No.62 セイなる夜に贈られたギフト
さーぁいれん、なーい。
ほーぉりぃーなーい。
「なーにが聖しこの夜だ。聖なるじゃなくて性なる夜だろが、ばーか」
とこぼす私は、口は悪いがこれでも正真正銘の女だ。
今日この夜のために、勝負パンツを履いて来た(いきなりソレ?)。
今夜に賭けて、バイト代のほぼすべてをエステと髪の縮毛矯正と服と靴に費やして来た、そのバイト代およそ半年分。
そして残りの半分は、アイツへのクリスマス・プレゼントと、ここまでの旅費代だ。
――なのに。
『清子、クリスマス・イブにこだわってたのに、ごめんね。映画、無理になっちゃった。それ以降も』
っていうメールの見出しを読んだ段階で、もう読む必要がないから削除した。どうせあとに続くのは、言い訳弁解のオンパレードだろう。
イブにこだわっていたのを知っているのに。それ以降も、って、つまりそういうことなわけね。
ふざけんなっつうの。フツー、別れ話をメール一本で済ませますか? しかもこっちが無視ってるっていうのに、そのあと一切連絡なし。何、このこれみよがしなウザアピール。
むしろアイツの方がウザかったわよ!
そりゃ……ちょっとこっちが駆け引きを重視し過ぎて、ツンデレ通り越してドSだったのは、まあ認めてやってもいいけど……でも!
それならそう言えばいいのであって、何もいきなり唐突にバイバイメールって、なんだそりゃ。
しかも送信時刻が二時間前。ドタキャンとのダブルショックですよ、こちとらこのあとの予定、どうすんだ!
親にはダチトモと話を合わせて一緒に一泊旅行ってことにしちゃってるから帰れない。ダメ元でダチトモにメルってみたら、
『うっそ、マジ? でも、ごめん、こっち順調。付き合えないわ。ホント、ガチでごめん。お正月にこの埋め合わせするから! 次の男紹介するから! ホント、ごめんー!!』
って絵文字まみれの返信が来て、下唇を根こそぎ噛み締めた。
そんなこんなで、カポー溢れる街の中、私はひとりとぼとぼ歩く。さまよえる、愛の流刑者。あれ、なんかこんな名前の本だかドラマがあった気がする。どうでもいいけど。
じんぐるべーる、じんぐるべーる、すっずーがーなるーっ!
うっせ黙れ。今の私には葬送曲に聞こえるわい。
寒い。おなか空いた。でも一人でお店に入る度胸なんてないし。
右を見れば、カポー。左見ても、カポー。後ろからはキャッキャウフフな会話が恥ずかしげもなく聞こえて来る。
「ちくしょう……」
信号待ちの横断歩道。低い呟きが地面を這う。
「リア充バクハツしろ――ッッッ!!」
こらえきれず、大絶叫。いいんだ、どうせこの街にはもう二度と来ない。アイツの近所でもあるこの町に、私はもう一生、二度と来ないんだから。
「きゃ」
「?!」
「ぬぁ?!」
「……ひそひそ」
横断歩道が青に変わる。私は皆の進む方とは逆の、駅に向かって歩き出す。痛いくらい刺して来る冷ややかで侮蔑に満ちた視線を全身で受け止めながら、私は右も左もわからない、アイツの庭らしい都会の繁華街に背を向け、別の知らない街で自分の居場所を見つける小さな小さな旅に出た。
とは言え、所詮は田舎から出て来た高校生の限られた小遣いと豆知識では、そう大胆な動きは取れない。電車に乗って、たった四駅。駅に滑り込んだ電車の窓から、ネットカフェの看板を見つけたからだ。そこで今夜は寒さと飢えと寝床を確保しよう、と考えたわけだ。残金、一葉一人分。多分一泊くらい出来るだろう。
改札を出ると、そこはどこか薄暗い雰囲気というか。
「なんか……ヤバい地区?」
ジャリんちょがほとんどいない。リーマンとかOLとか、あとチャラい系の若人、バット私よりははるかに年上っぽい。そんな感じの人たちしかいなくて、ものすごく自分が異邦人っていうか、異星人みたいな感覚に陥った。
酔っ払ったおっさん二人組に声を掛けられる。
「あっれぇ~? おねえちゃん、独り? イブなのに? 寂しいねぇ~」
うっせ黙れ、野郎同士でしかつるめなかったロンリー親父ども。
「……」
とは言えないので押し黙る。そのままカツカツと慣れないヒールで路面を蹴る。
「ねえねえ。おねえちゃん、なんなら一緒に飯でも食いに行こう」
バカか、おっさん。あんたらもう飯食い終わってるだろうが。それともそれは、エロい意味のスラングか。
なんて強気な言葉を思い浮かべてないと、心臓が破裂しそうになっていた。
「おい、ちょっと。無視るんじゃないって」
彼らの前を素通りしたら、いきなりそんな声が、背後からかなり近い距離で降って来た。かと思うと、ショルダーを掛けている右腕をとられた。
「うぁ」
小さな悲鳴とともにバッグを落とす。コスメと財布とケータイと……あんま見られたくないモノまでばら撒いた。
「うはっ」
「おねえちゃん、ひょっとしてイブにドタキャンで振られたとか?」
とっくに予約時間の過ぎている映画の指定席チケットを見て、おっさん1がニヤニヤと、おっさん2が大爆笑した。
「やー、かっわいそうだわー。よし、お兄さんたちが慰めてやろう」
「こっちのお兄さんも、つい何日か前に彼女の浮気現場見ちゃったばっかでさー」
とか、私には関係ないし、と思うような言葉を連ねて来る。そして、ついて来る。勘弁してくれ。振られたんなら解るだろう。私ぁ今独りになりたいんだ。
「……死んだんです。彼氏が。ついさっき」
私は彼らに挟まれた格好に甘んじつつも、全力で嘘をついた。こいつらと一緒にされたくないからとか、面倒そうだと思われれば、掴まれたこの右腕を離してくれるんじゃないかとか、いろいろ考えた末のことだけど。
「……は?」
「し?」
「親に内緒で付き合ってたんです。彼氏、ヤクザだったから。目の前で殺されたの。関わりのある人間だと思われたら私まで殺られそうだと思ったから、逃げて来たの」
嘘っぱちに混ぜて、大粒の涙をこぼす。それだけは、ホンモノだった。一度溢れたそれは、自分でもどうしようもないほど止まらない。
「う……ッ、ふぇ……」
「ちょ、おい」
「人が見てるって。泣くなよ」
「なんかこの子、ヤバくね?」
「って、嘘に決まってんじゃん」
「や、そうだろうけど、そっちの意味じゃなくて」
「あ、ああ、そういう意味か」
こいつら、私に聞かれてもいいと思ってるんだろか。言いたい放題、勝手に脳内補完してやがる。だけど、そんなことも、もうどうでもよくなっていた。強がりの鎧が脱げてしまった私は、次第に大きな泣き声になっていった。
「ふゎぁぁぁああ!! 聖也のバカヤロウウウウウウウ!!」
完全ノックアウト。アイツの名前を口にしたら、懺悔と後悔のブリザード。負けん気停止、思考はショート。めぐりめぐるのは聖也との思い出ばかり。
大好きだった。なんでも笑って話を聞いてくれるところ。困った顔して笑うと出来る、ちっさな眉間の皺。聖也が「清子」って呼んでくれたら、清い私だと思うことが出来た。かわいげがなくて素直じゃない私でも、ちょっとだけ自分を好きになることが出来た。ちょっとだけ、素直に思っていることを言える自分に、瞬間的にだけでも、なれたのに。
「ホントは大好きだったのにぃぃぃいいい!! なんで別れるとか言い出したんだよボケェェェェエエエ!!」
“清子ちゃん、清子って呼んでもいい?”
おずおずと、いちいち訊くぶきっちょで生真面目なところが大好きだった。私にはない、優しいところ。
“え、ちょ、あ、いやあのね。そりゃ、気持ちは嬉しいけどね。俺も一応そりゃ男だしね。でもさ……清子のこと、大事にしたいじゃん?”
肉食女子の典型な私に、真っ赤な顔してそう言った。私の価値観を覆したヤツ。聖也みたいに、マジメに、真剣に、ばかばかしいと思っても、一生懸命毎日を大事に生きようって思った一年とちょっと前。
――全部、壊れちゃった……。
専門学校の内定も取って、自分の夢もちゃんと見つけて。もう十八にもなったから、聖也にインコーザイで捕まるような汚名を着せる心配もなくなったし。
そう思ったのに。
「そんなもんで聖也を繋ぎとめようとしたから、バチが当たったのかな……」
それのほかに、私の価値がどこにあるのかわからない。私が今わかることといえば、付き合いだしたころよりも、聖也が私の住む田舎へ足を運ぶ数が減って来たこと。研修が終わって本格的に仕事をするようになったから、って言ったとき、困った笑みをこぼしたこと。それが、私の好きな“わがままをきいてあげるよ、しょうがないな”っていうんじゃなくて、本気で困った微笑だったこと。
――私が、ウザくなって来てるんだ、っていう、こと――。
「会いたいよ……せめて、ゴメンって、ありがと、って、それくらい言ってから、笑って別れたいよ……」
わがままで優しくない、素直じゃなかった私に、一年以上もの時間をくれたこと。謝りたかった。お礼を伝えたかった。悔しいとか哀しいとか腹が立つとか、そういうのを全部涙が洗い流してくれたのか、号泣が収まったころには、そんなことを考えていた。
気づけばおっさんたちはとっくに消えていなくなり。まるでここでへたりこんで泣いている私なんて見えていないかのように、見知らぬ人たちが次々と通り過ぎて、好奇や軽蔑の視線さえ向けない。
すごく、寒い。寒くて冷たくて、寂しいところ。それが、聖也の住んでいる、都会。
「……ネカフェ、行かなくちゃ」
でないと、それすらゲットできなくなっちゃう。まさに凍死問題になる。
私がそう思って顔を上げた瞬間、目の前が赤と白でいっぱいになった。
「ふぉ?!」
と悲鳴を上げたのは、私。目の前に、サンタさんがひざを抱えた格好で私の目線にあわせて座り込んでいた。じっとこちらを窺っていた、いかにも日本人です、って主張するこげ茶の瞳と思い切り目が合ってしまったからだ。
「泣き止んだですか、お嬢さん」
という声はマジックボイス。甲高い声のサンタって、どうよ?
「……」
無言を、貫く。見るからに怪しい。右手にはポケットティッシュ、左腕には紙袋、そして肩にもたれさせている看板みたいなのは、どう見ても呼び込み宣伝みたいな言葉。つまり、まともな仕事がないフリーターか三流大学の非モテ男、みたいな感じ。
「暇なら一緒にティッシュ配るの、手伝ってくれないかな。ノルマをこなさないと、友達がこの仕事クビになっちゃうらしいんだ」
目とデコ以外見えない顔が、それでも笑顔らしいモノをかたどる。どこか懐かしさを感じるその目は、遠い昔、子供のころ、まだサンタを信じていたころに見たお父さんの目と似てる気がしているから、懐かしいと思うのかな。
「バカみたい。聖なる夜に、友達の人助けでホンモノのサンタにでもなったつもり?」
外面モード、発動。私は遠慮なく差し出されたティッシュを受け取り、それでゴシゴシと目をこする。その厚かましさに、喧嘩腰の言葉をぶつけた。もちろん、トンデモ迷惑な八つ当たりに決まっている。
「うん、そう。その友達っていうのがさ、去年の夏、俺にすごい貴重なプレゼントをくれた人だから」
と、似非サンタは特に不機嫌になることもなく、なぜかえらくまた気持ち悪いくらい、自分のプライベートを口にした。
「ふぅん。あ、あれか。じゃあ、今日はその友達が彼女とデートだから代わってくれ、みたいな?」
「んー、ちょっと、微妙に違うかな」
「なに? あ、やっぱいい。私には関係ないや」
ちょっとだけ落ち着いたので、軽い頭を働かせてみた。これ、意外と結構、新手のナンパかも知れない。
「あ、そうだ、その話はあとでもいいや」
は? あとで?
「それよか、手伝ってくれるよね? もちろんタダでとは言わないよ。あともう三袋だけなんだ。これが終わったら、あったかい寝場所と、ご飯をご馳走してあげる」
ますます怪しい。っていうか、これビンゴでしょう。警戒心MAXの私は、無言とねめつける視線を似非サンタに返した。似非サンタは一瞬きょとんとして目を大きく見開いたのだけれど。
「だいじょぶ、オオカミさんにはならないから」
彼はそう言いながらクスリと小さく笑った。
「俺も早く友達のヘルプを終わらせて、彼女とデートしたいんだ」
あ、そ。なるほど。
「このバイトの友達がくれたプレゼントって、彼女のことなんだ」
あ、そ。そりゃゴチソーサマ。なんか、むかつく。ロンリーなハートと凍えた体に堪える、幸せそうに細めた目。チクショウめ。うっかり聖也をまた思い出しちゃった。
「ねえ、なんで私にいちいちそんなこと言うの? ほかに頼めば?」
八つ当たり、ラウンド・ツー。リア充なんて、みんな、みんな爆発しろ!
――という八割本気、二割ジョークの内心が、似非サンタの続けた次の言葉で、本気百パーセントに修正された。
「だって、さっきのナンパ兄さんたちの話が丸聞こえだったんだもん」
「なんで助けなかったのよ!」
「騒ぎを起こして友達がこのバイトをクビになったら、俺、責任持てないし。それに、あの人たちは悪気がなさそうだったし。片っぽのお兄さんが、何度も女心わかんない、教えてよー、とか、結構目が真剣だったでしょ。だからホントに自分の素性を知られないで済む知らない女の子に相談したかったのかなー、とか、ヘタなことはしないと思ったんだ」
悪びれもなくニッコリと笑う。ひげがもふもふ上下する。なんか……マジむかつく、このゆるっぷり。
「でも、腕を掴んだ瞬間、思わずこの看板を振り上げそうになっちゃった。うわ、やば、とか思ってさ。でも、さすが女子高生だね。自力で解決しちゃったね」
私のイライラをよそに、サンタは私の腕を取って立ち上がる。
「白のえりまき、赤いポンチョ。女サンタっぽくて、似合うじゃん。よろしくね」
もし今日、聖也がこのカッコを見たら言いそうな感想を、先にこの似非サンタが言ってしまった。
「あんたは、この無言が拒否だとは考えないのか、似非サンタ」
怒りMAX、でもあくまでも静かに私はサンタをにらみつけたまま言い放った。
「うん。だって、気がまぎれるならなんでいい、って顔してるもん、キミ」
「!」
気づけば、似非サンタから紙袋をひとつ強奪していた。ほんの数時間前に大失恋を食らったばかりだというのに、似非サンタの自信ありげなニッコリと笑む瞳にドキリとさせられていた。
人の彼氏なのに。
名前も知らないのに。
ドキリとしたのは、どこか聖也と似た垂れ目で笑うからかも知れない。言わなくてもわかってくれる、なんて誤解しちゃうような台詞を吐かれたからかも知れない。
尻の軽い自分のことが、かなりイヤになった。
「今日はオールで五千円ですよー、いかがですかー」
配ってるティッシュ、今のはカラオケボックスの宣伝ティッシュ。意外となかなかこれが、受け取ってもらうの難しい。
「清子、ちゃん。歩いてる人の右腕の振りを見てごらん」
似非サンタがそう言って、視線を改札口から流れて来る人へと視線を戻した。
「今夜はオールでワンドリンク付五千円でーす」
自然と揺れてしまうお客の腕の動きにあわせ、似非サンタがぽすっとその右手にポケットティッシュを触れさせる。どう見ても一人で帰り道を急ぐって感じのリーマンおっさんが、条件反射みたいにそれをすんなり受け取って自分で驚いていた。
「ね?」
と得意げな声が頭上から降って来る。私は通り過ぎたリーマンのおっさんが小首を傾げているのを眺めながら、自分もかくりと首を傾げていた。
「すごい」
「慣れだよ、慣れ。俺も学生時代にコレやってたから」
ふたりでティッシュを配りながら、途切れがちにおしゃべりをする。
この似非サンタは、こんなつまんない仕事でも、バイト代以外にもらったものがあるという。
鼻血や怪我で持ち合わせがなかったときに、こんなのでもしっかり役に立つんだよ、とか。小さな子に配ったときには、顔を覚えていてくれてお礼を言われたことがあるだとか。当時、一緒にバイトをしていた仲間っていうのも、もらったもののひとつなんだ、って。すごく嬉しそうな目をして話していた。
「何が彼女を誤解させちゃったのかなあ」
上下線とも電車が来なくて、人通りが一旦途切れたときに、似非サンタが言った。私は無言を保っていた。そうしなきゃいけない理由が出来たから。
「別に、俺も彼女もクリスチャンじゃないんだよね。どうしてクリスマスにこだわるのか、どうしてもわかんなくて」
似非サンタ曰く、友達のバイトを代わった理由をメールで彼女に伝えて今日は会えないとメールを送ったところ、無視されてしまったそうだ。ふーん。
「彼女より友達を取ったことが許せないんじゃない?」
と意地悪く言ってみる。事実はさておき、私が聖也と待ち合わせた街の映画館の前で、私がどれだけイチャラブなカポーを見送った挙句、一緒に見たかった映画を見ることもなく、それに背を向けなくてはならなかったのか。といったようなことを延々と恨みがましく語った。
「そういうのが、フツーなんだよ。誰もクリスマスなんか大事って思ってないんだってば。それにこじつけてベタベタしたいってことじゃん」
「うーん……でもそれなら、普段からそうすればいいじゃん?」
「う」
「友達のバイトを引き受けた理由ってさ。サンタからのプレゼントっていう奇麗事だけじゃなくってさ」
似非サンタが帽子の隙間から覗く前髪を、もぞもぞと掻き崩す。せっかくの白髪なのに、その奥から自毛の黒髪が一筋ふた筋と垂れて来る。
「たまには、俺からも突っぱねてみろって、その友達に言われてさ。そしたら、その……」
――彼女の本当の気持ちが、解るかも知れない、って言われたから、つい。
「ほんとうの、きもち、って?」
私ぁパソコンのユーザー補助音声か。と心の中でセルフ突っ込みをかます。
「ううんと、ね」
と似非サンタが言い掛けたそのとき、改札口からどどどどーっと、最終電車を降りた人の波が押し寄せて来た。なんつうバット・タイミング。
「今夜はオールでワンドリンク付、今からなら三千円でオッケーですよー」
宣伝文句が切り替わる。それに合わせて私も切り替える。
「オールでワンドリンク付三千円! サンタからのプレゼントですよー!」
叫び声にドスが掛かる。この波でにっくきティッシュを全部配り終えてやる! そして話の続きだ!
「ティッシュのチラシを見せたら三千円!」
と叫びながら手渡した最後のいっこ。それを受け取ったのは、ものすごく見覚えのある男だ。そして、彼女らしき女連れ。
「はい、ご苦労さん。清子ちゃん」
ソイツは、一年とちょっと前に興味本位で行ったことのある合コンで幹事をしていた男で、私よりみっつ年上の、聖也の親友だった。
サンタの衣装を着替えるために、似非サンタが取っていたらしいホテルに四人で赴いた。ロビーで似非サンタを待つ間、私は聖也の親友男子から、事情説明を受けていた。
「やー、悪い悪い。彼女の仕事の都合で、昨日から今日に掛けて前倒しのデートのつもりが今日に変わっちゃってさー」
目の前で手のひらを合わせて拝むように謝罪する親友某の隣で、とても控えめでおとなしそうな、大人の女性を感じさせる彼の恋人が深々と頭を下げる。
「本当にごめんなさい。私も聖ちゃんとは幼馴染なんです。最近ちょっと彼が落ち込んでいたから、事情を聞いたら、まあこういう手もありかなあ、なんて思って……だますようなことしたのは私たちなの。本当にごめんなさい」
だから、ドタキャンした聖也を怒らないでやって欲しい、と。その上で、聖也には絶対オフレコにしておいて欲しい(っていうか、私が聞かなかったことにしたいわ! ボケェ!)って話を聞かされた。
――俺って、清子の彼氏っていう“アクセサリー”でしかないのかな。
マジメでまともに女性と付き合ったことのない初心な聖也クンは、親友殿と幼馴染殿にそう愚痴をこぼしていたらしい。理由は、私があからさまにがっつきモード全開のくせに、一度も「好き」って言ったことがないから、だそうな。はぁ?
「んでさ、実は夕方にメールが来てさ。清子ちゃん、ひょっとして聖也からのメール、中身を読んでないんじゃない?」
ギク、なぜバレたし。
「あ。その顔はブチ切れて読まずに消したね。終わり次第自分も行くからって、このホテルの住所と電話番号を入れたのに、今頃になって現れたかと思ったら、路上で大泣きしながら“彼氏が死んだ”とか“聖也のばかやろう”とか妄想世界に入ってる、どうしよう、ってメールが来てさ」
「それで私が、“とりあえずチェックイン予定の時間を延長しておけ”って返信を入れたの」
そう言った聖也の幼馴染女史が、私ではなくその向こうへ視線を向ける。つられて振り返ってみれば、そこには今日――っていうか日付が二十五日に変わっちゃったから、昨日か――一番会いたかったヤツが、しょんぼりとした顔をして立っていた。
「せっかくのデートだったのに、邪魔してごめんな。ふたりとも」
聖也がそう言って紙袋を差し出す。そこにはカラオケボックス店のロゴが入っていて、サンタの衣装がちょっとだけはみ出ていた。
「や、悪い悪い。こっちこそ、却って面倒なすれ違いをさせる結果になっちまった」
何、この男同士のユージョーシーン。やり場のないモヤモヤぐにゅぐにゅしたものが、私をツンと聖也の目から顔を背けさせる。うが、かわいくない、私。
「じゃあ清子ちゃん、あとは本人同士で。そのほうが本当はいいでしょう?」
く……ッ、腹立つくらいの、大人の女。理想が目の前に立っていると、ものすごく腹が立つ。超理不尽な八つ当たりでしかないけれど。
「っていうか、聖也の都合がいいんだろうけどな」
と親友殿がくすくすと笑い始めるのと、聖也が私の隣に立つのが一緒だった。
「コラ、余計なネタバレすんなって」
「はいはーい、じゃ、メリー・クリスマス。結果報告待ってるぞー」
「おやすみなさい、素敵な聖夜をね、ふたりとも」
私だけを置き去りに、成人の三人は別れの挨拶をしてその場を締めくくった。
「……清子」
ぎくり。思わず肩を揺らす。
「清子は面白いモノ好きだからと思って、笑わすつもりで買ったマジックボイス、変なところで使い切っちゃった」
サービス満点のホテルさんは、クリスマスケーキもシャンメリーも、聖也用のスパークリングワインも、全部部屋へ持って来てくれるらしいです、まる。
「ティッシュ配ってるときにさ、“誰もクリスマスなんか大事って思ってない”って言ってたけど、ふたりでパーティ、今からでもヘーキ?」
くぉ、顔が熱い。一語一句間違えずに記憶してやがる。多分そのあと口走った言葉も絶対覚えてる。
「……する」
さすがに「ベタベタしたいんじゃあ!」と言うところまで素直にはなれなかった。
聖なる夜に、乾杯。スパークリングワインのアルコールが聖也を饒舌にする。どさくさにまぎれてそれを失敬して一緒に飲んでた私も、ちょっとだけ素直になって舌がほぐれる。
「いーどーおー? って、何?」
「だから、異動願を出したの。清子の近所にある営業所に配属を変えて欲しい、ってこと」
みんな田舎で不便だからって、嫌がってるらしいそこへ志願したんだそうな。理由は、会社へのやる気ありますアピールと同時に、人が少ない分早くも主任の肩書きがつき、責任も発生するけれど昇給もするっていうこと。そこを重要視する理由が。
「……け? っこん?」
や、待ってちょっと待って。私、まだ十八、来年十九の未成年なんですけど?
「や、だからすぐっていうんじゃなくて、清子のご両親に、そういう前提でお付き合いしてますって、ちゃんと挨拶に行くのに、ぺーぺーじゃあカッコつかないっていうか」
異動願は研修のときすでに出していたそうな。私と付き合い出して半年も経っていないころってことになる。
「けど、早まったのかなー、とか思っててさ。清子がもう俺じゃなくていい、ってことだとしたら、俺、まるっきりストーカーじゃん?」
不安に陥ったとき、まず思ったのは、私を困らせるつもりじゃなかった、どうしよう、ということだったらしい。
「……ッかみたい」
低くうなった私の声が、起毛のカーペットを舐めるように這っていった。
「え? ごめ、聞こえなかった」
ふつふつと沸き立つこの感情を、いったいどうしてくれようか。
ゴツ、という鈍い音が部屋にくぐもった。それは、私が手にしていたグラスをカーペットに叩き落した音。割れなくてよかったなんて思う余裕さえなかった。
「ばッかみたい、って言ったの!」
脳みそ沸騰、理性蒸発、かわいげのなさだけが健在で、やたら素直というよりもバカがつくほどの本音をさらす。
「本当の気持ちがどうこうって言ってたよね? 聖也がアクセ? はっ、嗤えるし! “一度も好きって言ったことがない”? そんなの、お互いさまじゃん! 聖也だって言ったことないじゃん! 付き合おうと好きはイコールじゃないよ。男なんてそーいうもんじゃん。地元の友達にいっぱいそんな話を聞いてるもん!」
すごく、不安だった。自分だけが地元の友達に比べて、すごく幼くて乳臭くって、見た目で言えば、ズドーン! ってな感じで、精神的なことで言えば、こんな感じで。
「きよ」
「肉食イコールビッチだと思うなバカ! 早く大人の女になりたいんじゃ! でないと、でないと……ッ」
聖也の周りは大人の女ばっかりで、ひどく自分が惨めになる。いつウザがられるかと思うくせに、巧くそれを伝えられなくて。
「なのに、このバカマジメの、四角四面の……ひぃっく……ッ」
ああ、これは卑怯だ、私。自分でもそう思うのに止まらない、涙。敢えて陳腐なこの手に引っかかってくれるつもりなのか、聖也の大きな手が、私の両手首をそっと掴んで私の顔を覗き込んだ。
「あのさ。オオカミさんにならないって約束したんだから、そうやって約束を破らせようとしないでくれないかな、赤ずきんちゃん」
「ちがう、も……サンタ、だも」
本当は、サンタでもない。赤ずきんの皮をかぶったオオカミなのだ、私こそが。
「じゃあ、サンタさん。プレゼントをくださいな」
困った笑みが、ゆるい上弦をかたどって目を細める。さっき見た似非サンタを見てドキリとしたのは、やっぱりこの目だったからだ。きゅんと胸が疼く。心臓がバクバクする。
「結婚するって、言って? 言わされるっていうんじゃなくて、心から」
しゅん、少しだけ心拍数が下がる。ああ、そう、そっち? みたいな。
「えっち、しないの?」
「約束だし。それに、やっぱね……本当に、大事にしたいんだ」
大切すぎると、泣き顔を見たくなくて、なかなか手を出せない、と真っ赤な顔で言われたら。
「……好き」
欲情はするけれど。うん、確かにしたーい、って思うけど。その根底にあるのがなんなのか、それに気づいたら、それは「表現手段」のひとつであって、それがバロメーターのすべてじゃない、って納得出来ちゃった。
「好き。だから、もうちょっとだけ、私も、我慢する」
心がもっと年齢相応の大人になるまで。聖也に釣り合うくらい、聖也みたいに相手を本当の意味で思いやれる広い心を持てるくらい成長したら、きっといつか自然と、がっつかなくても大人になれる。
「うん。俺も、清子が好き。すんごい、好き」
だから、あと三ヶ月だけ待ってね、と照れくさそうに言われた。あと三ヶ月待つ、っていうのは、もっと頻繁に会えるときまで、ということと、うちのお父さんやお母さんに後ろめたい気持ちなく付き合えるように、とか、そういう、諸々を全部ひっくるめて、っていうことだと、思う。
「だから」
「うん。聖也がこっちに来るまでに、私、大人になる。そんでもって」
いつか、結婚する。聖也と。
「……う~~~~……」
あれ? 聖也が突然視線をはずしたかと思うと、頭を抱えてうめき出した。ちゃんと素直な自分になれたと思ったのに、悶絶されてる。まだ疑ってるんだろか。言わせちゃったとか、また勘違いをしてるんだろうか。
「聖也?」
抱えた頭に乗せられた手をそっと除け、頬を挟んで上向かせる。半ば無理やり上げさせられた聖也の瞳は半べそに近い状態で、かなり潤んだ視線が真正面から私を捉えた。
「やっぱ、ムリ」
ドキリ。心臓がゴングみたいに大きな音をひとつ打ち鳴らす。
「ふごッ?!」
念願のファースト・キスは、不意打ちのせいでなんとも色気のない声を上げさせられる破目になった。
ビバ! クリスマス! ちゅうだけだったけど、だけど一歩前進出来た。もうバクハツしてもいいや。たくさんのギフトをもらったから。
聖也の真心をもらえた。一緒に歩く未来を、永い約束を贈ってくれた。大人の意味を履き違えていたことも教えてもらった。素直になるきっかけをくれた聖也のことが、大好き。それを伝えられた。
「セイなる夜に」
「乾杯」
ちょっと気持ちが落ち着いてから、まるで違う感覚を味わいながら祝杯をあげる。イブ当初の期待どおり、ベタベタイチャイチャしながら、縮んだ心の距離を感じながら、他愛ない話や将来の話、お互いの夢や仕事への野望の話とか。初めていろんなことを心のままに話せた気がする。
私たちのセイなる夜はいつまでも続き、朝の陽射しが部屋に射し込む時間まで、笑いと時々ぎこちない緊張と、そして心地よくまとわりつく気恥ずかしさがとどまることを知らなかった。