いも無く、シスコン発言をしたんだから仕方ないです。童貞観念からは逃げられないんです。
だが、やはり嬉々としていた僕に、いきなり来た陰。やはり、危機を感じずにはいられなかった。
上手い事も、言えなかった。
「こっちで友達が出来たんだ、その人に会ったらよろしく」
「……」
「じゃあね、にぃちゃん」
「ちょっとその前に聞きたい事があるんだが」
「何々?」
Q1.その友人の名前は?
A1.砕並 九さんです。
Q2.その友人の特徴は?
A2.ふわふわしています。勿論人です。後、九さんの話を聞いている限りだと、昔はツイてると言うかラッキーだったみたいなんだけど……今は自分でも自覚するくらいラッキーじゃないみたい。
Q3.何故、この質問をしていると思いますか?
A3.分かりません。
A3´.それは頷が何の情報も無しに、その友人によろしくとか言ったからだ! 妄想とお知り合いになっちゃうよだろうがっ!
「……あぁ、いや、後でちゃんと教えるつもりだったんだよ」
「帰ろうとしてたじゃないか」
「むぅ……にぃちゃんは女の子を見送りしないの? 女の子を一人で帰らすの? せめて駅まで付いてきてくれないの?」
「そ……それは……」
やはり女子力高めの頷に、童貞力高めの僕は勝てなかったみたいだ。なので僕は素直に駅までついていく事にした。
帰りにコンビニに寄って、ミルクコーヒーでも買おう。そうやって半分徒労に等しい立派な行為に、自分の用事を織り込み自分を動かす。もう半分はだって? それは勿論立派な好意的妄想だ。