2.
翠尾のかたつむりブームは三ヶ月目に入らずして終わり、今度は無機物にまで目が行くようになったらしい。
「僕は、道に転がってる空き缶になりたい」
特に用事もないし、さて帰ろうと思ったものの、次のバスが来るまで時間がある。この時期にずっと外にいたら、寒くて寒くてたまらないってことで、教室で何をするでもなく時間をつぶしていたところ、何故だか帰っていなかった翠尾に捕まり、いつものように話をされた。
「別にね、これと言った理由はないんだけど。何て言うか、あの退廃的な雰囲気が、さ」
「…………」
「あ、今日ね、バスから捨てられた空き缶見たんだよ。だからそう思ったんだけど、塗料が剥げて、スチールだから赤茶に錆びついててさ、車に轢かれたのか、ぺったんこになってんの」
「…………」
「それで、その雰囲気が、いいなぁって」
「………………」
「…………ねえ、どうしたの? 怒ってるの?」
いつもの俺は、興味無いながらも気の抜けた相槌を打っているのに、今日に限って無言なので不審に思ったようだ。怒ってるのという声は心底不思議そうで、俺が無言な理由が全然分からないと語っている。俺が本気で怒っているとは、思っていないようだ。
ちがう、と俺は小さな声で囁いた。掠れていて、声になっていない。
かぜひいて、のどがいたいから、しゃべりたくない、だけ。おこってないから、きにするな。
「ほんとにすごい声だね。熱とかはないの?」
ない。いいから、きにするな。あきかんのはなし、べつに、つづけていいから。
「うん。分かった」
翠尾はそう言ったものの、薄暗く灰色に曇った空を物憂げに見つめたまま、何もしゃべらない。さっきまで空き缶の話をしていた時はキラキラと目が輝いていたのに、まるで別人のようだ。
「……うん、わかった!」
なにが?
「帰ろう!」
結局、こいつとはまともな会話ができないということだけがわかって、俺も帰る支度をした。早く帰る分には困ることは何もない。バス時刻の方も、もうすぐ来る丁度良い時間だ。
なんとなく二人で並んで歩いて、ちらちらと女性が翠尾を見ているのが分かりながら、バスの中でもなんとなく隣に立っていた。俺も翠尾にならってその女子大生らしき人を完璧に無視をする。結局、駅についてからも、俺と翠尾の間に会話はなかった。
すると、ふいに翠尾がここで待っててと言い残して、ふらりとどこかへ消えていった。どうしようもなくて、ぼんやりとマフラーをいじりながらその場所でぽつんと待っていたのだけど、十分とせずに翠尾は戻ってきた。
「はい、これ」
なんだ?
「のど飴と、マスク。辛そうだったから。あと、マスクぐらいした方いいよ」
そう言って、小さなコンビニの袋を差し出した。一応手を出して受け取りながら、しわがれた声を絞り出す。
なんでとつぜん、しんせつになったんだよ?
嫌味でもなく、ただ普通に疑問に思って口にした。翠尾は、他人のことなんてどうでもいいと思っているのに。実際、俺のことなんて、話を聞いてくれる人、その程度の認識なんだろう。
すると、俺の予想していた反応とは違い、翠尾はきょとんとして、当然のことを言っているような口調で答えた。
「なんでって。大好きな友達が風邪を引いて苦しんでたら、心配するのは当然でしょ」
面食らっている俺の反応が予想道理だったのかどうなのか、よく分からないけれども、じゃあね、と短く挨拶をして翠尾はホームへ歩いて行った。俺もああ、とよく分からない返事はしたけれど、いつも通りじゃなかったのは確かだろう。
大好きな友達? いったい誰が。いや俺か。
だいぶ俺は混乱している。あの翠尾が、大好きと言った。この俺のことを。この俺のことを? 翠尾が? 好きと言った?
俺の中の翠尾が、少し分からなくなった。だって、あいつが人間嫌いなのは、俺の中では大前提なのだ。どうやっても、あいつはきっと死ぬまで人間という種を愛することはできなくて、歪で、苦しくて、普通とはズレたとこにいる。俺にとっては翠尾はそういう位置にいて、そういう奴だと思って今まで接してきたのに。それなのに、大好きな友達ときた。いや、分からない。あいつのことが分からない。
適当なことを言っただけなのか? 本当は嫌いだけれど、何かの気まぐれで、誰かに好きと言ってみたかった、とか。そうなんだろうか。ありえなくはないと思うけれど。どうなんだろうか。
分からない。翠尾が、全然分からない。
結局家に帰ってからもその翠尾の発言に悩まされて、分からん! と叫びだしたくなったけど、声が出ないことを思い出して断念。次第に、翠尾にここまで悩まされるのが馬鹿らしくなって、あいつはそんな深いことなど何も考えてなかったのだ、ということで自己完結した。
その日の深夜、少し遅くなったが、すっきりした気持ちで眠りに。
が、次の朝、熱を出した。知恵熱なのか風邪なのか、とりあえず翠尾の所為だ、と呪言を呟いた。




