かっこ悪い俺とかっこいい彩芽――4
わたし――高峰彩芽は、ベッドで仰向けに横たわり、ぼんやりと天井を眺めていた。
旅行から帰ってきてからずっとこうしている。きっと、わたしは死人みたいにうつろな目をしていることだろう。
なにかをしたいという欲求は微塵もなく、体は鉛のように重い。まるで、体と魂が切り離されてしまったみたいだ。
わたしを心配してくれた美影が、昨日の夜、今日の朝、昼と食事を運んできてくれたけど、手を付ける気にはならなかった。
お腹が空いているはずなのに、なにも感じない。たとえ感じていたとしても、食べる気力は湧かなかっただろう。
むかし読んだ小説に、初恋相手にフラれた男性が、ショックのあまり食を断ち、餓死してしまう話が載っていた。
当時は、なぜ餓死なんて苦しい死に方を選んだのだろう、と不思議でならなかったけど、いまならば、彼の気持ちがわかる。
わたしは恋をしたことがなかった。
恋に憧れてはいたけれど、付き合いたいと思うひとはいなかった。多分、恋愛面における感性が、わたしは鈍いのだろうと考えていた。
けど、違った。わたしの価値観や自己分析は、哲くんにひっくり返されてしまった。
自分がこんなにも、誰かを想うなんて知らなかった。
自分がこんなにも、愛の重い女だとは知らなかった。
哲くんに恋をして、はじめて本当の自分を知ったのだ。
初恋だった。
人生観が変わってしまうほどの恋だった。
だからこそ、なんとしてもこの恋を成就させたいと思った。たくさんのひとに協力を仰ぎ、恥ずかしさに耐えて、積極的にアプローチした。
しかし、わたしの恋は叶わなかった。
それどころか、事態は最悪な方向に進みつつある。
わたしに告白されたことで、わたしの告白を断ったことで、哲くんは気まずさを感じているだろう。できれば、わたしと顔を合わせたくないだろう。
となれば、バイトも同居もやめて、高峰家を出て行ってしまうかもしれない。
それだけじゃなく、学校での接点も薄れ、わたしたちの関係は終わってしまうかもしれない。他人になってしまうかもしれない。
「そんなの……嫌です」
枯れ果てたと思っていた涙が、溢れ出した。視界が潤み、世界が歪んでしまったような錯覚に陥る。
哲くんと他人になってしまうなんて、想像するだけで怖気が走る。そんなことになってしまったら、きっとわたしは生きていけない。
哲くんがいないと、わたしはダメなのだ。そうなってしまったのだ。
コンコン
カタカタと震えるなか、ノックの音が聞こえた。美影が様子を見に来てくれたのだろうか?
心配してくれるのは嬉しいけど、わたしにはもう、応じる気力もない。
申し訳ないと思いつつも、黙ったまま、美影が帰るのを待つ。
しかし、わたしの考えは前提から間違っていた。
「彩芽?」
「――――――っ」
体が重かったのが嘘のように、わたしは跳ね起きる。
聞こえた声が、美影のものでなく、哲くんのものだったからだ。
どうして哲くんがここに来たのかわからず、わたしは混乱に陥る。
応答できずにいると、哲くんが続けた。
「話したいことがあるんだけど、いいかな?」
用件を知った瞬間、いままで味わったことがないほどの悪寒に見舞われた。まるで、血液が氷水になってしまったかのように。
先ほど推測したように、哲くんは気まずさを感じているはずだ。わたしと顔を合わせたくないはずだ。
だとしたら、哲くんがしたい話とは、『高峰家を出ていくこと』ではないだろうか?
嫌! そんなの、嫌です! 哲くんと離ればなれになりたくない!
恐怖のあまり、カチカチと歯が鳴る。
震えた声で、か細く答えた。
「……・わ、わたしは、話したくありません」
こんなことを言えば、哲くんとの溝がますます深まってしまうかもしれない。けれど、『哲くんとの関係が終わってしまうこと』への恐怖に、わたしは耐えられなかった。
哲くんからの反応はない。沈黙をこんなにも恐ろしく感じたのは、はじめてだ。
狂ったように心臓が暴れるなか、ついに沈黙が破られた。
「ゴメン……けど、どうしても伝えないといけない話なんだ」
ガチャリとドアが開けられる。
信じられなかった。哲くんの性格からして、わたしが拒んだら帰ると思っていた。まさか、強引に入ってくるなんて……。
驚くあいだにも、哲くんはわたしに近づいてくる。さながら死期が迫ってくるように感じて、わたしは後退る。
だけど、背後の壁に阻まれて、逃げ道は失われてしまった。
もはや哲くんは目の前にいる。
親とはぐれた子猫みたいに、わたしはただ震えることしかできない。
お願いします! 出ていくなんて言わないでください! わたしは哲くんと一緒にいたいんです! 哲くんとの関係が終わってしまったら、わたしは……わたしは……!!
ボロボロと涙をこぼすなか、哲くんが口を開く。
「俺は、このまま彩芽との関係を終わらせたくない」
「……え?」
恐れていたものとは真逆の発言だった。
わたしは唖然とするほかにない。