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第七話

 結論から言おう。


 この家――

 完全に俺の居場所がない。


 朝、目を覚ました瞬間からそれは始まっていた。


 硬い床ではない。

 布団もある。

 屋根も壁もある。


 生活環境としては、悪くない。


 だが問題は――

 視線だ。


「……起きたのね、主人」


 静かで、落ち着いた声。

 柔らかいが、逃げ場がない。


 俺はゆっくりと目を開け、状況を確認する。


 ベッドの横。

 朝日を背にして立つ、長身の女。


 リシェルだ。


 腕を組み、壁にもたれ、こちらを見下ろしている。


 表情は冷静。

 だがどこか、納得したような顔。


(なんで、起きる瞬間から見張られてるんだ……?)


「……おはよう」


「挨拶は不要よ」


「は?」


「起床直後は判断力が落ちるもの。

 無意味な会話は、その隙を広げるだけだわ」


 理屈は分かる。

 分かるが――朝だ。


「誰と戦う前提なんだよ」


 俺が言うと、彼女は少し考えてから答えた。


「……人生、かしら」


 淡々とした声。

 否定も肯定もできないのが一番困る。


(いや、まだ寝起きだぞ?)


 俺が布団から降りようとすると、彼女が一歩前に出た。


「待って」


「今度は何だ」


「部屋の確認がまだ」


「は?」


 リシェルは真剣な顔で、部屋を見回す。


 窓。

 扉。

 天井。


 最後に、俺。


「……異常なし。動いていいわ」


「許可制!?」


 俺は思わず声を荒げた。


「いやいやいや!

 俺が主人だよな!?

 立場おかしくないか!?」


 リシェルは、ほんの少しだけ首を傾げる。


「おかしくはないわ」


「どこがだ!」


「主が無防備なのは、従う側の落ち度よ」


 当然のように言われた。


(あ、これもう議論にならないやつだ)


 俺は反論を諦め、部屋を出た。


 ***


 朝食は、すでに用意されていた。


 パン。

 スープ。

 焼き野菜。


 質素だが、配置がやけに整っている。


「……作ったのか?」


「ええ」


「いつ?」


「あなたが寝ている間に」


「怖いんだけど」


 リシェルは何でもないことのように椅子を引く。


「食事中は、あまり話さないで」


「なんで?」


「集中を欠くから。

 それに……」


 ちらりと俺を見る。


「不用意に口を開く人ほど、毒に気づかないものよ」


 俺はスープを吹きそうになった。


「ちょ、待て!

 毒とか誰が盛るんだよ!」


「可能性の話をしているだけ」


「ここ、安宿だぞ!?」


「だからこそ、よ」


 意味が分からない。

 だが、彼女は本気だ。


 俺が一口、また一口と食べるたび、

 彼女は視線を逸らさず観察している。


(俺、試食係か何かか……?)


 食べ終わると、彼女はようやく自分のパンを手に取った。


「……問題なさそうね」


「その確認、やめてくれ」


 ***


 外に出ると、状況はさらに悪化した。


 道行く人間の視線が、妙に集まる。


 理由は分かっている。


 リシェルだ。


 長身。

 整った顔立ち。

 冷たい雰囲気。


 そして何より――

 俺の半歩後ろを歩いている。


(完全に護衛ポジションじゃねえか)


 通行人と目が合うたび、

 彼女は何も言わず、ただ視線を返す。


 それだけで、相手が逸らす。


「……あの人、貴族か?」


「いや、護衛が付いてるぞ」


「何者だ……?」


(やめろ!

 俺はただの無職予備軍だ!)


 市場では、さらに露骨だった。


「い、いらっしゃいませ……!」


 なぜか値引きされる。


 俺は小声で聞いた。


「……なあ、何かした?」


「いいえ」


「絶対してる」


「見ていただけ」


「それが問題なんだよ……」


 彼女は少し考える。


「威圧は交渉の基本よ」


「俺、交渉してない」


「しているわ。

 何も言わずに、全部得ているもの」


(最悪だ……)


 ***


 宿に戻ると、主人の態度が決定打だった。


「お、お部屋……

 広いところに変えますか……?」


「え?」


「追加料金は……結構ですので……」


 俺は慌てて断った。


「い、いや!

 今のままでいい!」


「そ、そうですか……!」


 部屋に戻ると、俺はリシェルを見た。


「……何かしたよな?」


「してない」


「絶対してる」


「誓いの指輪にかけて?」


「……」


 言い返せなかった。


 彼女は、少しだけ声を落とす。


「あなたは、自分を低く見積もりすぎ」


「そんな価値ないぞ、俺」


「それが問題だと言っているの」


 リシェルは静かに微笑んだ。


「自覚のない人ほど、周囲を動かす」


「……褒めてる?」


「評価しているわ」


 彼女は一歩前に出る。


「だから、私が前に立つ」


「主従逆じゃないか?」


「いいえ」


 きっぱりと。


「あなたは後ろにいなさい。

 考える役目でしょう?」


 その瞬間、寒気がした。


 そして確信する。


(ああ、これ……)


(俺、何もしてないのに、

 勝手に“何か考えてる人”扱いされてる……)


 この日から。


 俺の「何もしていない」は、

 周囲の「深謀遠慮」に翻訳され始めた。


 主従は、まだ形式上は逆転していない。


 だが――


 主導権は、完全に彼女が握っている。


 俺がそれに気づいたときには、

 もう遅いのだろう。


 ……多分。

後日談  リシェル目線


 ……不思議な主人だ。


 それが、誓いの指輪をはめた夜、私が最初に抱いた感想だった。


 恐怖は、なかったわけではない。

 命を賭けた契約だ。

 どれほど理屈を並べても、軽いものではない。


 けれど――

 彼の手は、震えていた。


 はっきりと、分かるほどに。


(覚悟の震え、ではない)


 もっと情けなくて、もっと現実的な震えだ。

 失敗したら死ぬ。

 裏切られたら終わる。

 ただそれだけを、真正面から理解している人間の手。


 私は、そこに――安心してしまった。


 普通、犯罪奴隷を買う人間は、私を見ない。

 能力を見る。

 価値を見る。

 便利さと危険性を天秤にかけ、最後は「所有物」として扱う。


 でも彼は違った。


 私を見ていたのではない。

 自分の末路を見ていた。


(この人は……自分を過信していない)


 それは、弱さだ。

 けれど同時に、強さでもある。


 誓いの指輪をはめた瞬間、

 魔術式が結ばれたとき、

 私は確信した。


 ――この人は、逃げない。


 英雄だからではない。

 策略家だからでもない。


 逃げ場を、自分で潰す人間だからだ。


 「楽をして生きたい」


 そう言った彼の目は、嘘をついていなかった。

 だがそのために、命を賭ける選択をする。


(……矛盾しているようで、一貫している)


 だから私は、決めた。


 この人は、守る価値がある。


 命を賭けた誓いを、

 命を賭けて守る価値が。


 もちろん、彼は気づいていない。

 自分がどれほど危うく、

 どれほど人を引き寄せるかを。


 今もきっと、

「やばい買い物した」

「絶対後悔する」

そんなことを考えているだろう。


 ――それでいい。


 勘違いは、私がする。


 彼が何者かになるかどうかは、問題じゃない。

 私が「そうなる」と決めただけだ。


 誓いの指輪が、指に重い。


 けれど。


(悪くないわ)


 少なくとも――

 退屈だけは、なさそうだ。

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