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温泉旅行――1

 五月が終わり、六月になった。


 放課後、俺はいつものように彩芽と並び、帰り道を歩いていた。もちろん、少し離れて美影もついてきている。


 衣替えがあったので、ふたりは夏服を着ていた。半袖のシャツが涼しげで、さらされた白肌が眩しい。


 見とれそうになる俺に、彩芽が()いてきた。


「バイト、今日はお休みですよね?」

「ああ。月曜日は『はな森』の定休日だからね」

「でしたら、またお部屋にお邪魔させてもらえませんか? 一緒にマンガを読みたいのですけど……」

「わかった。大丈夫だよ」

「ありがとうございます!」


 承諾すると、彩芽は満面の笑みを咲かせた。(きら)めくような笑顔からは、俺への好意が見てとれる。


 けれど、彩芽の想いに応えることはできない。


 彩芽に気づかれないよう、俺はこっそりと溜息をついた。


 いつまでも宙ぶらりんのままではいられない。彩芽とどう向き合うか、どう付き合っていくか、早く答えを出せないとな。




 高峰家に帰ってくると、玄関先に由梨さんが立っていた。


「三人とも、お帰りなさい」

「こんなところでなにしているの? お母さん」

「彩芽と哲くんを待っていたのよ」


 尋ねる彩芽に微笑みを返して、由梨さんが続ける。


「ふたりにお客様がいらしているの」

「「お客様?」」


 頭の上に『?』を浮かべて、俺と彩芽は顔を見合わせた。




「ひさしぶり、彩芽さん。哲さんとははじめましてだね」


 客間に向かった俺は、障子戸を開けるなり絶句した。


 なにしろ、俺と彩芽を待っていた、紺色スーツの中老男性は、一般人の俺では絶対にお目にかかれないだろう人物だったからだ。


「よ、四葉(よつば)雄介(ゆうすけ)さん!?」

「おや? 私を知ってくれているのかい? 嬉しいなあ」


 四葉さんがニコリと微笑む。


 もちろん、知っている。四葉雄介さんは、日本を代表する大企業『四葉グループ』の最高経営責任者(CEO)。メディアでも度々取り上げられる、著名人なのだから。


 偉人との突然の邂逅(かいこう)。衝撃的なイベントに遭遇した俺は、酸素を求める金魚みたいに口をパクパクと開け閉めする。


「な、なんで、四葉さんがここに……?」

「雄介さんは『はな森』のお得意様なんですよ」

「かれこれ二〇年来の付き合いになるかな? 厳さんにはよくしてもらっているよ」

「そ、そうなんですね」


 彩芽と四葉さんの説明に、油を差し忘れたロボットみたいな動きで、俺はぎこちなく頷いた。


 いまだガチガチに緊張するなか、彩芽とふたりで四葉さんの向かい側に座る。


 四葉さんがほうじ茶をすするのを待って、彩芽が口を切った。


「それで、今日はどのようなご用ですか? わたしと哲くんをお待ちになっていたそうですが」

「きみたちにお礼がしたくてね」


 彩芽の質問に、四葉さんが(にこ)やかに答える。


 俺は不可解を得た。


 四葉さんと付き合いのある彩芽なら、お礼をされるようなことをしていてもおかしくない。しかし、俺と四葉さんは初対面だ。当然ながら、四葉さんに感謝されるようなことをした覚えはない。どうして四葉さんは、俺にお礼をしたがるのだろうか?


 俺が眉をひそめるなか、四葉さんが語りだす。


「由梨さんからうかがったんだが、四月末、厳さんが事故に遭い、『はな森』に戻れなくなったことがあったらしいね。そのとき、きみたちが厳さんの代わりを務めたそうじゃないか。あの日、私は接待のために『はな森』を訪れていたんだよ」


 四葉さんの話を聞いて、俺は由梨さんの発言を思い出した。


 俺が『はな森』でご馳走になったときのことだ。


 ――今日はたくさんのお客様が予約されているし、接待に使いたいと(おっしゃ)っているお得意様もいらっしゃるの。お父さんとおじいちゃん抜きでは完全にキャパオーバー。満足なサービスを提供できないわ。


 あのとき由梨さんが口にした『接待に使いたいと仰っているお得意様』とは、四葉さんのことだったらしい。


「私たちが接待を行ったのは重要な商談を成功させるためだったんだが、先方に満足してもらえたおかげで無事に契約を結べたよ。きみたちがいてくれたから、厳さん不在のなかでも上手くいったんだ」


 四葉さんが目を細める。


「そこで、感謝の気持ちを込めて、プレゼントをさせてもらえないかな?」

「「プレゼント?」」

四葉グループ(わたしたち)が運営しているホテルに、きみたちを招待したいんだ」


 四葉さん曰く、そのホテルは、誰もが耳にしたことがあるだろう温泉郷に建てられたもので、大浴場では温泉に浸かることができるらしい。


 俺は察した。


「つまり、四葉さんが仰るプレゼントとは、温泉旅行のことなんですね?」

「その通り」

「うわぁ! 素敵ですね!」

「喜んでもらえたのなら嬉しいよ」


 彩芽が目をキラキラと輝かせた。温泉旅行に興味津々のようだ。


 彩芽の食いつきように頬を緩めた四葉さんが、続いて俺に水を向けてくる。


「どうだろう? 哲さんは受け取ってくれるかな?」


 彩芽との――仲のいい異性との旅行なんて、ドキドキせずにいられない。正直、期待よりも緊張のほうが強い。


 だが、楽しそうにしている彩芽を残念がらせたくないし、四葉さんの厚意を無下にするのも気が引ける。


 少し考えてから、俺は頭を下げた。


「ありがとうございます。ご厚意に甘えさせてもらいます」

「こちらこそ、受け取ってくれてありがとう」


 四葉さんが嬉しそうに口端を上げた。

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