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幸福シャワー  作者: ユウ
1/10

1.


 その男は、この学校の伝説だった。


「僕はさ、かたつむりになりたいんだ」

 彼の名前は翠尾。翠尾と書いてみすおと読む。本人はあまり好きではないらしいが、俺はなかなか美しい字面と発音だと思う。こいつの美しい顔にはお似合いの名だ。こいつと俺ら、本当に同じ人間かとつい疑問に思ってしまうほどの美しすぎる顔立ち。何よりも、その白すぎる肌が、俺の記憶に最も強い印象を残した。

 男の俺でさえ、こいつの顔を初めて見たときには、息を呑んだほどだ。当然、翠尾が廊下を通れば、その後ろには興奮する女子の悲鳴が響き渡る。その悲鳴を聞き駆け付けた奴が噂を聞き、見に行って悲鳴、駆け付ける女子。そんな感じで瞬く間にその名を轟かせ、たった一晩で学校一のイケメンの名を欲しいままにした。

 ところが、翠尾の伝説はそれだけでは終わらない。

「亀の次はかたつむり? お前の興味の尽きなくていいよな。暇なんてもんに一生縁がなさそうだ」

「何言ってんのさ、暇だからこんなことを考えるんだって。ねえ、かたつむりだよ、かたつむり」

「聞きたくない」

「よくよく考えてみるとさ、なんか魅力的な気がして。ねえ、僕はさ、かたつむりになりたいんだ」

 これだ。これである。翠尾の病気。彼は、奇妙な言動がめちゃくちゃ目立つのである。 みんなでバカ話をして盛り上がってるところに、何の脈絡もなく「信号って虫みたいだよね」。空気を読む読まないの問題じゃない。頭がイカレてるんじゃないかと疑って然るべきな台詞で、さらにそれが、彼の完璧な顔にある口から吐かれた言葉なもんだから、空気の凍り方が、俺が言ったときの二割増だ。

 誰かがフォローしようと思っても、その場の空気、手におえない。というか、彼は分かっていてやっているので、尚更手におえない。

 入学当初は人気者で何にしても引っ張りだこで、周りに男女問わず誰かが居たというのに、一気に人だかりは一人減り、二人減り。あっという間に彼は、触らぬ神に祟りなしのパンダ状態となった。でもその状況に落ち込んだ様子は見られなくて、むしろ清々して、喜んでいるように見えた。翠尾がそういうやつだと知ったのは、もうだいぶ前になる。

 翠尾は、人間が、大嫌いなのだ。それも、尋常じゃなく。もしかしたら、何かトラウマでもあるのかもしれない。

「雌雄同体なんだって、かたつむりって」

「しゆう……何?」

「雌雄同体。一つの個体に、オスとメスの生殖器があること。きーたことない?」

「ない」

「そ? とにかくさ、かたつむりは、男であり女であるんだよね。ね、すごくない?」

「んー、まあ、凄い世界だな」

「それにさ、やっぱり何よりも名前だよねぇ、なまえ! かたつむりに、でんでん虫に、それにマイマイ! イイよねぇ、何て言うか、響きっていうかさ」

「んー」

「やっぱり、一番大事なのは名前だよねー」

「お前の一番大事なところは、暗いところに住むことだろ?」

 そう言うと、翠尾はにっこり笑った。いいや、やっぱり皮肉気味に、にやりと笑ったのかもしれない。ちくしょう、綺麗な顔は読み取りにくい。

 エキセントリックで有名な翠尾だが、彼の話す奇天烈な語りの内容を知っている奴は少ない。だから、こいつが定期的に「なんとかになりたい」と話すということを知っているのはきっと俺ぐらいなものだろう。

 今回はかたつむり。前回は亀。その前は深海魚。その前はもぐら。それらは平均して二から三週間同じ話を続けるのだが、いつだったかホラアナなんとかっていう虫の話をしたときは、珍しすぎるからか美しくないからか、三日でブームは終わった。

 とにかく、翠尾があげたそれらの生き物には、共通点がある。それは、隠れられる場所がある、ないし生活の基盤が暗闇の中、ということだ。

 誰よりも目立つ容姿で、一番の光物のような存在なのに。光が嫌いなんて、可笑しな話もあったものだ。

「僕はさー、かたつむりになりたいんだ」

「翠尾、さ。俺の話って基本的に聞かねーよな」

「そーかな?」

「自分勝手で、自分の話ばっかりで。性格、悪くて暗くて歪んでて」

「良いのは顔だけ?」

「顔も悪い」

「うえ。初めて言われた」

「そら、貴方様は綺麗なお顔をしてらっしゃいますよ。そーだけど、そーじゃなくて。なんてゆーか、表情が悪い」

「へぇ?」

「いや、違うかな。違うかも。やっぱわかんね」

「なんだそれー。こっちの方がもっと分かんないよ」

 あはは、と楽しそうに彼は笑った。その表情を見ていると、なんだかもやもやしたものが胸の内に湧き上がる。舌打ちしたい気分になった。


 翠尾、俺はお前が嫌いだ。

 理由なんてあげられない。人が大嫌いなところも、わざわざ他人とぶつからない様にして一人になるやり方も。性格も、しゃべり方も、その白すぎる肌さえも。とにかく、何もかもが、吐き気がするくらい大嫌いだ。


「僕、かたつむりになりたいんだ」

「あそ」

「かたつむりは、雌雄同体で、男で女なんだ。完全な存在なんだ」

「だから?」

「だから、僕はかたつむりになりたい」

 そのあとも、翠尾は何度も何度も繰り返した。かたつむりになりたい。まるで願うように、空を見ながら、教卓を見ながら足元を見ながら、何度も何度も呟いていた。


 人間が大嫌いで、誰よりも明るいことが嫌いで、自分勝手で俺の話なんて右から左へ聞き流して自分の話ばっかりで、性格悪くて暗くて。歪んでて。かと思えば、子供みたいにひたむきに願いを唱え続けている。

 この学校の何人が、この翠尾の歪みを正確に理解しているのだろうか。人間が嫌いでわざわざ遠ざけておきながら、毎日欠かさず学校へきて、時折ふらりと俺に話しかける。そんな翠尾のことを、いったいどれだけの人間が理解できているだろうか。理解しようとしているのだろうか。


 翠尾は、次の日も、その次の日もかたつむりの話をした。

 おや、と思った頃には、かたつむりのブームはすでに二ヶ月目も終わろうとしていた。

 雌雄同体だ、完全な存在だ、と言い続ける翠尾の笑顔を見て、やっぱり例のトラウマは女関連か、と妙に納得して頷いた。

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