表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/59

かっこ悪い俺とかっこいい彩芽――1

 初恋は幼稚園のとき、相手は保育士さんだった。優しく穏やかなひとで、彼女に構ってもらいたくて、アヒルの雛みたいにあとをついて回ったのを覚えている。


 小学校に上がってからは、クラスの人気者、面倒を見てくれた上級生、隣のクラスの子、近所に住んでいたお姉さんと、いろいろな女性(ひと)に惹かれた。魅力的だと感じたら、すぐに好きになった。


 子供ながらに、自分は惚れやすい性分(しょうぶん)なのだろうと、『恋多き』とは自分のような人間なのだろうと、そう感じていた。


 中学生になるころ、母さんの仕事が落ち着いてきて、じいちゃんの家から引っ越すことになった。小学校の友達と別れた結果、俺はボッチになってしまう。


 そんな俺に声をかけてくれたのが、修司と知香だ。


 優しいふたりを好きになるのに時間はかからなかった。『友達として』修司を好きになり、『異性として』知香を好きになった。


 いつか知香と付き合いと思っていた。いつか告白すると決めていた。


「俺たち、付き合うことにしたんだ」


 そう修司から知らされたのは、中二の春だ。彼の隣にいる知香は、嬉しそうに笑っていた。


 そのとき、俺は思ったのだ。


 ――なら、しかたないか。


 あまりにもあっさりと諦められた。ふたりを祝福する余裕すらあった。


 そのことに、愕然(がくぜん)とした。


 たしかに付き合いたいと思っていた。告白すると決めていた。知香に恋心を抱いていた。


 それなのに、修司のカノジョになったとわかった途端、その気持ちは嘘みたいに消えていたのだ。


 自分はこんなにもドライなのかと驚いた。そんな自分が恐ろしいと感じた。


 同時に、疑問を抱いた。


 俺が『恋心』だと考えていたものは、本当にそうだったのだろうか? と。


『恋』は特別な感情のはずだ。情熱を伴う感情のはずだ。それが、あんなにも簡単に消えるものだろうか?


 それからも、俺はいろいろな女性(ひと)に惹かれた。魅力的だと感じたら、すぐに好きになった。


 けれど、『恋』と呼べるほどの情熱を感じたことは、一度もなかった。


 ただ、自分の薄情さを思い知らされるだけだった。




 俺は彩芽に惹かれている。異性として意識している。(そば)にいたいと思っている。その気持ちに嘘はない。


 しかし、いつもは凜々しいけど、時折、照れたり優しい顔を見せたりする美影のことも、異性として好ましく感じている。


 俺はやはり、軽薄な男なのだ。


 俺と付き合うために、彩芽はたくさんのひとに協力を仰いだ。恋を成就させるため、ありとあらゆる手を尽くした。


 彩芽の愛は、どこまでも深く、どこまでも一途だ。


 そんな彩芽の想いに、俺みたいな男が応えていいはずがない。


 そんなこと、許されるはずがない。



     □  □  □



 温泉旅行から帰ってきた翌朝、俺は彩芽の部屋の前に立っていた。


 旅行から帰ってきてから、彩芽はずっと部屋に引きこもっている。今朝も食卓に顔を出さなかった。


 ドアをノックしようとして――止める。


「彩芽を傷つけたのは俺なんだ。合わせる顔なんて、ないよね」


 ノックしようとしていた手を、ダランと下げた。


「彩芽様のことは、そっとしておいてあげてください」


 立ち尽くしていると、隣の部屋から美影が姿を見せた。いつものようにクールな顔をしているが、黒真珠の瞳には灼熱のごとき怒りが宿っている。


 怒りの矛先が向けられているのは、当然ながら俺だろう。憎くて憎くて堪らないはずだ。敬愛する(あるじ)を傷つけたのだから。


「彩芽様をおひとりにするわけにはいきません。彩芽様とともに、今日はわたしも学校を欠席させていただきます」

「……ああ。わかった」


 これ以上ここにいても、美影を不快にさせるだけだ。頷いて、俺は背中を向ける。


 立ち去ろうとすると、ギリッと歯を(きし)らせる音が聞こえた。


「あなたが彩芽様のお気持ちを受け入れられていれば、こんなことには……!!」


 響き渡る怒声。


 ビクッと肩を跳ねさせて振り返ると、苛烈なまでの形相で、美影が俺を睨み付けていた。


 肌を炙るような憤怒が、美影から放たれているのがわかる。握りしめられた拳は震えていて、いまにも殴りかかってきそうだ。


 思わず怯んでしまったが、両脚を踏ん張って、その場に留まった。


 美影の言うとおり、俺が応えていれば、彩芽が塞ぎ込むことはなかった。(ののし)られようが殴られようが、しかたない。


 覚悟を決めて、美影に向き合う。


 しかし、美影が俺を罵ってくることはなかった。殴りかかってくることもなかった。


 怒りを堪えるようにキュッと唇を引き結び、深々と頭を下げてきたのだ。


「……いえ。神田さんにも、交際される方を選ぶ権利がございます。こちらの考えを押し付けようとした、わたしが間違っていました。申し訳ございません」


 唖然とするほかになかった。


 膿むように、ジクジクと胸が痛む。


 許されるのがこんなにも辛いなんて知らなかった。いっそ罵ってくれたほうが、どれだけよかったことか……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ