閑話 愛がなかったわけじゃない ケイリー
思えば、私の母上は身体の弱い方だった。
かつてのケイリー・マイケル・トルーマンは、幼い頃を回想した。
ケイリーは、トルーマン子爵家の待ち望まれた第一子だった。季節の変わり目には必ず数日寝込むような母は、結婚して数年子どもに恵まれなかった。
そんな母を心から慈しんでいた父は、子どもを待ち望む周囲から母を庇っていた。そろそろ養子を取るかという話の出た頃、ケイリーが生まれたのだった。
ケイリーの持つ魔力が少ないことは、すぐに周りに知られたものの、待望の跡取りの誕生に両親は喜んだ。
ケイリーは優しい両親の元、愛情に包まれて育ち、それがいつまでも続くと信じていた。
ケイリーが十歳になろうかという頃に、母の妊娠が分かった。
ケイリーは自分の魔力が少ないことから、なかなか同じ年頃の少年たちに交じることができないでいたが、気弱ではあるものの心優しい穏やかな少年に育っていた。
「赤ちゃんが生まれたら可愛がってね」「もちろんだよ。僕はお兄ちゃんになるんだからね」という他愛もないやりとりが交わされたのは、弟が生まれるまでだった。
弟はケイリーとは比べ物にならないほどの魔力を持っていた。
両親、祖父母を含む全員が、弟に夢中になった。
少しずつケイリーは、後回しにされるようになった。悲しくは思ったものの、ケイリーも弟の誕生を心から喜んでいたので、僕はもう大きいしなんと言ってもお兄ちゃんだからね、と自分に言い聞かせていた。
ある日、泣いている弟をあやそうとケイリーはベビーベッドを覗き込んでいた。抱き上げようとしていたケイリーの手を、部屋に入ってきた母が強く叩いた。
「何をしてるの?」泣いている弟とケイリーを見比べて、怒りの形相を浮かべた母はケイリーに強く問いただした。
母は、ケイリーが弟に危害を加えるような子だと思ったのだ。この時のショックは、その後何度も夢に見るほどケイリーを苦しめた。
この時期からケイリーと両親との間には、溝が出来た。お互いに歩み寄れば、まだ埋められる程の溝ではあった。
だが、両親には心優しい息子を疑ったという後ろめたさが、息子であるケイリーには自分の魔力量の少なさという劣等感が邪魔をした。
親戚筋という内情を知らないままに口を出す者たちが、湧いてでたのも良くなかった。
ケイリーと両親は、とうとう学園入学に至るまで必要事項すらも話し合わないままに過ごしてしまった。
弟がトルーマン子爵家を継ぐことは、祖父母や親戚の間では暗黙の了解となっていて、既にメイドや下男でさえもケイリーは家にいる居候のようなものと認識していた。
不文律というのものが、貴族社会に既に大きく横たわっていた。それが、魔力量の少ない息子、娘への扱い、であった。
娘は結婚の駒として、息子は学園の卒業までは面倒を見るが、それ以降は縁切りとなる、というものだった。
ケイリーの両親は、自分たちの立ち位置をはっきりさせないまま過ごした。絶縁を言い切れる程には非情にもなれず、ケイリーを嫡男として扱う程には、貴族社会で尖ることも出来なかった。
祖父母や家令が、両親を勝手に「忖度」し、ケイリーは学園入学後、最低限の面倒を見てもらえるが、常に少しばかり足りない、という生活を送ることになった。
ケイリーは入学してから、同じような境遇のクィンシーやコナーと友人になった。というか、同じ境遇で助け合わないことには、学園生活以前に食べて行くのに困るからだった。
育ち盛りの男の子たちには、学園の最低ラインの食事というのは全く以て足りなかった。寮からの斡旋でちょっとした部屋の修理や庭の手入れなどをしてもらう賃金は、瞬く間に買食いで費やされた。
学園の外、平民たちが登録するギルド、正式名称は登録制派遣労働者ギルドにも加入して、学園の休日には三人で働きに出た。
そこから派遣されて、誰がしても代わり映えのしない単純労働をして得た賃金で、成長期が来てすぐにサイズアウトする衣類や靴を手に入れた。
13〜14歳の自分たちの単純労働など単価も低かったので、ケイリーたちの手に入るのは学園で過ごすには少しばかり見窄らしい代物だった。普段は制服があるのが、心から有難かった。
もうそろそろ卒業後を真剣に考えないと、と思っていたが、彼らにはそれを考える余裕がなかった。
そんな時だった、同級生のアメリア・ターラントに声をかけられたのは。
アメリアは、ケイリーたちとは全く違って、魔力自体を持っていなかった。娘ならおそらく政略結婚をさせるためにも、それなりに大事に育てられるものなのだが、彼女は卒業後は縁切りとなるのが決まってるのよ、と他人事のように入学当初から笑い飛ばしていた。
男子寮と女子寮と場所の違いがあるので、気が付かなかったが、彼女もケイリーたちとは同様に手元不如意なはずだったが……ギルドでも遭遇したことはなかった。
「愛がなかったわけじゃない」全三話 です。




