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幸福シャワー  作者: ユウ
9/10

9.

 そこは、窓が二つあるからか、光に満ちている部屋だった。

 部屋の隅から隅まで太陽の光で照らされていて、ここが病院だということを、ふと忘れてしまいそうになる。

 けれど、ベッドの中で上半身を起こしている志麻さんが、それを忘れたままにしてくれない。焦点が合わないまま、目の前にある写真を眺めていた。

 よく見ると、この部屋にある意味不明なお見舞いの品は、ほとんどが翠尾からのものみたいだ。

 かたつむりの写真に、かめのぬいぐるみ。ほかにも、もぐらやらなにやら、すべて翠尾が、なりたい、と言った生き物だ。それらの一つ一つを眺め、翠尾の想いを想像する。

 何を思って、彼はこれらを並べたのだろう。

「あ、ねぇねぇ、見て見て、志麻。雀がいるよ!」

 翠尾は、いつもよりもはしゃいでいるように見えた。学校に居る時とは別人だと、苦笑い。

 志麻さんは、その言葉を聞いているのかいないのか、変わらずぼうっとしているだけだったが、ふと視線を窓の外に向ける。その後も、ぼうっとするだけだった。どうやら、聴覚が無いわけではないらしい。

 翠尾は、志麻さんを愛おしそうに見て、誰に言うでもなくぼそりと呟いた。

 彼らのよく似た肌色の手が、重なる。


「そとに、いこっか」











 眩しいと感じる、その庭の中心。

 今日は、気持ち良いほどに晴れた日だった。


 ひとつ、ふたつ、と数えることができるくらいの雲の数。朝早くに此処に着いたはずなのに、太陽はずいぶんと高く昇っていて、ずいぶんと長い間病室に籠もっていたのだと感じた。

 俺の一メートル前には、車椅子を押す翠尾と、無表情のまま空を見上げる志麻さんが居た。最初は俺も隣に居たのだが、次第に離れて後方を歩くようになり、この距離を保ったところで俺の位置は落ち着いた。

 すでに、そこそこの広さのこの庭を、三週もしている。それでも志麻さんは変わらないし、翠尾も話すことが無くなったりはしていないようだ。彼は、彼女に声を掛ける。

 カブトムシの幼虫になりたい。

 ではなく、本当に、なんでもないようなことしか言っていなかった。天気がいいと気持ち良いねぇ、とか、今日来る途中のバスで会ったおばさんが、とか。もうすぐ一年の付き合いになる俺でさえ驚くほど、普通の話しかしていなかった。

 そこに俺の知る翠尾が居ないのは当然だ。志麻さんの隣に居るあいつは、貼り付けた歪を取り去った、ただの純粋な個体なのだ。だってそこでは、異常を強調する意味が無い。


 今の翠尾の表情は、ただ幸せだと語る。

 無表情で反応の無い志麻さんを見ながら。


 二人の良く似た髪が、歩くたびにさらりと揺れる。

 太陽は彼らを好いていた。当たり前の光景のように、光は二人を包み込む。

 惜し気も無く、その全身で陽を浴びる。その白すぎる肌で、太陽の祝福を受け止めている。



 初めは、彼らの生い立ちを、不幸だと思った。不運だと呪った。でも。

 確かに彼らはこの上ないくらい傷ついて、そして今でも痛み続ける傷を、持て余しているのだろう。いくら俺でもそれは想像に固くない。

 しかし、それを不幸だと誰が言った?


「ねえ、志麻、もうすぐ期末試験があるんだ。志麻なら余裕だったんだろうけど、僕は結構切羽詰っててさ」


 あの笑顔の翠尾が不幸? そんなわけないじゃないか。志麻さんだってそうだ。彼女は決して、俯いたりなんかしていない。

 幸せなのだ。彼らは。


 規則正しく彼らと一メートルの距離を保っていた俺の足は、次第に重くなっていき、やがて動かなくなった。少しずつ少しずつ、遠くなっていく翠尾の背中を見ていた。

 二メートル、三メートル。そこで彼も足を止め、俺の姿を探すように振り向いた。

「何したの?」

 なんでもない、と声にならない声で呟いて、首を振る。少しの間、彼は不思議そうに俺が追いつくのを待っていたが、動く気配が無いことを悟ると、志麻さんが乗る車椅子ごと体をこちらへ向けた。

 しかし彼女の視線は斜めに向かっていて、俺の右側あたりを見つめている。そんな志麻さんに、翠尾は笑顔で話しかけた。


「ねぇねぇ、志麻、志麻。あの人ね、こうきって言うんだよ」


 満面の笑みで、素晴らしいことでも言うかのように、彼は言った。

 すると、志麻さんはゆっくりと頭を動かし、俺の姿を捉える。どうやら、視覚も無いわけじゃ無いらしい。虚ろなのにしっかりとした眼光が、初めて俺に向けられた。


「幸せに輝くって書くんだ。幸輝って名前なんだよ。それでね、僕の、一番の友達」


 にこにこと笑う翠尾の顔を見てから、また俺の顔を見る。

 彼女は、微笑んでいた。幸せが溢れだしているように。


「幸輝」


 透き通った、水飴のような声が俺の名前を呼んだ。

 どこにでもあるような、ありきたりな自分の名前が、まるで宝物のように響く。



 あの二人の幸福が見える。

 どうしようもないほどの、美しすぎる幸福が。

 地面に陽が反射する。彼らはまるでシャワーでも浴びるかのように、その真っ白な肌を幸福の下に晒していた。



 泣きたい。この感情を言葉に直して、すぐに訂正した。

 泣けたらいい。幸せの涙を、今すぐ流せたらいい。











 眩しいと感じる、その庭の中心。

 今日は、気持ち良いほどに晴れた日だった。


 冬の終わりも、きっと近い。

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