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「エヴァレット・マイラ様は、どんな知識を広められたんですか?」
ともすれば震えそうになる声を抑えて、私は尋ねました。
「確か手洗いの励行だったかな……」
「そんな些細なことを?」
「君は些細だと思うんだな」エルドレッド侯爵様が、皮肉な笑みを浮かべておっしゃっいました。
「王国全体で手洗いを広めたおかげで、村単位の死病や産褥熱での死亡率がかなり下がったんだがな」
「私の祖父は、この条例を広めたのが自分の母であるのが誇らしいと、教えてくれたよ」
「それは……確かにそうなんですが……」
「アメリアやそれこそエヴァレット様にとっても『些細なこと』であっても、私たちには役に立つことというのが、あるんだ。例えば君のマッサージのようにね」ダウニング侯爵様が続けられました。
「多分、これほど大ごとになるとは思ってなかっただろう?君は単なる疲労回復の手段として、イングリッドの侍女になれたら……位に思っていたはずだ」ダウニング侯爵様が私に向かって言われました。
おそらくエヴァレット・マイラ様も日常の習慣として、手洗いをされていたんだと思うよ。それが侍女やメイドを通して広がって、病気をする人が減ったんだよ。この功績で王弟殿下と結婚って……と、ご本人も驚いておられた、という記録が残っていたからね。
「君のするマッサージが眠り病、というか魔力腺に働きかけることがはっきりと分かった以上は、捨て置くわけにはいかなくなったんだよ」
ミッチェル様のような眠り病の患者だけでなく、魔力量の多い方相手のマッサージにも、思わぬ効果が現れたのだそうです。
領内を治めることになるご当主は、基本的に一番魔力の高い子が選ばれます。なぜなら、その魔力が領土を富ませて、整えるからです。
定期的に領土に注がれる領主の魔力が多ければ多いほど、土地が豊かに整備されるので、領民の生活の保証となるのです。
ですので、魔力の多い領主は、王国側にとっても税収を見込める、領民にとっても豊かな実りを与えてくれる上で、大変ありがたい存在なのです。
その魔力も加齢や疲労の影響で、効率の悪い排出となるのですが、私の行なうマッサージの効果で魔力腺の詰まりが取れるのか、注がれる魔力量が増えるのだそうです。
体内の魔力が10あるとして、年齢とともに注ぐことの出来る魔力が4〜6くらいまで落ちるのですが、マッサージの効果で9〜10までの回復が見込めるのです。
今現在、このマッサージを行えるのは私だけではありません。私の学園の同級生たちを始めとした、今まで見下されていた低魔力の人たちもいるのです。
「今まで捨て置かれた人たちの価値を高めて、仕事を作り出したんだ。しかもマイラのセカンドネームを持っていてもおかしくない血統の女性が」
「でも、わたくしには魔力がありません。そこはどうなさるのですか?」
エヴァレット・マイラ様にも魔力はなかったのだが、おそらくそれは周囲には秘密だったはずだ。だが、私に魔力がないことは学園でも有名だったし、ダウニング侯爵家であっても「魔力無し」を次期侯爵夫人に迎えることに反対する人たちがいたからこそ、私は簀巻きにされたはずだった。
「それもあっての実質的侯爵夫妻ということになる。君には申し訳ないのだがね」ダウニング侯爵様に、心底申し訳なさそうに言われました。
「ミッチェルの後遺症の確認も、もちろんこれからの眠り病への対処のためにも大事なんだが、あれを次期侯爵に据える一番の理由は、君への当たりを考慮したからだ」
ダウニング侯爵とエルドレッド侯爵様が二人分かり合うかのように、頷いておられます。
「本来なら、生まれてすぐにアメリア・マイラと名付けられてそのままマイロン・ニコラ様の婚約者となっていたはずだったのだが……守れなくて済まなかった」とエルドレッド侯爵様が頭を下げられます。
「え、ああの、どうか、そのようなことをおっしゃらないで下さい。今こうしてわたくしは、イングリッド様を通してダウニング侯爵家で良くしていただいておりますので……」