かっこ悪い俺とかっこいい彩芽――1
初恋は幼稚園のとき、相手は保育士さんだった。優しく穏やかなひとで、彼女に構ってもらいたくて、アヒルの雛みたいにあとをついて回ったのを覚えている。
小学校に上がってからは、クラスの人気者、面倒を見てくれた上級生、隣のクラスの子、近所に住んでいたお姉さんと、いろいろな女性に惹かれた。魅力的だと感じたら、すぐに好きになった。
子供ながらに、自分は惚れやすい性分なのだろうと、『恋多き』とは自分のような人間なのだろうと、そう感じていた。
中学生になるころ、母さんの仕事が落ち着いてきて、じいちゃんの家から引っ越すことになった。小学校の友達と別れた結果、俺はボッチになってしまう。
そんな俺に声をかけてくれたのが、修司と知香だ。
優しいふたりを好きになるのに時間はかからなかった。『友達として』修司を好きになり、『異性として』知香を好きになった。
いつか知香と付き合いと思っていた。いつか告白すると決めていた。
「俺たち、付き合うことにしたんだ」
そう修司から知らされたのは、中二の春だ。彼の隣にいる知香は、嬉しそうに笑っていた。
そのとき、俺は思ったのだ。
――なら、しかたないか。
あまりにもあっさりと諦められた。ふたりを祝福する余裕すらあった。
そのことに、愕然とした。
たしかに付き合いたいと思っていた。告白すると決めていた。知香に恋心を抱いていた。
それなのに、修司のカノジョになったとわかった途端、その気持ちは嘘みたいに消えていたのだ。
自分はこんなにもドライなのかと驚いた。そんな自分が恐ろしいと感じた。
同時に、疑問を抱いた。
俺が『恋心』だと考えていたものは、本当にそうだったのだろうか? と。
『恋』は特別な感情のはずだ。情熱を伴う感情のはずだ。それが、あんなにも簡単に消えるものだろうか?
それからも、俺はいろいろな女性に惹かれた。魅力的だと感じたら、すぐに好きになった。
けれど、『恋』と呼べるほどの情熱を感じたことは、一度もなかった。
ただ、自分の薄情さを思い知らされるだけだった。
俺は彩芽に惹かれている。異性として意識している。側にいたいと思っている。その気持ちに嘘はない。
しかし、いつもは凜々しいけど、時折、照れたり優しい顔を見せたりする美影のことも、異性として好ましく感じている。
俺はやはり、軽薄な男なのだ。
俺と付き合うために、彩芽はたくさんのひとに協力を仰いだ。恋を成就させるため、ありとあらゆる手を尽くした。
彩芽の愛は、どこまでも深く、どこまでも一途だ。
そんな彩芽の想いに、俺みたいな男が応えていいはずがない。
そんなこと、許されるはずがない。
□ □ □
温泉旅行から帰ってきた翌朝、俺は彩芽の部屋の前に立っていた。
旅行から帰ってきてから、彩芽はずっと部屋に引きこもっている。今朝も食卓に顔を出さなかった。
ドアをノックしようとして――止める。
「彩芽を傷つけたのは俺なんだ。合わせる顔なんて、ないよね」
ノックしようとしていた手を、ダランと下げた。
「彩芽様のことは、そっとしておいてあげてください」
立ち尽くしていると、隣の部屋から美影が姿を見せた。いつものようにクールな顔をしているが、黒真珠の瞳には灼熱のごとき怒りが宿っている。
怒りの矛先が向けられているのは、当然ながら俺だろう。憎くて憎くて堪らないはずだ。敬愛する主を傷つけたのだから。
「彩芽様をおひとりにするわけにはいきません。彩芽様とともに、今日はわたしも学校を欠席させていただきます」
「……ああ。わかった」
これ以上ここにいても、美影を不快にさせるだけだ。頷いて、俺は背中を向ける。
立ち去ろうとすると、ギリッと歯を軋らせる音が聞こえた。
「あなたが彩芽様のお気持ちを受け入れられていれば、こんなことには……!!」
響き渡る怒声。
ビクッと肩を跳ねさせて振り返ると、苛烈なまでの形相で、美影が俺を睨み付けていた。
肌を炙るような憤怒が、美影から放たれているのがわかる。握りしめられた拳は震えていて、いまにも殴りかかってきそうだ。
思わず怯んでしまったが、両脚を踏ん張って、その場に留まった。
美影の言うとおり、俺が応えていれば、彩芽が塞ぎ込むことはなかった。罵られようが殴られようが、しかたない。
覚悟を決めて、美影に向き合う。
しかし、美影が俺を罵ってくることはなかった。殴りかかってくることもなかった。
怒りを堪えるようにキュッと唇を引き結び、深々と頭を下げてきたのだ。
「……いえ。神田さんにも、交際される方を選ぶ権利がございます。こちらの考えを押し付けようとした、わたしが間違っていました。申し訳ございません」
唖然とするほかになかった。
膿むように、ジクジクと胸が痛む。
許されるのがこんなにも辛いなんて知らなかった。いっそ罵ってくれたほうが、どれだけよかったことか……。