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幸福シャワー  作者: ユウ
7/10

7.

 翠尾家はもともとそれなりの名家で、生まれた時から厳しい教育を受けていたと言う。

 今では自由気ままな翠尾も、その姉である志麻さんもだ。お家柄に加えて、父親が生真面目でその上厳しかったことが一番の理由らしい。

 そしてその父親は、教育、躾は勿論、交友関係にもうるさかった。

 遊び友達も、すべて父親に決められる。どれだけ気の良い友達でも、父親から“相応しくない”との判定が下されれば、教室で談笑することさえ制限されてしまう。異性の友達などもっての外だ。社交辞令以外の会話をしたのが父親にばれれば、大目玉をくらうことになる。

「そんなのさ、有り得ないでしょ。でも、どうしたことか、僕らは従ってたわけだ。お互いを支えにして、さ。支えだったから頑張れたのか、それとも辛かったから支えにしたのか、それは分かんないけどね」

 自分の時間などなく、いつでも叱られ続けている日々。同級生と仲良くすることもままならない。それは、翠尾にとって、耐えられないものではなかったが、頑張れたものでもなかったと言う。

 いつしか彼は父親の言いつけを守らなくなることが多くなり、最初こそ父は激怒していたものの、次第に翠尾を見限るようになった。気楽になったのは嬉しかったけれど、今度は志麻の負担が増えていったんだと、翠尾は悲しそうに笑顔で呟いた。

 日に日に衰弱していく志麻さん。それへの罪悪感と心配を胸に、翠尾は自分の姉をとても気遣った。それが、志麻さんにとっては嬉しかったのだろう。もともと奇妙な連帯感のあった姉弟だ。それ以上の関係になるのに、時間はかからなかった。

「僕らに倫理感や道徳意識が無かったわけじゃ無いけど、でも、それ以上に好きだった。親よりも、友達よりも、僕らを気遣ってくれるだけの人よりも。誰よりも、姉のことを、愛してたんだ」

 その関係はしばらく続いたけれど、志麻さんが高校を卒業した直後に、事件は起きる。

 彼らの父親は、厳しいだけで直接自分の子供に興味を持っていたわけではなかったそうだが、どうしてなのか、彼らの関係を知ってしまった。その直接の原因は、翠尾にも志麻さんにも覚えがなく、そして尋ねることもできず、結局分からず終いだったらしい。

「さすがのあの人もね、何て言ったらいいのか分からなかったみたい。夜に行き成り僕らを呼び出してさ、言いにくそうにしてたんだ。しょうがないから、僕が助け船を出してあげたんだけど。

 僕らの関係のことですかって言ったら、たっぷり間をあけて、男女の関係とは本当なのかって。志麻は真っ青になって固まってたから、僕がそうですって答えてあげたんだ。そしたら、あっちも蒼白になって、そうかって一言。

 それだけ言われて、しばらくした後、今日は一人で部屋に居なさいって言われたんだけど、僕と志麻はずっと話してた。今思えば、あの時の志麻の怯え様は、ちょっと怖かったなぁ」

 父親は塞ぎ込んでしまい、志麻さんも部屋から出たがらなくなったと、翠尾は飄々としたまま語った。その姿に、俺は止めていた息を少し吐き出す。

 想像はつく。実の父親に真実がバレてしまったことさえ、なんでもないことだと、志麻さんに言っている姿が。きっと、自分の過ちに怯えている彼女に、大丈夫だと心の底から思いけろりと言ってのける翠尾が、三年前にはすでに存在していたのだ。

 一家の大黒柱であり厳格な父親であった人が塞ぎ込み、長女が部屋から出ようとせず食事も摂らない。長男だけが何も気にせずいつも通りの生活を送っている。その時の奇妙な翠尾家の光景は、一部でだいぶ大騒ぎになっていたらしいと、まるで他人ごとのように言っていた。

 そして、志麻さんが部屋を出なくなって、二日三日四日と時が過ぎ、五日目の朝。

 そこに彼女の姿は無かったと言う。


 結局、彼女は見つかった。

 夜になってようやく来た、警察からの電話で。


 名も知らないマンションから飛び降りたらしい。けれど、ギリギリのところで生き延びてしまい、真っ白な顔をした志麻さんは、大学病院のベッドに横たわっていたと、淡々と翠尾は説明する。

 その時の父親の行動や、看護師と医師の様子、病室の場景、志麻さんの容体等、事細かに翠尾は話したが、そのどれにも彼自身の気持ちは入っていなかった。恐らく、今でも彼の中には、言葉にしきれない感情が渦巻いているのだ。


「その後は君も見たでしょ? 頭はそれほど強く打ってないらしいけど、反応は全然返ってこないし、話しかけてもこない。どうやら心の問題らしいってことで、今の病院に移ったんだ」

「親父さんは?」

「いろいろ反省してるらしくて。僕のとこには何も言ってこないし、志麻のことに関しては直接会いに行ったりとかはしてないみたい。病院に話を通したりとかは、頑張ってるらしいけど」

「そうか」

 バスや地下鉄内での、長い長い駅までの時間を、翠尾は上のような話でつぶした。俺は気の利いた相槌さえ打てず、ただ頷いているだけだったのだが、それでも翠尾は話し続けた。

「今の話には、母親の名前が出なかったけど、どうしてるんだ?」

「さあ? 僕たちの母親は、僕を生んですぐに家を出たらしいから。今じゃ、何をしてるのかまったく分からないんだ」

「ああ、悪い」

「ううん。別に良いよ。母親なんて、とくに思い入れがあるわけでもないし」

 微妙な沈黙が流れる。母も父も健在で、唯子の家のように事情があるわけでもなく、どちらかと言えば母親に味方することの多い俺にとって、何て返したら良いのか分からない話題だったのだ。

「まさか、毎日お見舞いに行くわけにもいかないしね。あの病院に行くのは、月に一度って決められてるんだ」

「決められてる? 誰に?」

「父親……ていうか、院長? 僕は志麻といろいろあったから、病状の悪化を警戒して、できるだけ面会は減らして欲しいって言われたんだ。で、相談した結果、月一ってことで収まった」

「そうなのか? それじゃあ、俺が今日ついてきたのは、邪魔しちまったんじゃ……」

「ううん、全然だよ。誰が来ても志麻の反応は変わらないし。僕は、むしろ来月も来てほしいくらいし」

「は? なんでだ?」

「きっと志麻も、君に来てほしいって思ってるからだよ。だから、君さえよければ、来月の第一日曜は空けててほしいんだ」

 志麻さんが来てほしいと思ってる? そんな馬鹿な。だって俺は、彼女の存在すら、今さっき知ったばかりなのだ。知り合いなわけがない。

 仮に、翠尾が毎月俺のことを彼女に吹き込んでいたとしても、あの様子の彼女が俺に会いたいと言うはずがない。そもそも、翠尾の話すら、聞いているのかどうなのか、怪しいものなのだ。

 そんな俺が、この濃密すぎる二人の間に入っていいものか。悩んだが、翠尾の笑顔を見ていると、不思議と言葉が零れ落ちる。


「分かった」


 すると、翠尾は満足そうに笑みを深くして、ありがとうと言った。なんだか俺の方がお礼を言いたいような心地になったが、それも不自然だと思ったので、呑み込む。

 空気を読んだかのように地下鉄は目的の駅で止まり、俺と翠尾は一緒に立ち上がった。その仕草にさえ、ずっと翠尾を見ていた二十代後半の女性はほう、と溜め息を吐く。その気持ちは分からないでもない。

 でも、俺はどうしても彼女に良い感情が持てなかった。その女性よりも綺麗な肌をしている翠尾は、あまりにも白すぎて、いっそ不健康だ。

「なあ、翠尾、一つ聞いてもいいか?」

「ん? なにー?」

「なんで、俺にわざわざそんな話をしたんだ?」

 唯子の懇願に負けたからかと思ったが、なんだか今回のことは、それとは無関係な気がしたのだ。具体的な説明や確証などはなにもないが、なんとなく、そんな気がした。


 翠尾は少し困ったような表情をして、しばし悩んだあと、こう言った。



「君には、知っててほしかったのかな」

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