第八話
※リシェル視点
朝は嫌いだ。
理由は単純で、無防備だから。
目を開けた瞬間、人はもっとも愚かになる。
判断力は鈍り、危機感も緩む。
だから私は、朝が来る前に起きている。
「……起きたのね」
低い天井。
安宿の部屋。
そして、布団の上で間抜けな顔を晒している――私の主人。
彼は、ぼんやりとこちらを見た。
「……おはよう」
「挨拶は不要よ」
即答すると、彼は眉をひそめる。
「いきなり冷たくない?」
「無駄だから。朝の会話は判断を誤らせる」
彼は理解できていない顔をしている。
当然だ。
この人は――説明されないことに慣れていない。
私は壁にもたれ、腕を組む。
「起床時、まず周囲を確認して」
「……誰かに襲われる前提?」
「襲われない理由が、どこにあるの?」
彼は黙った。
その沈黙を、私は肯定と受け取る。
(やっぱり……)
この人は、危機を前提に物事を考えている。
それを口にしないだけ。
彼が布団から降りようとすると、私は一歩前に出た。
「待って」
「今度は何」
「部屋の安全確認が終わっていない」
「俺の部屋だぞ?」
「だからこそ」
窓。
扉。
天井。
死角。
最後に――彼。
「異常なし。行動をどうぞ」
「……許可制なの?」
「ええ」
当然でしょう、と言わんばかりに。
(主が無防備なら、従が守る。それだけ)
彼は何か言いたげだったが、諦めたように部屋を出た。
――判断が早い。
余計なプライドを持っていない。
(やっぱり、厄介な人)
***
朝食は簡素だが、栄養は足りている。
彼が席につくのを待ち、向かいに座る。
彼はスープを一口飲み、怪訝そうに言った。
「……お前、食べないの?」
「後で」
「なんで?」
「毒が入っていないか、確認してから」
彼がむせた。
「ここ、安宿だぞ!?」
「だからよ」
安宿ほど、管理が甘い。
甘いところに、事故は起きる。
彼はぶつぶつ言いながら食事を続けた。
私は、その様子を観察する。
表情。
呼吸。
瞳孔。
(……問題なし)
彼が食べ終えたのを確認してから、私も口をつけた。
「……安全」
「それ言われると、逆に怖い」
彼はそう言ったが、声に本気の拒絶はない。
(拒まない。
でも、依存もしない)
距離感が絶妙だ。
***
外に出ると、視線を感じた。
通行人。
商人。
傭兵崩れ。
理由は分かっている。
――私が、半歩後ろにいるから。
(自然に後ろに立ってしまったけど……)
これは、無意識だ。
主人の死角を埋める位置。
彼は小声で言った。
「……なあ、視線集まってない?」
「気のせい」
「絶対違う」
「気にする必要はないわ」
彼はため息をついた。
市場に入ると、店主の態度が変わった。
声が低くなり、動きが早くなる。
「……安くなってるんだけど」
「交渉が成立しただけ」
「俺、何も言ってない」
「言葉だけが交渉じゃないわ」
私は淡々と言う。
「立ち位置、視線、沈黙。
それだけで人は勝手に判断する」
彼は首をかしげた。
「……それ、俺がやってるみたいに聞こえるんだけど」
「事実でしょう」
彼は否定しなかった。
(やっぱり、自覚がない)
だがそれがいい。
自覚のない人間ほど、周囲を動かす。
***
宿に戻ると、主人が妙に丁寧だった。
「お部屋……その……広い部屋に変えますか?」
「い、いや、いいです!」
主人は何度も頭を下げて去っていった。
部屋に戻った瞬間、彼がこちらを見た。
「……何した?」
「何も」
「絶対嘘」
「誓いの指輪にかけて?」
「……」
彼は黙った。
(そう。
この人は、指輪を使えば私が嘘をつかないと分かっている)
それでも疑う。
――慎重。
「主人」
私は、少しだけ声を落とす。
「あなた、自分がどう見られているか理解していない」
「ただの無職予備軍だけど?」
「違うわ」
私ははっきり言った。
「“何も言わずに判断を任せる人”は、
一番怖いの」
彼は目を瞬かせた。
「……それ、褒めてる?」
「評価よ」
私は視線を逸らす。
「だから、私が前に立つ」
「完全に主従逆じゃない?」
「いいえ」
私はきっぱりと言う。
「主は、後ろでいい」
彼は苦笑した。
だが、その表情の奥に――
迷いはない。
(……やっぱり)
この人は、
自分が前に出ないことで、
周囲を動かすタイプだ。
意識していないのが、なお悪い。
この日から、私は確信した。
――主人は、
“何もしていない”のではない。
“何もしないことで、場を制御している”。
そう理解した。
そしてその理解は、
この先、何度も私を誤らせることになる。
けれど今は、まだ――
気づいていない。
私も。
彼も。
朝は嫌いだ。
理由は単純で、無防備だから。
目を開けた瞬間、人はもっとも愚かになる。
判断力は鈍り、危機感も緩む。
だから私は、朝が来る前に起きている。
「……起きたのね」
低い天井。
安宿の部屋。
そして、布団の上で間抜けな顔を晒している――私の主人。
彼は、ぼんやりとこちらを見た。
「……おはよう」
「挨拶は不要よ」
即答すると、彼は眉をひそめる。
「いきなり冷たくない?」
「無駄だから。朝の会話は判断を誤らせる」
彼は理解できていない顔をしている。
当然だ。
この人は――説明されないことに慣れていない。
私は壁にもたれ、腕を組む。
「起床時、まず周囲を確認して」
「……誰かに襲われる前提?」
「襲われない理由が、どこにあるの?」
彼は黙った。
その沈黙を、私は肯定と受け取る。
(やっぱり……)
この人は、危機を前提に物事を考えている。
それを口にしないだけ。
彼が布団から降りようとすると、私は一歩前に出た。
「待って」
「今度は何」
「部屋の安全確認が終わっていない」
「俺の部屋だぞ?」
「だからこそ」
窓。
扉。
天井。
死角。
最後に――彼。
「異常なし。行動をどうぞ」
「……許可制なの?」
「ええ」
当然でしょう、と言わんばかりに。
(主が無防備なら、従が守る。それだけ)
彼は何か言いたげだったが、諦めたように部屋を出た。
――判断が早い。
余計なプライドを持っていない。
(やっぱり、厄介な人)
***
朝食は簡素だが、栄養は足りている。
彼が席につくのを待ち、向かいに座る。
彼はスープを一口飲み、怪訝そうに言った。
「……お前、食べないの?」
「後で」
「なんで?」
「毒が入っていないか、確認してから」
彼がむせた。
「ここ、安宿だぞ!?」
「だからよ」
安宿ほど、管理が甘い。
甘いところに、事故は起きる。
彼はぶつぶつ言いながら食事を続けた。
私は、その様子を観察する。
表情。
呼吸。
瞳孔。
(……問題なし)
彼が食べ終えたのを確認してから、私も口をつけた。
「……安全」
「それ言われると、逆に怖い」
彼はそう言ったが、声に本気の拒絶はない。
(拒まない。
でも、依存もしない)
距離感が絶妙だ。
***
外に出ると、視線を感じた。
通行人。
商人。
傭兵崩れ。
理由は分かっている。
――私が、半歩後ろにいるから。
(自然に後ろに立ってしまったけど……)
これは、無意識だ。
主人の死角を埋める位置。
彼は小声で言った。
「……なあ、視線集まってない?」
「気のせい」
「絶対違う」
「気にする必要はないわ」
彼はため息をついた。
市場に入ると、店主の態度が変わった。
声が低くなり、動きが早くなる。
「……安くなってるんだけど」
「交渉が成立しただけ」
「俺、何も言ってない」
「言葉だけが交渉じゃないわ」
私は淡々と言う。
「立ち位置、視線、沈黙。
それだけで人は勝手に判断する」
彼は首をかしげた。
「……それ、俺がやってるみたいに聞こえるんだけど」
「事実でしょう」
彼は否定しなかった。
(やっぱり、自覚がない)
だがそれがいい。
自覚のない人間ほど、周囲を動かす。
***
宿に戻ると、主人が妙に丁寧だった。
「お部屋……その……広い部屋に変えますか?」
「い、いや、いいです!」
主人は何度も頭を下げて去っていった。
部屋に戻った瞬間、彼がこちらを見た。
「……何した?」
「何も」
「絶対嘘」
「誓いの指輪にかけて?」
「……」
彼は黙った。
(そう。
この人は、指輪を使えば私が嘘をつかないと分かっている)
それでも疑う。
――慎重。
「主人」
私は、少しだけ声を落とす。
「あなた、自分がどう見られているか理解していない」
「ただの無職予備軍だけど?」
「違うわ」
私ははっきり言った。
「“何も言わずに判断を任せる人”は、
一番怖いの」
彼は目を瞬かせた。
「……それ、褒めてる?」
「評価よ」
私は視線を逸らす。
「だから、私が前に立つ」
「完全に主従逆じゃない?」
「いいえ」
私はきっぱりと言う。
「主は、後ろでいい」
彼は苦笑した。
だが、その表情の奥に――
迷いはない。
(……やっぱり)
この人は、
自分が前に出ないことで、
周囲を動かすタイプだ。
意識していないのが、なお悪い。
この日から、私は確信した。
――主人は、
“何もしていない”のではない。
“何もしないことで、場を制御している”。
そう理解した。
そしてその理解は、
この先、何度も私を誤らせることになる。
けれど今は、まだ――
気づいていない。
私も。
彼も。




