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和風ファンタジーな鬱エロゲーの名無し戦闘員に転生したんだが周囲の女がヤベー奴ばかりで嫌な予感しかしない件  作者: 鉄鋼怪人
第五章 新人の教育は指導する側も大変だよねって件

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第五七話

| ⁰⊖⁰)『ヨキウゴキ……』

(ノ≧ڡ≦)『ワタシノオカゲデスネ!』

 時は暫し遡る事になる。


「総員盾構え!!河童共の突進が来るぞ!!」

「焙烙玉、投擲用意……投擲!投擲!」


 掛け声に従って薄い鉄板と木板を重ね合わせて、そこに防火用の漆を塗られた盾が一斉に構えられる。そしてその上から投石器を利用して投げ付けられた無数の焙烙玉が狭い通路を埋め尽くすようにして襲いかかってくる河童共の雪崩の中に消え……次の瞬間に爆発し、それらを無数の肉塊に変えていった。


 化物共の潜む巣穴の上層部では決して広くない通路の中で下人衆と妖の戦いが繰り広げられていた。妖側は狭い洞窟内にて視界の悪さと地理を生かして物量と伏兵と罠でもって侵入者を襲い、討伐隊は主に下人衆をもってそれに対処する。貴重な退魔士を罠や伏兵相手に失う訳にはいかない。雑魚の露払いは下人共に任せようという事だ。


 当然ながら各家から派遣された下人衆は次々と投入される蜘蛛と河童の軍勢を前に少なくない犠牲を払う事になるが……その中でもある一家が派遣した衆だけは軽微な損害だけで巣穴の奥へと進んでいた。


 鬼月家下人衆より派遣されて巣穴に投入された下人その数四八名は現在までに一名の重傷者と三名の軽傷者こそ出しているものの死亡者はなく、それでいてどの下人衆よりも最奥への進軍を果たしていた。


 一因としては衆そのものの実力があったであろう。橘商会を通じて入手して配備された装備は間違いなく此度の討伐隊に参加する下人衆の中でも質量共に最も高級且つ高性能であり、衆もまた高度に連携してその強みを最大限に活かしていた。


 特に罠の解除と伏兵の炙り出し、そして時としてそれらを逆用した分断と各個撃破の手並みは他の下人衆に比べてもかなり洗練されていたと言えよう。個々の下人としての練度は兎も角、下人衆という集団としては彼らは間違いなく優秀であったのだ。


 そして今一つの理由にして、そして前述よりもより大きい要因は、この下人衆に参列している部外者の存在があった。

 

「奥に蠢いているのがあるぞ、閃光玉を投擲しろ!!」


 前衛の班長の指示に従って後方の投擲専従班が閃光玉を投げる。霊力で強化した腕力で五十歩以上先の闇の中に投げ付けられた閃光玉は次の瞬間に発光して、隠れていた化物共を光の中に晒し出す。


「中妖を三体確認!!此方に来る………!!」

「弓と投げ槍を用意!前衛、結界の準備を!」

「突貫班、準備しろぉ!!」


 その掛け声と共に何十という矢玉と槍が放たれる。先行していた象のような巨躰の漆黒の大蜘蛛は、その顔面を中心に攻撃受けて思わず足を止め、そこに焙烙玉を投げつけられる。爆発によって中から飛び散る無数の石と鉄片が蜘蛛の肉体に突き刺さるとそのまま即死こそ免れるが力尽きて倒れこんだ。


「二体目、来るぞ!!」

「結界展開!!」


 そしてそんな一体目を捨て石としてその背後から現れた二体目は下人衆達と距離を詰めるがそこで行われるのは二個班十名の下人が共同で張る結界だ。各々が微弱な霊力故に脆弱な結界を各種の呪具でもって補い、そして重ねる事でどうにか三流の退魔士程度の張るそれと同等のものを形成して見せる。結界にぶつかり、火傷して足を止める蜘蛛。そこに刀や斧を手にした一個班が突貫する。


 霊力と呪具をもって身体強化した彼らは一撃離脱するように蜘蛛の足を切り落とすと直ぐ様に結界の内へと戻って反撃を回避する。前足を計三本失った蜘蛛は姿勢を崩して倒れこみ、怒り狂うように糸を吐き出す。硬度の高い糸を弾丸のように勢い良く吐き出したウォーターカッターならぬスレッドカッターであった。


「ちぃ!?ぎゃ……!?」


 糸の弾丸は結界を突き破り、そのまま直線上で盾を構えた下人を、その盾を砕いて吹き飛ばす。死んでこそいないがその下人は洞窟の壁に叩きつけられて骨を折る事になった。


「顔面をやれ!!」

「槍だっ!槍を突き刺せ!!」


 しかし同時に放たれる数本の投げ槍が蜘蛛の脳天や顎に突き刺さり止めを刺す。だが、それすらもあるいは化物共の計算の内であったかも知れない。


「糞、最後のが来るぞ!!」


 二体の同胞を犠牲にして、最後の一体は既に下人衆に肉薄していた。弱体化した結界を二度の体当たりで打ち砕くと前足を二本、槍のように使い襲いかかる。


「ちぃ!?」

「糞、化物め!!」


 数人の下人がその前足先端の爪によって負傷する。下人衆の着込む衣装は呪いで強化されていて、特に急所は内側から薄い鉄板で守られており、更には霊力で身体強化までしているのだが……それでも掠れただけで刀で斬りつけられたように出血するとなれば、生身で食らえばどうなるかなど想像に難しくなかった。


 中妖の猛攻によって崩れ始める隊列と連携……そこに更に奥から無数の子蜘蛛共の姿を見いだして下人達は焦り始めるが……次の瞬間にそれらは纏めて光の矢により消し飛んだ。


「綾香様!?」


 下人達が一斉に背後を見やる。神木を削り作り上げた弓を構えた鬼月の分家の少女が誤魔化すような苦笑いを浮かべた。


「あ、御免なさい。ですけれどあれは少し危ないと思ったもので………」


 鬼月綾香は下人達に向けて謝った。気まずそうな表情であった。


「い、いえ………御助力感謝致します。ですが余りに助太刀されますとそちらの霊力が不足致しますので………」

 

 下人衆の班長の一人が恭しく頭を下げて答えた。歯切れの悪そうな口調であった。


「それは構いません。……ははは、此方も我が儘を言っているのは分かっていますので」


 綾香もまた謝罪に対してバツが悪そうに答える。本来ならば露払い役の彼らと同行して彼女がここにいるのは間違いであった。それを、しかし綾香は無理を言って一族の他の者達にも内緒にして同行していた。


 全ては探すためであった。この討伐遠征の始まり以来彼女は人を探していた。信じていたのだ。その人が生きている事を。同時に妖退治の常として折角生きていた彼が味方に殺されるような事態を防ぐために彼女は率先して前線に赴いていた。それはこの巣穴の攻略作戦でも同様で、同じように下人衆に同行しようとしていた少女に接触して、その人脈をもってして綾香は下人衆の衣装を着込んで付いて来ていた。彼らへの助太刀はその謝礼である。


「いえ………では進みましょう。先遣隊前進しろ。白殿、道は此方で間違いないか?」


 身分が上の者の丁寧な態度にやりにくそうにする下人は、しかし時間に余裕がある訳でもないので話を切り上げると一個班に前進を指示してから今一人の部外者にして同行者に尋ねた。


「は、はい!えっと………確かに針は此方を指し示しています!」


 後方にて手に吊り下げた針糸の指し示す先を二度三度と入念に確認してから、白狐の半妖は首を振って答えた。


 白………この半妖の少女が率先して巣穴へと足を踏み入れたのは心配故の事であった。


 元より彼女は自らが遠征に参加出来ぬ主君の代わりに下人の目付として討伐隊に捩じ込まれていた。そして、下人衆の允職は兎も角それ自体は彼女もまた承知して納得していたのだ。


 恩人でもあり、知人でもあるその下人を少女は嫌う事は無かったし、その立場がどれだけ不安定なものなのかも、時としてどれだけ無謀な事を仕出かす性格なのかもこれまでの経験で十分に理解していた。


 白にとってその下人は頼り甲斐はあるし、優しいし、傍にいれば安心出来る。けれど少し目を離せば死んでしまいそうな………そんな不安を感じさせるような印象を与える人間で、だからこそ自らもまた非力ではあるがそれを支えたいと素朴に、極自然に感じていたのだ。


 そしてその不安は一度的中した。天幕の中で苦しむ彼を助けるために白は気が動転して、恐怖しつつも限り無く適切な処置を出来たと自認している。


 ………その後の一件については恐らく気が動転していた反動なので彼女からすれば忘れたい所業である。白は自身が不埒でも、変態でもないと思いたかった。甘噛みした時に舌に感じた血と汗の味が美味しかったのは多分含まれる霊気によるものだと納得させていた。


 兎も角も、白は彼女なりに恩人を心配していたし、そんな恩人が行方不明になった事に焦燥した。


 物探しの呪いは、主君から教えられていた。探したい相手の縁のものを触媒として相手が何処にいるのかを探し当てるその呪いは簡単なものであればどの方向にいるのか、その道の名人が行えばそれこそ正確な距離や座標までも導き出せる類いのものであるという。


 触媒は丸薬であった。失踪する直前に二つある丸薬の一つを水に溶かして飲み干していて、丸薬自体相当貴重なものだとも教えられていたので同じようなものが近くにあるとも考えにくく、故に触媒として丸薬の一部を切り取って白はそれを使った。垂れ下がる針糸の先端は洞窟の奥を指し示している。


「それじゃあ白ちゃん、行きましょうか?」

「は、はい……!!」


 先遣隊が残敵の掃討をして安全を確保すると下人衆は進み始めて、綾香と白もまたそれに同行する。


 下人衆と共に洞窟に侵入する直前、白は綾香から同行するための協力を頼まれて困惑したが、その性格については鬼月家に一年以上も住み込みしていてある程度見抜いていた。少なくとも他の者達に比べればずっと信頼出来る。その実力は有用で、故に恩人を救い出す為にも白は彼女の同行に協力した。そしてその結果として彼らは他の下人衆よりも順調に奥地に進んでいく事に成功していた。


 ……しかし、物事とはその最初から最後まで順調に終わる事はない。特に相手が狡猾な妖相手である場合は。


「っ……!?待て、静かにしろ」


 闇の中を松明で照らしながら進む一行の中でまず下人衆の臨時指揮官たる朝霧がその音に気付いて総員に停止を命じる。そしてそれに従い全員が身動きを止めて僅かの異変すら見逃さぬように五感を研ぎ澄ます。


 刹那、彼らはその悲鳴に気付いた。続いて下人達は急いで閃光玉を擲つ。


 爆発と発光……それは通路の先に開けた大部屋を照らし出した。そして、そこに広がる光景は思わず皆をたじろかせた。


「っ……!?」

「これは……繭?」


 見える範囲にあるのはひたすらに繭、繭、繭………その部屋に安置されていたのは軽く百以上はあろう繭の広がり、それだけでも彼らを動揺させるには十分であったが、話はそこで終わらない。


「はっ!?あれは……!!」


 最初に気付いたのは綾香であった。部屋の奥、大蜘蛛が一体そこにいた。それは繭の一つを破いてその中に閉じ込められていた人間を天井から足を糸で結んで吊し上げていた。


「ひっ……ひぃっ!?た、助けてくれぇ!!?誰か、助けて………!!?」


 その人影は絶叫するように助けを呼んでいた。目の前の化物の存在に恐れおののいて上下逆さまの体勢にされたままでじたばたとのたうち回るその人の姿は、まるで身を包む前の蓑虫のようである種滑稽ですらあった。


 いや、良く見れば一人だけではない。その奥には何十という人影が同じように悲鳴を上げて助けを求めていた。その出で立ちからしてこの辺りの村々から誘拐された住民に違いなかった。悲鳴を上げて必死に助けを呼ぶ。誰かとも言わず、ひたすらに泣き叫びながら。


「助けなければ………」

「お待ち下さい!!あのようなあからさまに助けを呼ぶ姿、罠の可能性があります!!」


 慌てて助けに行こうとする綾香を朝霧が止める。妖という存在は卑怯で卑劣だ。人質を使い他の人間を誘いこむのは良くやる手口であった。


「ですが……あぁっ!!?」


 そんな事をしている内に村人の一人が蜘蛛にばくり、と丸呑みされた。助けを求める悲鳴は、しかしバキボキという肉が潰れ、骨がへし折れ砕かれる音に掻き消された。おぞましい破砕音が洞窟内部に嫌に反響した。


「っ………!!!?」


 そしてそれが決定打であった。綾香は咄嗟に弓を構えると霊力を注がれて強化された矢玉が空を切り裂く音と共に放たれた。


『ッ……!?』


 腐っても鬼月家と言える綾香の正確無比な弓射は次の瞬間には機嫌良く人食いを始めていた大蜘蛛の頭を消し飛ばした。まるで砲弾を食らったかのように頭部であった肉片を周囲に撒き散らして巨体を崩す蜘蛛。そしてそのまま綾香は駆け走る。


「あ、お待ちを……くっ、半分残れ!援護だ!残りは着いて来い!!」


 朝霧は舌打ちすると、部下達に命じてそのまま繭の中を走り始めた。


 風のように疾走する綾香を止める事は不可能であった。それは味方だけでなく敵も同様だった。繭の影から奇襲するように何体かの蜘蛛が飛び掛かるがその全てが弓での殴打、あるいは腰に下げた刀に斬り捨てられる。まるで兎のように岩肌を跳ねる綾香は続いて人形の式神を十程展開して同時に拘束されて、吊るされていた人々の糸を切り裂いた。


 針金のような硬度を持つ糸は、しかし綾香の持つ護身用の刀で呆気なく切断された。そして落下する人々を展開していた式神達が受け止める。


「大丈夫でしたか!?もう安心ですよ!」


 泣きながら謝意を述べる村人の一人に綾香は駆け寄って声をかける。それは完全なる善意からのものであった。そして……退魔士としては欠点とも言える所業であった。  


「綾香様、危険です!!」

「えっ……!?っ!!?」

 

 背後からの朝霧の警告に振り向いて、しかし直ぐにその気配に気付く。次の瞬間には目の前の村人は突如として白目を剥いて苦しみ出して……その頭が裂けた。


「っ……!!?」


 まるで蛹が羽化するかのように縦に裂けた身体、そこから現れるのは大きな黄色い目をした緑色の肌をした化物であった。


『キキキッ……キッ!!?』


 羽化したばかりの河童は、しかし目の前の退魔士を襲う前に朝霧の投擲した投げ槍を喉に食らって絶命する。しかしそれは始まりに過ぎない。


「うっ……ぐあ゛っ!?」

「ひぎぐっ゛……!!?」


 次々と呻き声を上げる人々、そしてそのまま内側から破るように現れる河童共。否、それだけではない。


「ちっ!?繭の中からもか……!?」


 次々と周囲の繭が震え出し、それを引き裂いて生誕してくる河童共。繭の中には破り捨てられたかのような人皮と衣服が打ち捨てられていた。


「糞っ!迎撃だっ!!皆殺しにしろ!!」

「援護射撃だ!!早く……!!」


 下人衆らの行動は迅速だった。生まれたばかりの化物共を、その動きが緩慢な内に次々と切り捨てていく。綾香を追わずに待機していた者達は弓矢等で同じく支援攻撃を行う。


「綾香様……!!」

「あ、うっ………わ、分かっています!!」


 催促するような声に、綾香は顔を歪めつつも応じて弓を構える。そのまま通常の矢でもって次々と生まれてくる河童共を射抜いていく。しかし………。


 身を震わせる咆哮と共にそれは姿を現した。虎とも狸とも狼とも形容し難い腹を膨らませた醜い獣………。


 陣地を襲った蜘蛛の手下たる三体の凶妖が最後の生き残り、凶妖虎狼狸が待ち構えていたかのように岩場より姿を現すと毒の息吹きを吐き出した。


「何っ!?」

「不味い、後退……ぎゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!!?」


 慌てて逃げ出そうとするが遅い。毒の息を浴びた下人が二人、苦しみのたうつと全身の穴という穴から体液を吐き出して、まるで木乃伊のように干からびて死に絶えた。


「そんな………」


 只でさえ、自身の行いで多くの者を危険に晒した事でうちひしがれていた綾香は、絶望する。其ほどまでに一気に状況は暗転したのだ。


 この場にいる河童共だけならばまだどうにかなった。しかし凶妖相手に下人如きでは何らの役にも立ちはしなかった。ましてや目の前の凶妖は綾香とは若干相性が悪かった。綾香一人ならば生き残る事は出来るかも知れないが………。


 そして同じようにこの狂乱と混乱の中で、白は事態を把握していた。このままでは下人衆に多くの犠牲が出るであろう。そう、それこそ彼の捜索が困難になる程に。いや、それを差し引いてもあの人ならば多くの部下を失う事そのものに衝撃を受ける事だろう。


「…………」


 周囲の狂騒の中で、半妖の少女は首に掛けていた御守りの首飾りを掴み取る。それには単純な魔除けの加護の他にもう一つの機能が付与されていた。


 切り札とも言うべきそれの存在は事前に少女も主君から教えられていた。それを使うか否か、その機会も委ねるとも。その機能は確かに効果的で強力ではあるが、使う側からすれば決して愉快なものとは言えないが故に。


「………多分予想していたんでしょうね」


 危機の中にありながらも、白は少し呆れるように呟いた。きっと主君はこのような危機的状況になる事を半ば予想していたに違いない。あの人は何時だって危険の中にいるし、それに同行する者が平穏でいられる筈がないのだ。


 ………尤も、それを理解していた癖に二つ返事で同行の命令に従った自分が言えた義理ではないのだけれど。


「では、お頼みしますね。姫様」


 どうかあの人が無事でありますようにという願いを込めて、白は呟いた。そして首飾りを握りしめる。


 次の瞬間、その機能を解放した白は意識を失っていた。そして代わりにその身体を引き継いだ存在はその身体を変質させつつ、蠱惑の笑みを浮かべる。凄惨にして、残虐な笑みであった。


 周囲の河童共が慌てて襲いかかるのを、しかしそれは無意味であった。


 一瞬の事であった。彼女は瞬時の内に周囲の有象無象共をその「七本の尻尾」で肉片すら残さずに切り裂き尽くした。それは彼女に群がろうとしたものだけでなく、下人共に襲いかかっていたのも同様だった。


「なっ……!?」

「は?き、消えた……!?」


 先程まで河童共と戦っていた下人達は目の前の化物共が刹那に影も形も残さずに消え去った事に何が起きたのかも分からず動揺する。慌てて彼方此方と見渡すのは何処かに隠れたのかとでも思っているのかも知れない。同時に混乱と展開した幻術によって隠された白狐の姿を見つけられる者も、また皆無であった。


 そう、それで良い。態態説明してやる義務もなければその時間もない。そんな事よりも大切な人が、その他全てよりも遥かに愛おしい人が彼女にはいるのだから。


 そしてその人は今………。


「………そう、この下なのね」


 口元に笑みを浮かべてそう紡ぎ出した次の瞬間には、彼女の足下は振るわれた狐尾によって打ち砕かれるように吹き飛んでいた…………。





ーーーーーーーーーーー

「憑依」、即ちある魂や精神が別の存在に憑りつきその意識を乗っ取るという行為は言葉で表現するよりも遥かに困難な行為となる。


 催眠や物理的な操作ならば兎も角、その直接的に精神を奪い取るという行為は、即ち自身の魂を、知性を別の存在の内に押し込む事を意味する。それがどれ程までに危険な行為なのか……仮に失敗すれば最悪、その魂は変質して元の身体に戻る事叶わず、流浪する事になろう。無論、肉体の方は脱け殻の廃人と化す。


 鬼月葵はその事を良く理解していた。特殊な事例とは言え、その道において特別な異能を持つ彼女の父が実際に失敗してどのような事になったか………その事自体は正直冷笑し、失笑し、嘲笑に値する事であるとは言え、同時に看過出来ぬ懸念でもあった。


 彼女はあの愚かで狭量な男と同じ過ちを繰り返すつもりは毛頭なかった。故に彼女は万全の準備を整えた。


 ………尤も、それはそれで狂気とも言えるおぞましい所業ではあったのが。


 「分け身」、あるいは「分霊」という行いも人の身からすれば十分に常軌を逸した行為であったと言える。自らの魂を切り刻むのだ、肉体的なものとは次元の違う激痛は妖であれば兎も角常人には耐え難いし、その寿命を大きく削り取る事になろう。事実、彼女は自身の魂の一部分を切り分けるためだけにその寿命を凡そ十年も削り取った。


 構わなかった。その程度の命、鬼月の血筋の交配の結晶とも言える彼女にとって取るに足らぬのだ。膨大な霊力によって人生五十年と称されるようなこの世において常人の数倍の時間の生を、その殆んどの時間を若き姿である事を約束されていた彼女にとってその程度の時間、彼のためであれば喜んで捨てる事が出来た。


 寧ろ都合が良いと思った程だ。彼女が愛する存在は限り無く唯人で、その肉体は長年に渡って酷使されてきた。今や訳の分からぬもの共がその内に潜み変質をきたしているものの、それはそれで問題ない。彼に与えられた時間が唯人のままであってもそこから逸してしまっていたとしても同じ事だ。彼女は彼が先に死ぬなぞ想像もしたくなかった。


 寧ろ彼女が心配したのは分けられた魂の理性が保たれるかであった。


 人と妖の魂の、精神の構造は違う。事に此度彼女が行った方法は分けられた魂の自己同一性を大いに蝕む類いのものであった。分けられた魂は文字通り分けられる直前までの記憶を共有し、しかして明確に本体とは違い、その務めを果たした暁には力を使い果たして崩壊し、消失する運命にある。


 さて、考えてみよう。本体と全く同一の記憶を保持して、しかし不可逆的に分けられた魂は避けられぬ自らの消滅を理解しても尚正気のままにその役割を果たし得るのだろうか………?


 ………その答えは、余りにも杞憂過ぎた。


「あらあら、これは……可愛い顔して意外と大食らいな身体な事。そうね、もって半刻って所かしら?」


 洞窟を、足下から直通で足蹴り掘削した鬼月葵の分霊は白狐の女の身体をさらりと一瞥して、その天才的とも言える鑑識眼で以て初見にしてほぼ正確にその答えを導き出す。


 一度はその力の九割以上を失って矮小な只の半妖と化した少女を器として借り受けて、そこに自らが半年もの時間をかけて首飾りに注ぎ続けた霊力を解放する事で、白と呼ばれていた少女のその身体は一時的にかつて残虐を極めた冷酷傲慢な化け狐のそれへと変化していた。


 より正確に言えばその化け狐の全盛期の七割程度と言った所か。七本の尻尾を生やしたその身体の格は正直凶妖とも大妖とも言い難い微妙な立ち位置であった。そしてそんな中途半端な姿ですら、鬼月葵の分霊が存続出来る時間はたったの半刻に過ぎなかった。


(もっと長くする事も出来なくはないのだけれど………)


 その霊力の一部を、かつての化物の意識を捩じ伏せ、封じ込める事に使っている事情もあるが、それを含めても実はもっと彼女の意識が延命出来る方法も無くはなかった。しかし、彼女はその選択肢を敢えて選ばなかった。彼の事を思えばそれが良き手ではない事を彼女は理解していた。必要性の低い事で愛する人に嫌われるなぞ葵の望む事ではなかった。


「まぁ、こんな事をしている時点で手遅れなのだろうけれどもね?」

 

 小さく冷笑を口にした後、葵は振り向いて背後の視線に応じた。そこにいる最愛の人の困惑と動揺と僅かな敵意を感じ取りながら。


「お前……いえ、貴女はまさか………どうしてここに……いや、そもそもそのような事を……?」


 背後に守るように稚子を隠して、彼は唖然として、困惑して、そして不愉快そうに、侮蔑するように言葉を紡いでいた。それは鬼月葵の分霊にとって想定内の反応で、寧ろ想定の中ではまだ落ち着いていて、そして優しい態度であった。その事に彼女は内心で安堵する。しかし……それに甘える事は出来なかった。


「あら、何か文句でもあるのかしら?何をするのも私の勝手でしょうに。貴方に私を監督する権利でもある訳?」


 私は敢えて高慢にあの人に向けて答える。あの人が顔を歪ませているのが面の下からでも分かった。


 そうだ、彼ならばそんな反応をするのは分かりきっていた。よりにもよって私はあの男と同じ所業を、しかも半妖の「子供」相手に仕出かしたのだから。憎まれても、敵視されても仕方ない。


(けれど……その方がこの際は好都合だわ)


 それで良い。この手の禁術の細やかな見識なぞ分からぬだろう彼が私に抱く感情はそれで良い。下手に私が残り僅かの定めの存在である事なぞ彼が知る必要はない。私がこれを行うためにどれだけの定命を犠牲にしたのかを知る必要はない。彼がそんな「詰まらぬ事」で苦しむ必要なぞない。


 ……例え彼でも救えぬものがある事を、葵はあの日に知っていたから。葵も、その分霊も、態態彼の重荷になりたくなんてなかった。


「それよりも、また随分と酷い格好ねぇ?べたべたで、それは………体液かしら?」


 そして全てを誤魔化すように彼と、その背後で唖然と尻餅をつく少年を見つめて彼女は冷笑しながら嘯く。事にこの身体は五感が鋭い。その嗅覚はその身体に纏う体液の独特の臭気を鋭敏に捉えていた。


「………このような出で立ちでお目にかかる事、恐縮です。何せ………」

「大体予想はつくから言わなくて良いわ。貴方一人なら兎も角、足手纒いが複数いたらそうなるものね……こら、逃げない」

「きゃっ!?」 


 するすると伸びた狐尾の一つを器用に使って葵は呪具で隠れていた今一人の要保護者を捕らえる。ばたばたと必死に暴れる少女をポイっと正面の二人のもとに放り投げる。


「姫様!!」

「もうすぐ上から一人……いえ、二人程助けが来る筈だから、その子らの面倒は気にしなくても良いわよ?」


 まるで物を扱うような投げ方に、少女を受け止めた下人が非難するように叫ぶが、それを制するように葵は上方を見やって用件を口にする。途端に面の下より怪訝な表情を浮かべる下人。その反応に妖狐は口元を妖艶に吊り上げる。


「大体の状況くらい、私なりに予想はついているわよ。色々と面白い事になっているみたいだけれど……どうせこのまま上に上がるように命じても納得はしないでしょうね?」


 そう嘯きながら、数本の尻尾を椅子と脇息代わりにして自身を支えて足を組みながら頬杖をつく葵。自身の身体ではなく、ましてや元来人の持たぬ感覚器官でありながらこの短期間で自らの手足のように使って見せるその姿は彼女の才能に他ならない。


「姫様………?」

「良い余興だわ。ここは任せてお行きなさいな。そうそう、この子の記憶を見返したら我が家の御意見番が捕らわれたらしいわ。それも序でに助けに行きなさいな」


 白狐の身体を借りた葵の分霊が自身の頭をとんとんと叩いてその口元を愉快げに歪ませる。嗜虐的で、蠱惑的で、妖艶な笑みであった。


「姫様、それは………」

「私としても、貴方が功績を上げてくれた方が都合が良いわ。構わないからお行きなさい」

 

 葵の分霊は最愛の人にそう命じる。優美に、優雅に、高慢に命じる。


 内心では葛藤していた。最愛の彼を危険に晒したくない。守ってあげたい。葵にとって目の前の青年は、自らの全てと引き換えにしても守り抜きたい存在であった。


 同時に分霊は彼がどういう人間なのかを理解していた。そもそもがそんな自身の保身ばかり考える小物であれば葵は今ここにはいない。生きているかすら定かではない。あの日あれこれ言い訳して、憎まれ口を叩いていた癖に、結局彼は我が儘で重荷でしかない少女を守り抜いたのだ。そのために多くのものを犠牲にして………そんな彼がこの状況でそそくさと逃げる等と葵は思ってなかった。


(それに、私としても彼が活躍してくれた方が好都合なのよね)


 彼を英雄にする。そして彼が自身と釣り合う存在になってもらって添い遂げる……それが葵にとっての至上の目標で、この状況は彼女にとって絶好の機会であったのだ。

 

「貴方も把握しているでしょうけれど、蜘蛛を仕留めろなんて事は言わないわ。御意見番と隠行衆の男を回収する………それくらいなら出来るでしょう?」


 そしてそれだけでも葵にとっては十分過ぎた。何を考えているのか分からぬ御意見番ではあるが恩を売っておいて悪い事はない。隠行衆の青年も利用価値はある。あれも一応は鬼月の血族で、弓使いの分家の娘と懇意。なればこそ彼に鬼月の全てを捧げた際には良い駒として使えよう。そして、彼の実力を良く知っている葵から見て、勝算は十分にあるように思われた。


「ふふ、良い報告を期待しているわよ?」


 ほくそ笑みながら薬を入れた印籠と、おまけとばかりに式神の札を一枚、放り投げるように差し出す二の姫の分霊。そして主君からの差し入れを受け取った下人はそれをしまいつつその桜色の瞳を暫し見つめ………側の少年少女に向けて声をかける。


「良いか、そこの人が守ってくれる。絶対に離れるなよ?それと………特に桔梗様、あのお話の連絡を御願い致します」


 すぐ側で禍々しいまでの力を放つ凶妖(の身体)に怯えつつ下人の言葉に頷く幼い退魔士。そして……小さく呟く。


「葉山のこと……お願い」

「………お任せ下さい」


 絞り出すように呟かれた少女の言葉に下人は安心させるように呟く。次いで白若丸の方に視線を移す。


「男の子だからな、泣くんじゃないぞ?直ぐに戻って来るから桔梗様の事、頼めるな?」

「あ……あぁ……」


 若干自信無さげな返答に苦笑しつつ、慰めるように下人は頭を撫でようとして、しかしそれを止めた事に少年は気付いた。


「では、姫様。お頼み申し上げます」

「あっ………」


 白若丸が何かを言おうとするが、それが言葉になる事はなかった。その前に主君の分霊に一礼した下人は洞窟の奥へと走り出してしまっていたからだ。空しく、少年の嫌に細くて白い手が宙に伸びる、しかし………。


「貴方に出来る事は何もないわ。大人しくここで守られていなさいな」


 闇の中に消え行く下人の姿を遮るように、純白の狐尾が少年の前に伸びて、その身体を葵の方へと押しのける。少年はそんな葵を睨み付けるが同時に反論も出来なかった。


「くっ………」


 少年はただ言葉を詰まらせるのみで、己の無力感に絶望したように俯く事しか出来なかった…………。





「………また随分とやんちゃな猿がいるようだな」


 天然の洞窟の地面を、その分厚い岩盤を無理矢理に三層もぶち抜いた激しい震動は巣穴の最奥に鎮座している堕ちた蜘蛛の神の下にまで届いていた。具体的な内容は岩盤を吹き飛ばした際の衝撃波で付近にいた眷族が何が起きたのかも分からぬ一瞬の内に消し炭にされてしまって不明瞭ではあるが……何にせよそんな事が可能な豪腕な退魔士の存在に蜘蛛はその少女の姿でほくそ笑む。


 人を真似た小柄で華奢な身体に絹のように滑らかで艶やかな蜘蛛糸で編まれた布地を一枚羽織っただけの出で立ちの蜘蛛は岩肌の上で足を組み頬杖をしている。その姿は確実に攻め入る敵が洞窟の最奥へと進んでいるにもかかわらず余裕を感じさせた。いや、事実蜘蛛にとって最早上での戦いの勝敗は眼中になかった。


 強力な退魔士がいるのならば構わない。寧ろ多ければ多い方が良かった。多ければそれだけ蜘蛛の仕掛けた罠の価値も上がろうというものだ。


「ふふふ。愉快な事じゃないか、えぇ?貴様ら退魔士共が我らを殺すために作り上げた術が貴様らを皆殺しにするのだからな」


 そして傍らの存在に向けて蜘蛛は嘲るように嘯いた。


 光の柱であった。洞窟を支える岩柱の一つ、それが神々しく輝いていた。近づいて良く見ればそれが柱一つが丸々翡翠の塊であったのが分かるであろう。


 霊脈から流れる気の一部を掠め取り、それを溜め込んだ岩柱は、最早完全に変質していた。


 この世界において宝石とは単なる装飾品としての利用以外にも呪具を作成する際の触媒として価値がある。


 霊力等を注ぎ込み易く、同時にそれを貯める器としても優秀であるためであるが、それはこの世界において宝石類の幾らかは霊脈から溢れる霊気から生まれたためである。実際、霊脈の豊かな土地には宝石の鉱脈もまた多い。


 この大樹の如き太さを持つ岩柱もまた、長年に渡って掠め取られた霊気を受け続けた事で巨大な翡翠の塊と化していて、そこに此度の企てを開始してからはより大っぴらに霊気を送り込んでいて、それは不用意に解放すれば同時に溜め込まれ濁り始めている霊気が一気に溢れだして大爆発する事間違いない程であった。


 そしてそんな美しく輝く爆弾の直ぐ傍らにそれはあった。


「あ……あぁ………」


 柱に括りつけられる人形……いや、かつて退魔士であった男の脱け殻が呻き声を上げる。尤も、それは自発的なものというよりも単なる反射運動に近い。

 

 全身の半分が炭化し、頭の半分を抉り取られたかつての蓮華家の当主は、各種の呪術的な手術によって無理矢理生存のみをしている状態でそこに項垂れていた。虚空を見つめるように濁った瞳で口元からはぼたぼたと涎を垂れ流す。思考する能力は物理的に削られていて、ただただ生体反応を維持するのに必要な部位だけが残っていた。そしてあたまから生えた無数の管は濃縮された霊気を内包した柱に繋がる。


「………大昔に幾度か見た覚えがあるが流石に醜いな。良くもまぁお前達もこんなものを作り上げる発想が浮かぶものだな、えぇ?」

「自発的にしてくれれば一番なのですが、存外土壇場でたじろぐ事例が多かったもので。種の存亡が賭かっていればこうもなりましょう」


 蜘蛛の娘の言葉にいつの間にかその部屋にいた人影が答える。救妖衆の大幹部にして此度の蜘蛛の企ての支援者たるそれの悠々とした態度に蜘蛛は不快そうに目を細める。


「貴様が言えば説得力が違うな。流石元退魔士、血も涙もない事をしてくれる」


 蜘蛛は協力者である筈の影に吐き捨てる。実際、蜘蛛はこの影を信頼は論外として完全に信用してもいなかった。


 五百年前……大乱の最終期、百の凶妖を従える半ば神格と化していた程の大妖怪であった筈の空亡は、しかし「巫女」を人柱にした人間共の卑劣にして卑怯極まる無慈悲な手段で封じられた。


 空の支配権を失い、同時に頭を失いつつつも尚も残存する妖に対して朝廷は追撃と掃討と虐殺を行った。そう、それは報復であり、皆殺しであった。多くの名のある妖共は、しかし人間共の苛烈な復讐の前に躯を晒す事になる。


 そんな中でも数少ない例外がこいつであった。表向きは数ある退魔士を演じて内部では狡猾に空亡のために情報を流し続けたそれは、その実扶桑国建国時の頃より生きる化物であった。それも、元人間の。


 退魔士としての立場こそ大乱直後の朝廷の調査で発覚して寄り代を捨てる事にはなったがそれだけの事に過ぎない。


 元人間であった事もあってか上手く人の世に紛れ込んで、終いには朝廷内部の協力者の存在こそあるものの、再び朝廷の上級官吏にまで就いて見せたと来ている。最近は寄り代が気取られて一つ捨てる事になったというが直ぐに新しい身体を見繕ってまた悠々と朝廷に出仕しているとか。確か今の立場は民部省主税寮助職であったか………何にせよ、その出自もあって蜘蛛からすれば信用ならない。


「ふふふ、そこまで警戒なさる事もないでしょうに。半世紀前に河童の検体を差し上げたのは私ですよ?その起爆術の構築も私、貢献具合からして寧ろ感謝して欲しいくらいなのですがね」

「河童は来るべき時への兵隊作りのために、であろう?貴様らしくない風の吹き回しな事だな。何事も計画を気にする貴様が私の独断を制するどころか協力するとは、一体どういった風の吹き回しだ?」


 不快ではあるし、納得出来ぬが空亡は愚かではない事を蜘蛛は知っていた。そして目の前の影の本体がそんな空亡の信頼する重臣の一人として重宝している事もまた同様である。


 故に目の前の化物はこの五百年余りの間ただただ信頼し、敬愛する空亡が事前に教えた計画に沿って動いている筈なのだ。それが今頃になって………ましてや寄り代とは言え何事も慎重で身の安全を第一とするこいつがこの場に来るなぞ、怪しさしかない。


「おやおや、そこまで信用されていないとは悲しい事ですね」

「冗談は止せ。貴様が悲しむようなタマか。狙いはなんだ?」


 蜘蛛の突き刺さるような鋭い眼光、濃厚な殺気が周囲を満たす。常人であれば泡を吹いて気絶しそうなそれに対して、しかして影は肩を竦めるのみであった。


「いえいえ、近頃興味深い観察対象を見つけたものでしてね。あの地母神は無論、気分屋で飽き性の碧鬼が何年も気に掛けているとなると私としても無視出来ませんよ」


 影の返答に対して、蜘蛛は顔をあからさまにしかめた。それは失望であった。


「何だ、貴様もか?別に宣伝する訳ではないが、どいつもこいつも私の企てに関係ない内容で顔を見せるものだな?」

「その物言い、あの碧鬼も此方に?」

「どこにいるかはもう知らんがな。あの風来坊め、尾行が趣味なのか性格によらず気配を消すのが上手いようだな」


 それこそ空亡が参戦を要望した際にもあの鬼はのらりくらりとその要請を誤魔化していつの間にか雲隠れしてしまったものだ。数体の凶妖にその捜索が命じられたが結局大乱の最後の最後までその行方を見つけ出す事が出来なかった………。


「恐らくはまだこの巣穴の何処かにいる筈であるが……家主たる私に断りなく土足で歩き回るとは無礼なものだ。………なぁ。そうは思わんか、猿?」

「っ……!!?」


 岩影から蜘蛛と人影の会話を盗聴していた隠行衆の青年は百歩以上の距離から蜘蛛と視線が重なった事に気付いた。そして彼は次の瞬間には霊力でその肉体を強化して駆け出していた。


 短刀を抜いて狙うは人の姿をした蜘蛛……ではなくてその傍らの人の肉体を借りた起爆剤である。鳥形の式神を数体展開して蜘蛛に突入させるのは一瞬の目眩ましであった。その影に隠れて一気に退魔士の成れの果てに向けて突撃するが………。


「流石に甘く見すぎであろう?」

「!?」


 次の瞬間には蜘蛛は少年の傍らで嘲りの言葉を口にしていた。視線を向ければ真横でニヤリと笑みを浮かべる化物。  


「去ね」

「ぐっ……がぁ!!?」


 少女の身体で放たれた蹴りを受け止めた隠行衆の青年は腕に仕込んでいた籠手を打ち砕かれて、その骨はへし折れていた。しかして同時に青年は正確な軌道で短刀を投擲していた。短刀はそのまま真っ直ぐに項垂れる退魔士の脱け殻に向かい………。


「猪口才な事をするでないわ」


 少女の背中から生えたグロテスクな蜘蛛足の一つが短刀の行手を遮る。蜘蛛足に衝突した小刀は金切音とともに弾かれて宙をさ迷う。


「くっ……がっ!?」


 自身の乾坤一擲の攻撃を呆気なく無力化された葉山は苦虫を噛むが、次の瞬間に別の蜘蛛足に横から殴り付けられてふっ飛び、そのまま洞窟内の岩肌に叩きつけられる。めきっ、と肉が裂けるような音が響く。


「うっ……ぐぎっ………!?」

「ほぅ、今ので死なんとは隠行衆にしては意外と丈夫な事だな。おや、これは………」


 既に血塗れで虫の息の葉山を、ゆっくりと歩きながら迫る蜘蛛は衣服の隙間から覗くその人間の肉体の異変に気付いた。そして喜悦の笑みを浮かべる。


「くくく、これは滑稽な事だな。貴様、その身体河童に変質しておるではないか?見つかれば即処分されるような状態で……良くもまぁ健気な事よ」


 葉山の行いに蜘蛛は嗤う。本当に滑稽な事だった。非力で無力で、しかも成功した所で未来がない癖にこのような無謀を行うなぞ………。


「もう後悔は……したくなくってね」

「ん?」


 心底愚かしさを嘲る蜘蛛に対して葉山は呟いた。この期に及んで絶望をしていない目付きで彼は蜘蛛を睨む。


「馬鹿な、行いだとは思うけどな……けど、後悔するよりは……ずっと良い………!!」


 けほけほと血を吐きながら葉山は嘯く。実際、それは強がりではなく本音であった。彼はもう後悔したくなかった。あの日のように大切な人達を裏切りたくなかった。だからこそ、彼はこの無謀な戦いを挑んだのだ。


 苦しみの中で無駄死にする事になると分かっていても………。


「………不愉快な目をしよって」


 蜘蛛はそんな葉山を一瞥して侮蔑するような視線を向ける。そして、最早興味もないように踵を返す。 


「おや、殺すなり食べるなりしないので?退魔士には劣りますが河童よりは美味しいでしょう?」

「不愉快だ。あのまま楽にはさせんよ。捨て置いて、あのまま苦しみながら死ねば良い」

「それはまぁ」


 影の質問に吐き捨てるように蜘蛛は答える。見たところ相当な重傷だ。持って半刻かそこらだろうか?どちらにしろ今暫し苦しみながらゆっくりと死に行く事になるであろう。一瞬で自覚も痛みもなく死ぬよりも、苦しみながら何も出来ずに闇の中に沈み行く方が遥かに恐ろしい事は言うまでもない。


「ぐっ………」


 尚も抵抗しようとする行為は少女がそのか細い掌より吐き出した糸によって阻止された。岩肌に粘性の糸で囚われる隠行衆の青年………蜘蛛はそれきりに死を待つばかりの雑魚から興味を失って踵を返す。実際、彼女にとって葉山は小物に過ぎなかった。彼女が道連れに望むのは一流の退魔士共にあるのだから………。


「…………ほぅ、あれは鬼月の隠行衆か。これはまた、因果なものだね」


 そしてそんな中で、影だけがそんな中で興味深そうに捕らえられた人間を遠目に観賞しているのだった。


 それ。それはまるで、観劇の準備をする観客のように………。

(;`∀´)『オレモカンゲキヨウイチュー』(漬物・酒)

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