第5話 『赤とんぼ』
―パタッ…パタッ…―
けだるそうに歩く足音が聞こえて来る。
始業のチャイムが鳴り、廊下に響くこの足音が、徐々に教室に近付いて来た。
―この足音は、たぶん野崎先生…―
ガラリと戸が開き、ちょっと背をかがめて教室に入って来た。
先生は背が高い。
180cmちょっと位ありそう。
相変わらずの無愛想な表情。
上着のポケットに右手を突っ込む、いつものスタイル。
野崎先生は、いつも不機嫌そうに見えた。
これが、先生の第一印象。
機嫌が良くも悪くも、実はこれが先生の常だと気付くのに、それ程時間はかからなかった。
口調だって、一本調子で特徴がない。
あるとしたら、話す言葉に間が開く事。
淡々とした口調で、授業を進める。
授業中に、話が多少なりそれる先生は大勢いる。
けれど、野崎先生は授業の内容以外の話は全くしない。
―教科書以外の話が聞きたいな…―
私、先生の事は何も知らない。
歳は?
…26〜7歳位?
高校の先生になろうとしたキッカケは?
どんな事に興味があるのかな…
恋人は…いるの?
授業中、先生の事で頭がいっぱいになる。
「…誰でもこの歌は知っているな」
そう言って、先生は『赤とんぼ』の詩を読み上げた。
童謡を、いつもの淡々とした口調で。
「これは、詩人三木露風が、故郷籠野より遠く離れた北海道の地から、母を想い、幼い頃の郷愁を込めて作った詩だ」
珍しく、教科書以外の話題。
「この詩に、山田耕筰が曲を付けた歌が『赤とんぼ』なんだが…」
そう言って、先生は出席簿に視線を落とした。
野崎先生は、いつも出席番号順に掛けていく。
―次は私―
「西坂」
「はい」
私は、椅子から立ち上がった。
視界を遮る物は、なにも無い。
私の目の前には、野崎先生だけがいる。
先生も、私を見ている。
ドキドキする。
「『おわれてみた』とあるが、これは誰に“おわれて”いるんだ?」
私の頭の中には、野原で幼い子供ととんぼが、追って追われて戯れている情景が目に浮かんだ。
「“とんぼ”だと思います」
一瞬の沈黙。
「西坂、お前はバカか!」
―な、何でですか!?―
「それじゃ、オカルト映画じゃないか?」
先生が笑いを堪えている。
「“姐や”に負ぶさっていたんだろ」
クスクスと、教室内からクラスメート達の笑い声が漏れている。
―嘘…違うの?―
私、『赤とんぼ』の詩を、子供の頃から間違って解釈していた!?
それって、一般常識の範囲ですか?
先生の前で、凄く恥ずかしい!
その場から逃げ出したい気分だった。
そして、私自信が情けなかった。
先生に、バカな奴って思われちゃった…
立ち直れないかも…
私は、全身の力が抜け、ヘタレ込む様に席に着いた。
そして、その時間中、真っ直ぐに先生の顔を見る事が出来なかった。
―もう…私ってバカバカ!―




