第六話
誓いのリングは、小さな黒檀の箱に入っていた。
高級感はある。
だが、見た目に反して中身は命取りだ。
(これをはめたら、人生が完全に後戻りできなくなる)
現世で言うなら、
「勢いで連帯保証人のハンコを押す」
「内容を読まずに終身契約にサインする」
その全部盛りである。
俺は箱を開け、指輪を取り出した。
銀色の地金。
装飾は最小限。
内側には、びっしりと刻まれた魔術式。
(見た目だけなら、結婚指輪っぽいのがまたタチ悪い)
奴隷商が、腕を組んで言う。
「言っとくがな坊主。
この指輪は“冗談”で使うもんじゃない」
「分かってる」
「どちらかが契約を破れば――」
「二人とも死ぬ、だろ」
俺が先に言うと、奴隷商は小さく笑った。
「覚悟はあるみたいだな」
いや、覚悟というか――
(ここまで来たら、引き返せないだけだ)
俺は檻の前に立つ。
リシェルは、相変わらず背筋を伸ばして座っていた。
囚人の姿勢じゃない。
裁判官側のそれだ。
彼女は俺の手の中の指輪を見て、静かに言った。
「……最終確認よ」
「何だ?」
「あなたは、私を奴隷として扱うつもりはない」
断言だった。
質問ですらない。
(うわ、すでに話が一段進んでる)
「扱うって言っても、稼いでもらうだけだぞ」
「それを“対等な契約”と言うのよ」
いや、違う。
ただの寄生だ。
だが、俺は訂正しなかった。
ここで訂正すると、話がややこしくなる。
リシェルは続ける。
「命を賭けた契約で縛る以上、
あなたは私を“信用している”」
「してない」
「信じているからこそ、自分も縛る」
「保険だって言っただろ」
彼女は、ほんの少しだけ口角を上げた。
「……口ではそう言うのね」
(あ、これ絶対聞いてない)
奴隷商が鍵を鳴らし、檻を開けた。
「さあ、どうする」
俺は一歩、前に出る。
リシェルも立ち上がった。
近くで見ると、背が高い。
目線が、ほぼ同じだ。
見下ろされている気がして、微妙に居心地が悪い。
(俺、主人だよな?)
彼女は右手を差し出した。
「……先に、あなたから」
なるほど。
試している。
(自分から指輪をはめるかどうか)
俺は一瞬、迷った。
正直に言おう。
怖い。
だが、ここで躊躇したら――
この女は、一生俺を信用しない。
(まあ、信用されたいわけじゃないけど)
俺は自分の左手を差し出し、
誓いのリングを、自分の指にはめた。
瞬間。
――ひやり。
指先から、心臓まで冷気が走った。
「……っ」
胸が締め付けられる。
息が、一瞬止まる。
(うわ、これマジで命預けてる感あるな)
リシェルの目が、わずかに見開かれた。
「……本当に、躊躇しないのね」
「勢いだ」
「……勢いで命を差し出す人間は、信用できるわ」
意味が分からない。
彼女は、今度は自分の手を差し出す。
白く、細い指。
鎖で傷ついているが、震えてはいない。
「次は、私」
俺は、指輪を持つ手を伸ばした。
内心では、叫んでいる。
(頼むから、裏切るなよ……!
寝てる間に殺すとか、マジで勘弁だからな……!)
だが、口には出さない。
俺は静かに、彼女の指に指輪を通した。
――光。
淡い光が、二人の間を包む。
魔術式が浮かび上がり、
空気が、ぴんと張り詰めた。
誓いが、成立する。
「……完了だ」
奴隷商が、短く告げた。
その瞬間。
リシェルの表情が、変わった。
ほんのわずか。
だが、確実に。
柔らいだ。
「……これで、逃げられないわね」
「お互い様だ」
俺が言うと、彼女は首を傾げる。
「いいえ」
そして、微笑んだ。
「逃げないわ。
あなたは――逃がさない」
……は?
(なんで、俺が捕まる側みたいな空気になってる)
奴隷商が、愉快そうに笑う。
「坊主、いい買い物したな」
「……そうか?」
「間違いない」
リシェルは、俺を真っ直ぐに見た。
「これからよろしく、主人」
その言い方が、どう聞いても皮肉だった。
俺は悟った。
(ああ、これ)
(完全に主従逆転するやつだ)
こうして――
俺は、
命を担保に、世界一頭の切れる奴隷と契約した。
なお、彼女の中ではすでに、
「自分を利用して世界を渡る冷酷な策略家」
という人物像が、俺の上に完成していた。
俺はただ、
楽して生きたいだけなのに。




