5.
それから三日後、唯子は自殺を試みた。
現場は自分の家。両親が日課の言い合いをしていたところ、ドンという不審な音を聞いたため庭を見れば、血を流している自分の娘が居た。急いで病院へ運んだところ、どうやら少し頭を打ったみたいなので、念のため入院をすることに。が、怪我自体は、そう酷いものはなかったようだ。
目が覚めてからも、唯子は黙秘を続ける。自宅二階の自分の私室から飛び降りた理由については、ついぞ語られることが無かったという。
唯子が飛び降りをしたと聞いた次の日、普通に学校へ行き、放課後になってから、翠尾に一緒に病院へ行くかと尋ねてみた。
「なんで僕が?」
「いや、この間のこともあるし。気になってたらな、と思って。唯子もお前のこと、気にしてたらしいし」
「あの子が?」
「そう。自分のことは何も言わないのに、お前のことばっか話すんだって」
「ふーん」
もう一度、来るかと尋ねれば、じゃあ行くと返ってきた。翠尾と同じバスに乗ることになんだかもう慣れてしまったことに気づく。最初は、周りの視線が痛くて居心地が悪かったのだが。
駅まで行き、いつもとは違うバスに乗る。それに翠尾も付いてきた。吊革に捕まりしばらく揺られれば、唯子が入院している総合病院前の停留所が見えてくる。やっぱり、俺たちはずっと無言だった。
院内に入ったところで、俺はふと、思い出して話しかけてみた。
「そういえば、お前が自殺を止めるなんて意外だったな」
「んー?」
「お前、自殺とか止めたりしないかと思ってた。むしろ、後押ししそうだって、思ってたんだよな」
「ああ、唯子ちゃんのこと? あれはね、飛び降りなんかやめなよって言っただけだよ」
「……うん?」
「だって、あそこ三階でしょ。よっぽどきれいにいかなきゃ、死ぬこともできないよ。それに、万が一死ねたとしても、後々先生たちが面倒でしょ。だから、ここからはやめときなよって言ったんだ」
「それを、唯子には?」
「言ったよ、もちろん。でも、駄々こねててさ。なんだか衝動的なものだったらしくて、結果はどうあれ、とにかく飛び降りたかっただけみたい。今回のも、たぶんそうでしょ。二階から飛び降りでしょ?」
「そう聞いてる」
「真剣に死ぬのを考えてたら、ありえない高さでしょ」
まあ、確かに。飛び降りにさして詳しくない俺でも、そんな高さじゃ死ねないだろうことぐらい、想像はつく。
「やっぱり、もうちょっとあいつに気を配っときゃ良かったな」
「気を付けて目を付けてたって、結果は変わらなかったと思うけどね」
確かに、衝動的ならそう意味ないか。
そうこうするうちに唯子の病室にたどり着く。ただの骨折と聞いていたのだけど、そこは何故か一人部屋だった。高給取りの父親と、世間体が気になる母親が、よく話し合った結果ということなのだろうか。否、恐らく、自殺未遂を試みた娘がいるという事実を、どう隠すかという相談を怒鳴りあいながらした結果なのだろう。
ぴったりと閉ざされているドアをノックし、返事を待たずにそろそろと開ける。唯子はぼんやりとこちらを見つめていて、俺と翠尾だと気が付いたとたん、ぱっと表情を変え、上体を起こした。
「な、何したのっ?!」
「何って……お見舞い」
「み、翠尾君も……?」
「うん。君が、僕のことよく話してるって聞いて」
「あ……。う、ん。謝りたくて……」
「あやまる?」
「うん。ごめんね。その、この間、学校で。いろいろ言ってくれたのに、結局飛び降りちゃって」
「ああ。まあ、いいんじゃない。本気で死にたかったわけじゃないみたいだし、家なら迷惑かかるのは、両親だけだしね」
「そうだね」
そんなことを言う奴があるか。俺は一応翠尾に非難の眼差しを向けたのだが、気づく気配はない。もしくは、気づいているが無視している。
その後、翠尾と唯子は二言三言話して、翠尾はさっさと、じゃあ僕あそこでジュース飲んでるから、と言って出て行った。これは唯子と二人で話をしろということなのだろう。そんな気を回すなんて、なんだか翠尾らしくない気がしたが。
「……あのね」
「うん?」
「あのね、私ね、本当に死のうと思ったわけじゃないの」
「ああ、そりゃな。二階だもんな」
「うん。最近、何て言うかな、ちょっと、参ってて。家のこともだけど、あ、うちのこと知ってる?」
「ちょっとな」
「うん。それもあるんだけど、一番最初に思い浮かぶのは、それじゃないの」
「この間翠尾が話してた、俺のことが好きってやつか?」
「そ……そう。私ね、不安なの」
「不安?」
唯子は、意を決したように、口を一文字に引き締める。そして、深く息を吸って、早口で話し始めた。
…………あのね、いつも、ふわふわしてる気がするの。自分っていう土台がしっかりしてないっていうか、自我がないっていうか…………。いつでも他人に合わせてるのかな。違う気もするけど。例えばね、私が相手だったら、どんなくだらないことにも笑ったり、受け身の良い人になるの。でも、クラスの人とだと、自分から馬鹿やって笑いを作る人になる。それで、翠尾君が相手だと急に冷たくなってぶっきらぼうになるの。それって、たぶん、その場の雰囲気とか、相手の欲しいもの優先の付き合い方のような気がするの。自分の話したいこととかも絶対言わないし、感情なんてそっちのけで。だからね、自分のことが分かんなくなってるんじゃないかって……。だから、翠尾くんとよく一緒に居るのかなって、思ったの。翠尾君って、不思議な力があるでしょう? 自分がどんな奴でも、気にならなくなるような。翠尾君の話を聞いてると、自分が自分じゃなくなるような気がするんだよね。
ここまで聞いて、つい苦笑いをしてしまった。
話が、長すぎる。怪我したって聞いて、それなりに心配もしてたのだが。なんだ、全然元気じゃないか。
その俺の苦笑いをどうとったのか、唯子は変わらず真剣そうな表情で、だからね、と言った。
「誰が悪いわけでもないんだけどね。私、翠尾君とは一緒にいない方が良いと思うの」
唯子の目を見る。
「…………ねえ。私じゃ、翠尾君の代わりには、なれない?」
今にも泣きだしそうな表情に見えた。
それで分かる。ああ、本当に、こいつは俺を心配していたんだ。
長々とされた話は、正直、半分もわからなかったけれど、恐らく的を得ている。
俺も、俺が分からないのだろう。自分のしたいことをしてるだけだって言うのは簡単だが、考えてみれば流されているだけのような気がしてしまう。だって、俺のしたいことは何だと問われても、俺は言葉に詰まってしまうから。
最近じゃ大して話もしていない幼馴染のことを、唯子はここまで理解しているのだ。俺は今の今まで、唯子が何を思っているのか、知りたいとも思わなかったのに。
けどな唯子、お前は、ひとつだけ間違ってるよ。
翠尾はそういう奴じゃない。
あいつは、
「唯子」
また、苦笑い。唯子はさらに不安げな顔をして、眉間にしわを寄せる。彼女の瞳には、怯えとともに、極度の緊張の色も浮かんでいた。
「唯子の肌。白いとは思ってたけど、翠尾の方がずっと白いんだな」
少しの間きょとんとして、俺が何を言ったのか、それを理解した途端、わっと声をあげて号泣しだした。
当然だ。俺は、何も聞いてないふりをした。彼女の精一杯の覚悟と心遣いを、迷惑だと目の前でごみ箱に捨てたのだ。
翠尾がやってきて、そのうち看護師もやってきて、誰が何を言っても、唯子はただ泣き続けた。結局、その日は看護師に叩き出されるまで、何も言わず泣く唯子を見ていた。
なあ、唯子、あいつはな。
翠尾はな、知ってるんだ。
あいつは、まるで当然のことのように、俺の本質のすべてを知っているんだよ。




