温泉旅行――4
浴衣に着替えたあと、俺と彩芽は温泉街を散策していた。
おしとやか美女の彩芽には、麻の葉模様の浴衣がよく似合う。さながら天女のようだ。
あまりにも魅力的すぎて、俺たちの周りにいる人々は、老若男女問わず一様に、俺の隣にいる彩芽に見とれている。
本来は気になっていただろうけど、いまの俺には、彼ら彼女らの視線がまったく気にならなかった。というか、気にする余裕がなかった。
「ね、ねえ、彩芽?」
「なんでしょう?」
「その、さ? くっつきすぎじゃない?」
なにしろ、彩芽の距離が近すぎるから。
俺の腕を抱くようにして、彩芽はくっついている。普段から彩芽の距離感は近いけど、ここまで密着してくることは、そうそうない。
抱かれた腕には、たわわな胸がフニッと当てられていた。豊乳の柔らかな感触と、桜に似た彩芽の匂いに、頭がクラクラしてしまう。まだ温泉に浸かっていないのに、体中が火照りに火照っていた。
正直、堪ったものじゃない。このままでは、興奮と緊張のあまり、散策しているうちにぶっ倒れてしまうかもしれない。
危機感を覚えた俺は、彩芽に訴える。
「ちょ、ちょっと離れようよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって……流石に近すぎると思うんだ」
「……迷惑、でしょうか?」
悲しげに、切なげに、不安げに、彩芽が上目遣いでうかがってきた。
小豆色の瞳に見つめられた俺は、「う……っ」と言葉に詰まってしまう。
弱いんだよなあ、彩芽のこういう顔。
困り果てて、口元をモニョモニョと波打たせる。
彩芽が悲しそうにしていると、胸がチクチクと痛み、なんとかしてあげたいと思ってしまうのだ。
頬をポリポリと掻いて、ゴニョゴニョと答える。
「め、迷惑なんかじゃないよ」
「では、遠慮なくくっつきますね」
「うぇっ!?」
直後、俺は目を白黒させた。
さらにキツく俺の腕を抱きしめて、より一層、彩芽が身を寄せてきたからだ。
これほど密着したことは、林間学校で行った胆試しのとき以外にない。ふたつの大玉果実が押しつけられて、俺の腕をむにむにと揉みほぐしてくる。
極度の興奮で、俺の頭は沸騰寸前。視界はグワングワンと揺れていた。
こ、これはマズい! マズくてヤバい! 複数の意味で我を忘れてしまう! なんとかしないと!
脳裏でハザードランプが点滅するなか、揺れる視界に出店ののぼり旗が映り込む。
『名物・温泉蒸しまんじゅう!』
窮鼠猫を噛む。あるいは火事場の馬鹿力。追い詰められた状況下、俺の頭はいつにない速度で働いた。
食事をするときは、流石に彩芽も腕を放すだろう! 一息つくことで落ち着きも取り戻せるはず! これだ!
打開策を見出して、即座に実行に移す。
「み、見てよ、彩芽! 温泉蒸しまんじゅうだってさ!」
「風変わりなお料理ですね。温泉の蒸気を用いて調理するのでしょうか?」
幸運なことに、彩芽も興味を引かれたらしく、まじまじと出店を眺めていた。
ここぞとばかりに俺は提案する。
「せっかくだし、食べていかない?」
「そうですね。小腹も空いてきたことですし」
微笑みを浮かべて、彩芽が賛成した。
よしっ! ギリギリセーフ! なんとか乗り切れそうだ!
彩芽に微笑み返しながら、俺は心のなかでガッツポーズした。
温泉蒸しまんじゅうは、彩芽の予想通り、温泉の蒸気を用いて作られた中華まんだった。いくつかの種類があるなかで、俺は豚まんを、彩芽はあんまんを選んだ。
出店の脇にあるベンチに座り、俺たちは早速、購入した温泉蒸しまんじゅうを食べることにした。
「「いただきます」」
ふたりで手を合わせて、それぞれの中華まんにかぶりつく。
ふっくらした皮は同時にしっとりしており、餡の味付けも抜群だ。
なるほど。蒸気を利用したことで温泉の匂いがつき、それがアクセントになっているのか。餡の味付けも普通の豚まんとは違う。おそらく、温泉の匂いとマッチするように計算されているんだろう。話題性を狙っただけのものじゃない。よく考えて作られた一品だ。
じっくりと味わうなか、いつもの分析癖が発揮される。
分析のために頭が使われたことで、体の火照りと心臓の昂ぶりが鎮まっていった。そこまでは狙っていなかったので、嬉しい誤算だ。
よしよし、落ち着いてきた。これなら、無事に散策を終えることができそうだな。
モグモグと中華まんを咀嚼しながら、手応えと安堵を得る。
そんな俺の横顔を、彩芽がじぃっと見つめてきた。
「どうしたの、彩芽?」
「哲くんの中華まん、わたしにも分けてもらえませんか?」
見つめていたのは、豚まんが気になっていたためらしい。どうやら彩芽は、温泉蒸しまんじゅうが相当お気に召したようだ。
微笑ましいおねだりに、俺の頬が緩む。
「もちろん、いいよ」
快諾して、彩芽に分けるべく豚まんを割る。
そのときだった。
「それでは、失礼して」
「へっ?」
彩芽が身を乗り出してきて、割ろうとしていた豚まんをかじる。あろうことか、彩芽がかじったのは、俺が口を付けた場所だった。
「なっ……は、ぇ?」
驚き、狼狽、戸惑い、照れくささ――様々な感情がごった煮になり、俺は口をパクパクさせる。
呆然とする俺と目を合わせて、彩芽がぽそりと呟いた。
「……美味しい、です」
羞恥のためか、白い頬が赤らみ、小豆色の瞳は潤んでいる。
男の本能を揺さぶるような表情に、ようやく収まった火照りと動悸が、一瞬でぶり返してしまった。